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今年の4月20日、富良野市清水山に「六花亭」がオープンした。
そのニュースを初めて聞いたのは確か2年くらい前であったと思う。
更に六花亭の包装紙のデザインをしている「坂本直行」さんのギャラリーも同時に出来るとの事で、興奮してしまった。
というのも、私にとって坂本直行さんは、悩み多き青春時代の1コマの忘れられない思い出でもあるからである。
あれは短大を卒業して建築資材の商社に勤務していた21〜2歳くらいの頃だった思う。
まだ私が社会人一年生だった頃です。
社会人になることに大きな夢を抱いて就職したものの、当時はまだ高度経済成長の過度期で、東京オリンピックの少し前。
建築関係は元気があり、特に男子社員は溌剌(はつらつ)と仕事をし、会社の経営状態も右肩上がりの、現在の中国を思わせるような時代背景であったように思う。
男性社員はいつも遅くまで残業が続き、仕事の後にはよくススキノに繰り出しており、時々女性社員らもその恩恵に浴す機会などもあった。
当時の女性の仕事といえばコピー、宛名書き、使い走り、お茶くみ、たまに定山渓で販売店招待イベントでの受付接待など、晴れがましい仕事もあった。
いわゆる普通の女の子であれば、結構それで満足していたのかも知れない。
でも私はその事に何かしら満足出来ずにいた。
「もっと全身をぶつける事の出来る仕事があるはずだ」と悩みの多い生活を送っていたある日、新聞のコラムで「歩歩(ぽっぽ)の会」というものがある事を知った。
これは山歩きをしながら絵を描くというサークルで、この主催者があの坂本直行さん。
興味を持った私は早速手紙を書いてみた。
なんて書いたのか、今となっては全然思い出せさえもしない。
その数日後、会社の中で突然坂本直行さんのお顔を拝見!
なんと手紙を読んで私を訪ねて来てくれたのだ。
詰め襟の国防色の洋服を着て真っ黒に日焼けした、新聞でお目に掛かった通りのお顔を目の当たりにした時には、びっくりしたと同時にとても感動した。
その時の感動は今でも鮮明に思い出される。
そうして、日曜日にはスケッチブックとお弁当を持って「歩歩の会」に出掛ける事になった。
仕事の事や、自分が絵が下手な事など何もかも忘れて、何の躊躇もなくいざ出発!
当時の札幌はまだまだ郊外に行くと自然がいっぱい残っていた。
みんな親しみを込めて「チョッコウさん、チョッコウさん」と呼び、絵の先生だなんていう感覚が全くなく、ただただ楽し時間を過ごしていた。
当時のメンバーの中には歯科技工士の人がいて、スケッチブックの他になぜか西瓜を1個ぶら下げている。
何が始まるのかと楽しみにしていると、昼の食事の後にその西瓜を大きくカット。
そして本人自作の出っ歯の入れ歯をおもむろに取り出し、それを自分の歯に装着して豪快に食べ始めたのである。
それが可笑しくて爆笑!
そんな楽しい場面も、忘れられない思い出となって残っている。
多少疲れて帰っても、翌日は気分がリフレッシュ!
考えてみると、自然が与えてくれるものの素晴らしさを最初に教えてくれたのが坂本直行さんであったようにも思う。
その何年か後、坂本直行さんの個展が時々札幌で開かれていた。
その頃は既に営んでおられた農業に見切りをつけ、画家としての道を歩まれていた頃であったと思う。
会場に飾られている絵はどれも素晴らしかった。
日高の山々の春の雪解けと、共に咲く高山植物の鮮やかな赤・黄・紫・白・緑の葉。
残雪の日高山脈等、いつもワクワクした気持ちで拝見する事が多かった。
残念なことに個展会場では直行さんにお会いすることはなく、その後六花亭の包装紙に直行さんの絵が取り上げられていた事を知り、さらにその後お亡くなりになった事も知った。
それから私は青春時代の最後になってこの富良野の地に嫁ぐ事となり、それからは自然と共に生き、またその素晴らしさを多くの若者達に伝えるような立場となっている。
さかのぼって考えてみると、それは坂本直行さんとの出会いにルーツがあったのかも知れない。
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