「マイケルジャクソンの思い出」の著者、坂崎ニーナさんの記事です。
省略
あのドキュメンタリーについて
坂崎氏に今回のドキュメンタリーについて聞いてみた。彼女は一瞬苦々しい表情を見せて、こう話した。
「あのドキュメンタリーは見ていません。だってもう裁判でも解決した昔の話で、蒸し返しているだけでしょう」
確かに、マイケルは生前、性的に児童を虐待したとして裁判になっているが、いずれも無罪になっている。今回のドキュメンタリーに登場する2人の男性も、すでに裁判で主張が退けられていたり、裁判でマイケルから虐待は受けたことがないと証言していた。
彼女は、来日の際の、こんなエピソードを覚えている。
「人がいいので、人を簡単に信じやすいところがありました。もうちょっと注意したほうがいいと周囲は思っていました。例えば、来日時に、10歳の子供をアメリカから連れてきたことがありました。
もちろん親も一緒に来たんですけど、その親が『もっとマイケルのところに話をしに行きなさい』とか指示してるんですね。ただ世間はそれを普通だとは思わないですよね。そういう世間の目というのも、もう少し気を付けていれば、ドキュメンタリーのような問題もなかったのではないでしょうか。近くでいろいろと見てきた身としては、マイケルははめられたんだと感じてます」
そういう行動が誤解を招いたということだろうか。それほど近くで見てきたマイケルとは、どんな人物だったのか。
坂崎氏は、「物静かで無口。笑うときは、いつも手で口を覆ってクククっと笑う。もともとあまり喋らない人で、しゃべるときも囁いているかのようで、聞き取れないこともありました。プライベートで彼が唯一声を上げたのを見たのは、ペットのバブルス君を『Stop It !』と叱ったときだけね」と話す。
「彼は人に会うと、人見知りしますからね。それでも、じーっと相手を見ていて、この人、信頼できるのかなと探っているのです」
そんなマイケルの日常はベールに包まれていた。「基本的に部屋にこもっており、それが彼の生活スタイルだった」と、坂崎氏は言う。
「マイケルほどの努力家はいない」
とにかく努力家で、日々の生活は常に「研究」に当てられていた。坂崎氏は、マイケルほどの努力は知らないという。
「読書家だったのでとにかく本を読んでいました。またしょっちゅういろいろなビデオを見て研究をしていました。音楽も、アメリカ人は意外に聴く音楽は偏っているのですが、日本人はいろんな国からの音楽を聴いている。六本木のレコード屋に何回か一緒にいったことがあった。いろんなジャンルのいろんなミュージックを聴いて、とにかくインプットしてました。
よく覚えているのは、色々なファンがホテルの周りにいるでしょう? マイケルはセキュリティの人に言って、何人かを部屋に呼ぶんです。それで彼らにインタビューするんです。『今どんなミュージック聴いている?』『どんな踊り知ってる?』ってね。一般の人たちの意見に耳を傾けていた。
一度、ニューヨークの彼の部屋を訪れたら、部屋にたくさんの人がいて。何してるのってきたら、今いろいろとみんなから話を聞いているんだよと言っていました」
アメリカの自宅の寝室には、足場もないくらいにステレオ機器やビデオ、レコードや本などが散乱していたという。自宅だろうがホテルだろうが、ベッドルームにはカーペットの上に4畳ほどのダンスフロアーを敷いて、毎日欠かさず繰り返しダンスの練習を続けていた。コンサートのリハーサルも入念に繰り返すマイケルは完璧主義者だったと、坂崎氏は語る。
「不思議なくらい、性を感じさせない人」
毎日の生活では、「夜はいつもかなり遅くまで起きていました。だから、朝起こすのが大変で。お昼くらいまで寝ているんです。コンサートした後は、とにかくすごくハイになっていて、なかなか寝付けない。だから午後にふらふらーと部屋から出てきます」という。
ステージで力強いパフォーマンスを見せるマイケル。1988年Photo: Kevin Mazur / WireImage
そんな生活の中で、児童虐待などのトラブルが噴出することになった。そもそも、プライベートでは健全な男性として、異性関係など浮いた話はなかったのか。
坂崎の印象はこうだ。
「女性にはまったく興味がなかった。とはいえ、性の対象が男性というわけでもないし、もちろん子供でもない。不思議なくらい、性を感じさせない人でした。彼とベッドルームで2人きりで過ごすようなことがあっても、子供と一緒にいるような感覚でしたよ」
逆に、女性恐怖症ではないかと感じることもあったという。大スターだけに誘惑も多かったはずだが、まともに女性と話もできなかったという。
「ある時、ツアー中に喉の調子が悪くなった。急遽、知り合いの医師にホテルへ来てもらったのですが、最初の挨拶をしたら、マイケルはベッドルームに引っ込んでしまい出てこない。医師が女性看護師を連れていたからです。しょうがなく、看護師にはロビーで待機してもらって治療を実施した」と、坂崎氏は述懐する。
また食事の席などで知らない女性が来ると、「サングラスをかけて途端に無口になった」らしい。坂崎氏は「私はね、女性には見られてなかったっていうことよね」と笑った。
「コンプレックスの塊」だったマイケル
坂崎氏の話を聞いていて、特に興味深かったのは、彼がエンターテイナーとして「認められたい」という意識を常に持っており、競争心が強かったという点だ。
「相当な負けず嫌い。他のアーティスが発売したアルバムなどのランキングを、いつもスタッフに尋ねていて、すごく気にしていた。例えば、(米黒人歌手の)プリンスのアルバムが何枚売れたとか、コンサートの状況などはいつもチェックしていましたね。そういう部分でも研究熱心でした」
坂崎氏は最後に、マイケルについて「意外に思うでしょうけど、マイケルはコンプレックスの塊だったのです」と語った。
その理由のひとつには、肌の色があったという。
「アメリカでは黒人であるために、越えられない壁があるのは紛れもない事実です。人種差別的と批判されている現在のトランプ政権が誕生するずっと前からそれは変わりません。マイケルを見ていて、彼もそれを痛いほどわかっているというのを感じていました。彼がずっと努力を続けられたのも、そういう背景があったのです」
坂崎氏は続ける。
「私も彼の言動などから、白い肌への憧れのような感情を持っていたのは感じていました。もともと、綺麗なものが大好きなんです。黒い色より白い色が好き。決して黒人を侮辱はしていないし、妹のジャネットや甥っ子たちも非常に大事にして可愛がっていました。それでも、彼は白人と一緒にいるのを好んでいた。付き合う相手も白人が多かった」
死後10年経った今、坂崎氏が思い出すマイケルの印象は「子どもそのもの」というものだ。例えば食事もシリアルやオレンジジュースといった子どもが好むうものばかりだった。だからこそ、日本に来日した際には、激しいコンサートを乗り切れるように、高谷敏雄シェフなどが専属シェフとしてマイケルの食事を管理した。
その「子どもっぽさ」がマイケルというエンターテイナーを作っていたのも事実。好奇心旺盛で、好きな音楽やダンスに熱中し、好きなことだけをして過ごした。
一方で、そんな「子どもっぽさ」が、彼を死に向かわせていたとも言える。坂崎氏は最後にこう語っている。
「もっと自分の体をいたわって、気をつけてほしかった。そこも子どもなんですね」
『マイケル・ジャクソンの思い出』
日本に連れてきた10歳の男の子、これがジェームズ・セーフチャックさんなわけです。
ステージママは一生懸命マイケルと接するように指示していたのです。
研究熱心で努力家、読書家でダンスの練習場までホテルに準備させていたマイケルが、いつどのタイミングで性的虐待するのか?
そしてこの文章から、なぜ2005年の裁判の時にジェームズが証言しなかったのかがなんとなく見えたような。
自分の息子を差し出し、買ってもらえるものを貰うだけもらい、そしてこういうタイミングが来たら、さらに大金を貰おうとしていたんだわ!
それは母親だけの考えではなくて、指示した人が居るのかもしれない。
「ネバーランドにさよならを」によって、裏に隠れている黒幕が見える可能性もある。
ぜひぜひ、生放送で討論してほしい!
アメリカの人たちがHBOに要望してみてはどうだろうか?
もう本当にはっきりさせてほしい。
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