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さて、14年書き溜めたブログをすべて消去し、ここ3週間で一気に紹介したアルバム「HISTORY」
ブログのタイトルまでアルバム「HISTORY」だもの。
なぜここまで絞ることになったのか!
私にもわからないですが・・・・
あぁ、大西つねきさんの金融の話を聴いていて、そうそう大西つねきさんが伝えていることと、マイケルがアルバム「HISTORY」で伝えている事って、実は同じじゃない?なんて思いから、こんなことになったんだわ。
で、アルバム「HISTORY」が何なのかを、始めに書いてみたんだけれど、文章にすると安っぽいし(私の文章が下手だから)、やっぱ陰謀論って好きじゃないから・・・・・。
ということで載せなかったんだけど、その文章は一応保存しておいたので、載せておこうかと思い立ちました!
では以下、8月9日に書いたけれど、公表しなかった文章です。
このアルバムはベストアルバムという形で発表されました。
2枚組ですが、1枚はベストアルバムで新曲の詰まった1枚はおまけ的な印象になるようにして、支配者たちを非難する楽曲たちが詰まっていたのです。
マイケルはベストアルバムが好きではないので、2,3曲新曲を入れたいと申し出て、結局13曲の新曲と2曲のカバー曲を収録したCDをセットにしたのです。
そして歴史というタイトルをつけたのです。
1枚目はマイケルの歴史、そして2枚目は世界中の歴史を作り上げている陰に潜む人々のことだと私は理解しています。
マイケルが何故こんなことをすることになったのか?
私が理解しているマイケルの歴史を簡単にここに記しておこうと思います。
1958年に生まれたマイケル
お母さんは8年間で8人の子どもを産みました。その8番目がマイケルです。
5歳の時母親と姉とエホバの証人に入会
7歳の時には兄弟たちと夜のお店でバンド演奏をしています。
キャバレーなどで歌い、ストリップなどのお店でも演奏しています。
9歳で地元のレーベルからレコードデビューし、10歳でモータウンからメジャーデビューをし一気にトップスターとなります。この頃は兄ジャーメインが14歳で色気も出始め、女子たちの心を奪っていました。
モータウンとの契約はひどいもので、マイケルは毎日何曲もレコーディングをさせられますが、全てが発表されたわけではありませんでした。そして作詞作曲した人に著作権があり、歌い手の収入は多くは有りませんでした。
マイケル達は自分で作詞作曲してアルバムを出したいと思うようになりましたが、モータウンでは許可が出ませんでした。自分たちで作詞作曲することでもっとお金を稼ぎたい父、自分で曲作りをしたいマイケル、目的は違くてもやりたいことは一緒ということで、モータウンから脱出することにしました。
モータウンでは曲作りの工程を見せてもらえなかったマイケル、エピックに移籍することでギャンブル&ハフの二人から曲作りを教えてもらいます。
ギャンブル&ハフにプロデュースしてもらったアルバムは今一つヒットせず、ついに「ディスティニー」というセルフプロデュースのアルバムを出すことができました。
それが1978年。
そして映画「ウィズ」も1978年に公開となりました。
そこでクインシージョーンズと出会い、1979年アルバム「オフ ザ ウォール」を発表します。
このアルバムは大ヒットをしました。
その成功で兄弟達と関係が微妙に変化したのではないかと私は考えます。
アルバム「ディスティニー」のタイトル曲でマイケルは「もう一人でやりたい。」というメッセージを発信し、アルバム「オフ ザ ウォール」の一曲目の
で、家族から開放された喜びを叫びます。
そして「満足するまで止めちゃダメだ!」と歌います。
1980年ジャクソンズでアルバム「トライアンフ」を発表
「キャン ユー フィール イット」で、僕らは人種の壁を取り払い世界を平和にしたという内容のPVを発表。
1982年アルバム「スリラー」を発表
ビリージンは恋人じゃない。
ビリージーンとは、自分本位の人のことで、「赤ちゃんができた」と嘘をついたり、赤ちゃんができるように嘘をついたり、いない人の悪口をしゃべっている人だったりをさします。
そんなファンは僕の恋人にはなれない。それと「愛の人」ではないと歌います。
この曲は「ワナビー スタティン サムシン」とセットの曲だと私は理解していて、兄弟たちと結婚していた義姉たちもビリージーンという風にとらえることができます。
この曲では最後に「ママセ ママサ ママクーサ」とコーラスが入りますが、これは「ママは見る(Mama See)ママは言う(Mama Say)ママは冷たく言う(Mama Cool Say)」ということではないかと私は思っていて、兄弟たちが客席にいる嫁に向かってカッコよく言っている姿を見て喜んでいたのではないかと勝手に私は思っています。意地悪マイケルがやりそうなことだし。
それと「あなたは野菜」という歌詞も出てきますが、私は「君は栄養を与えてくれる害のない野菜だよ。」という意味で「いじめている側にパワーを与えてしまう、君に全く非はないのにね。」ということなんじゃないじゃいかと解釈しています。食べられちゃうし・・・・
1984年ジャクソンズのアルバム「ビクトリー」発表
このビクトリーツアーの最終日、マイケルは舞台の上で「ジャクソンズからの脱退を発表」
さらに「トーチャー」のPVでは、自分は参加せずにイルミナティからの開放を宣言!
この当時の弁護士がジョン・ブランカさんで、マネージャーはフランク・ディレオさん
「スリラー」の大大成功で、誰の言うことも聴かないよ。と、今までギュウギュウにされてきた自分を完全開放することにしたのだと思います。
そしてここからゴシップによって潰しがかかるようになったのです。
アルバム「バッド」でクインシーさんとも衝突するようになり、アルバム「デンジャラス」からは全部自分でとなっていきます。
アルバム「バッド」までのメッセージは自分らしく生きることの大切さという感じでしたが、アルバム「デンジャラス」ではメディア批判の「ブラック オア ホワイト」が先行リリース、ショートフィルムを使い人種差別を批判、そして「リメンバー ザ タイム」で人間のルーツはアフリカであることをアピールし、「フーイズ イット」ではお前らの操り人形ではないというメッセージ、「ウィル ユー ビー ゼアー」ではどんなことがあっても僕を応援してくれとファンに伝え、そして「ヒール ザ ワールド」で戦争を批判と人間であることの意味を訴え・・・・
コンサートの始めは、「俺に続いて!世界を混乱させるような行動をしよう!」というメッセージの「ジャム」を金色のふんどしで腰を振りながら歌う。
そして、児童性的虐待の疑いで訴えられることに。
この時には弁護士ともマネージャーともお別れしていたのですが、この容疑をかけられたことで弁護士さんが戻ってきます。そしてこの弁護士さんが強く示談にするようにマイケルに指示を出したのではないかと私は考えています。
その弁護士さんはこの後も解雇されますが、2009年に再び弁護士団の中に名を連ねています。
そして、今、マイケルの全てを握っているのも同じ弁護士さんです。
この辺の関係性が、「ネバーランドにさよならを」の流れに繋がっているんじゃないかと妄想しているのですが。
真実を知ることは不可能なので、全て妄想話半分ということで。
以上です。 1996年以降のマイケルの人生を見てみても、音楽業界、テレビ業界、映画業界から嫌われまくっていて、やっぱり良くない人たちを敵に回しているんじゃないのかなぁ〜。と思うわけです。
「morphine」なんかを聴いても、リサ・マリエさんの話を聴いてみても、薬物を無理やり摂取させられているようなイメージが浮かぶし。
2000年ごろの顔面が崩れかけているのも、何か裏がありそうだし。
拷問にあっていたという噂があったり、なかったり。。。。
まぁ結局真相は闇の中で、もし真実に近いことを知っている人が居たとしても、それが不味い話だったら嘘っぽく報じられるだろうし。
まぁ陰謀論としては、ここに書いたように、スマホだったりWindowsだったりで人々を操ろうとたくらんでいる(として)ことを知って、2009年から4年間に阻止しなければ取り返しがつかないと言ったことを「This Is It」で言っていたのかもと思ったりしているわけですが・・・・・
なんてことで調べていたら。
ボーイング123の墜落事故の陰謀説とかまで遡ってしまって、私的に収拾がつかず(笑)
闇は深まるばかりで〜。
だって明治維新までもが視野に入ってくるんだもの。
もう無理です。
まぁ、だから私はネットを離れて見ようと思っているわけです。
9月になれば、アクセス解析も見れないわけで、このブログは12月までホッタラカシデ〜。
自然消滅してくれるので、こんな陰謀論なんかも書いてみているのです。
明日も更新はしますが、何について書いて、このブログを閉めようかしら・・・・。
マイケルと一緒に世界平和を目指している、大西つねきさんと安富あゆみさんのこととかでもいいかもね〜。
それとも苦手な陰謀論?
いやいややっぱり、マイケル先生の熱いメッセージソングかな〜。 |

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