ジビエ料理&ハンティングのシェフブログ

ジビエ料理専門店「アレコ・レーノ」のシェフブログ。

ジビエ料理探究

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AbemaTV ON AIR


突然の告知と
なりますが

ほんじつ21:47分頃からわたくしの作る
ジビエ料理が

AbemaTV(アベマティービー)さんにより
春日部村から生放送で中継されます

お時間の許す方は
ごらんになってくださいね

イメージ 1




本日のテーマは・・


それはご覧になっての
お楽しみなのでございます(^◇^)

ではでは

後ほど画面にて(^_-)-☆








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薬きょうを
神経質なほどに磨き

雷管と火薬を
詰める

最後に純銅の弾頭を
押し込み

自分だけのオリジナル装弾が
完成する



冬のある日
日の出と共に山へと分け入り

息をひそめながらも鋭くゆっくり
獲物との間合いを詰める


イメージ 1

吐く息は白く濃く
気温の低さはひと目で分かる


張りつめた中で撃ち獲った
獲物だが

そこから修羅場が
待っている

100kgはくだらぬであろう獲物を
汚さず傷めぬよう

山から車へと一人で
運ぶ

仮にそれが数百メートルでも
1キロメートルであったとしてもだ


こんなことを

いったいいつまで続けられるのか・・

怪我や事故もさること
ながら

加齢による体力の衰えは
著しく大きな課題だ


そして自ら納得の出来る最大限のクオリティで
獲物は厨房にて肉となる

骨はフォンとなり
時には器としてさえ活かされる

フレンチの先人たちが築いた道を
穢すことなく踏襲し

そしてまた
新たな自分の道を切り開く

そこにまた
新しい物語がひとつ生まれる

そうジビエ料理にはこの
狩るというプロセスに潜む"物語り"こそが

とても大切な
スパイスなのだ


山に分け入り

わたしが自分の身体と命を削って
仕留めたジビエ・・

片や人為的な餌で安易におびき寄せ
農家の邪魔者として殺したジビエ

これらの素材を料理として皿に
載せるとき

あなたならどちらのプロセスに
ジビエ料理としての真価を見いだすだろう

たかがジビエかも
しれないが

されど
ジビエなのである


鹿のもも肉をブロシェットに
してみた


いやこの場合は
串に刺したと言うべだろう

イメージ 2


竹串は自ら竹を削り出して
作ったものである

ネギも自分の畑で育てた
ものだ

もちろん鹿も自分で
撃ち獲った

料理はもてなしの心でも
ある

もてなしの心を持たぬ料理には
伝わるものが薄い

コンビニやスーパーの惣菜などに欠けるものは
そのあたりのぬくもりであろう


しかしこの串焼きは
違う

イメージ 3

素材のすべてがわたし自身の手によって
生み出され

そしてわたし自身の手によって
料理となったものだ

そのまぎれもない証拠をみなさんに
お見せしよう

それがこれで
ある

イメージ 4








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ジビエとは何か・・

それはフランス文化が食べ物としての自然の生き物を
家畜と明確に区別するために

編み出した
言葉です

英語圏では同じ意味で
ゲームミートやワイルドミートというのが一般的ですね

ところが世界に津波という意味のうまい言葉が
なかったように

日本にもジビエやゲームミートに代わる
うまい単語がなかったのです

せいぜいが"獲物"や"野生の肉"という
程度

ゆえにそれらを用いた料理をくくるための
上手な表現も

今日まで
現れなかったのでしょう



しかし本来英語圏と言ってもよいほどの
日本でありながら

どうしてゲームミートではなく
仏語のジビエなる単語が色濃く使われ出したのでしょう?

これはわたしの完全なる憶測であり
完ぺきなまでに根拠のない論理なのですが

もしかすると鎖国の民であった日本人特有のコンプレックスが
そうさせた可能性があります


ここは誰がどう考えても
日本です

ゆえにおしるこや桜餅を
あえてスイーツなんて言う必要はないのです

ところが現実は
そうではありませんね

甘いモノは和だろうが洋だろうが
今ではスイーツが当たり前

珈琲なんかエスプレッソだかバリスタだか
知りませんが

わけの分からない洋語が当たり前のように
飛び交い

もはや喫茶店なるものは姿を消し
カフェなる時代へと変貌


しかし
どうして茶屋じゃだめなんでしょう?


あはは
だめなんでしょうね

そこがわたしは日本人の日本人たる部分なのではないかと
感じているのでございます

つまり文明開化の響きと共に
先進的な欧米文化に劣りを感じた和の民が

知らずに知らずに埋め込んでしまった劣等の無意識とでも
申しましょうか

そう
羊のソテーと聞くより

ソテ・ド・アニョー(Sauté d'agneau)なんて
聞かされたほうが

どことなく高級におしゃれにカッコよく感じちゃう
安っぽい大錯覚とでも言いましょうか・・


生き物を殺す&内臓を引きずりだす&羽をむしる&
皮を剥ぐ

ゲームミートやワイルドミートという洋語には
どことくなく直球的に狩猟を連想させる部分があります

ところが仏語のジビエにはこのような強さが
ありません

つまりそれら血なまぐさい野蛮さを打ち消すための言葉として
ハンター諸氏にも料理人にとっても

ジビエなる仏語を用いるのはある意味
錯覚的なとても価値の高い単語だったのではないでしょうか

しかもフランス料理となると
ちょっとだけ特別な感じがしますものね(笑)

ほら同じような
モノなのに

東京タワーよりエッフェル塔のほうが
意味もなくおしゃれ感があるじゃありませんか(笑)


イメージ 1


ゆえに多くのハンターが使うジビエなる言葉の割には
実際に作られている料理というと

相も変わらずシシ鍋であったり
熊鍋であったり

カレーや
揚げ物などというように

そこの部分だけがジビエなる言葉とバランス悪く
活用されているのが現実です(^_^;)


ところがフランス人の食に対する探究は
歴史的にとても深いですよ

それはヴァロワ朝第10代フランス国王が
イタリアから嫁をもらったあたりから始まっていますからね

いま日本のハンター諸氏の中には
このフレンチなる料理の持つ魅力に目覚めた者も多数現れ

それなりに工夫をして
素敵に食を楽しんでいるようです

しかしそこはそれ
ジビエなる素材を冠するフレンチは

誰もが簡単に表現出来るほど
底が浅くありません

ジビエなる素材を使ってそれっぽく仕上げて
ジビエ料理と表現するのも良いのですが

それは坂本竜馬が羽織袴姿に
ブーツを履いたようなもので

わたしにはどこか完全形には
見えません


少なくともジビエ料理を頭から鉄板のように語るのであれば
フォンの果てからソースの果てまで

とりあえずはフレンチのなんたるかを理解する必要があると
わたしは思うのです

そこを通過しての守破離であればわたしには
なんの違和感もないのですが

ソース・ボルドレーズとソース・ブルギニョンの組み立てかたすら
学ばない者が

ビジュアルだけの仏料理を仕立てて
ジビエ料理でございますは

少しばかり真似っこが過ぎません?と
感じてしまうわけです

たとえば寿司職人さんがカリフォルニアロールなるものを見て
完ぺきな寿司だと感じるかどうかですね

マヨネーズたっぷりのアボカドを載せた軍艦を
もし江戸前寿司と名乗ったら

果たして
どうなんでしょう?(^_^;)


ならば鹿肉と熊肉と猪肉を交互に串に刺し

備長炭でじっくり焼いたものを

山人料理なんてシャレたネーミングで提供した方が
わたしはよっぽど日本的だと思うワケです


おや待てよ?

山人料理は群馬県は水上にある高級温泉旅館の板長が
自ら名付けたオリジナルだから

ここでそのネーミングを使っては
いけませんね(^_^;)

ならば誰か
美しくインパクトのある

あたらしい野生鳥獣料理のくくりを
日本風な名称で考えてみて下さるのも良いのでは(^◇^)


とにかく駆除で獲ったものも車に轢かれたものも
人を襲って喰った熊も

なんでもかんでも
ジビエジビエというのは

食の世界に物語りが
無さすぎです

次回はこの
物語について触れてみましょうかね



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ジビエ料理の在り方


この部屋のタイトルは
"ジビエ料理探究"と申します

なんかよく解らんタイトル
ですね

そう
じつは本人も

よう
分かっとらんとです(^_^;)


今日はそんなジビエ料理なるものについての
わたしの身勝手な考え方と感じ方について述べてみたいと思います


ゆえにあくまでも身勝手な記事なので
なるほどなぁと思う方だけコメントをお寄せくださいね



昨今ジビエという言葉がやたらと日本中を
席巻し

片や狩猟をさも優れた趣味かのごとく
物語りを創る者もいれば

鹿や猪やサルによる被害はハンパじゃないと
有害鳥獣駆除なる名の元に

それらの生き物を害獣と称し
殺す者たち


また一方では害獣駆除によって殺した野鳥獣で
儲けたいだとか

本来の狩猟期に山に入って苦労して
獲るよりも

有害鳥獣駆除なる名目に
乗っかり

狩猟税や射撃教習を免除されたり楽に獲物を獲ったりすることを
メリットとする者たちが少なからず存在します


しかしどんな立場や考え方の者も
昨今

異口同音に口にするのが
ジビエとかジビエ料理という言葉です


その異口同音にカオスな
ジビエは

ラーメンのチャーシューにされてみたり
から揚げにされてみたりと

じつに有効にさまざまな活用のされ方を
しているようです


あえて殺したのですから
せめてその命を有効に活かす

人としては当たり前すぎるごく当たり前の
ことですね


でもですね
鍋物にしたりから揚げにしたり

串焼きやバーベキューのように仕立てたものを
ジビエ料理というくくりにするのには

わたし一個人としては
ちょっとした違和感を感じているんです


誤解しないでくださいね

あくまでもほんの少しの違和感であって
しかもわたしのその感じ方は

突き詰めると
大いなる大矛盾なんです

だからこの記事は身勝手と
断りを入れてからスタートしたのであります

ではその身勝手な感じ方というのは
何か?・・

それはですね

ジビエという単語はそもそもがフランス語
なんです

フランス人が長い食の歴史の中で
野鳥獣と畜産動物を明確に区別するために生み出した言葉でもあり

そこには食としての厳格な意味と定義が
設けられています

ゆえにジビエやジビエ料理と称するので
あれば

わたしはやはりフランス食文化にのっとった料理に対して
使うべき単語であり

いくら野生の素材を使っているからと言って
チャーシューや猪鍋を日本人がジビエ料理のひとつとくくるのは

フランス文化に対し
いかにも失礼であると感じているのであります

それゆえテレビなどでの
「本日はジビエの肉を使ったカツ丼をご紹介いたします」
なんて使い方には

極めて強い違和感を覚えてしまうので
ございます

いのしし肉を使ったカツ丼は
カツ丼でよいし

ラーメンに載せたチャーシューは
叉焼でよいワケで

そこにあえて仏語であるジビエを用いる必要性を
わたしはこれっぽっちも感じないのであります


日本には日本独特の立派な食文化があるのですから
焼き鳥は焼き鳥で良いわけです

そのくくりの中で
わたしは

たとえば鹿肉を竹串に刺して焼いたものは
"鹿の串焼き"としっかりと主張し

「猪の肉を使ったカツ丼」などと称するべきだと
思うのです


素材がいくら鹿や猪だからと言ってジビエなる言葉を
安易に用いるのではなく

家庭でカレーの肉を
豚や牛から鹿や猪に変えた場合などは

日本の食文化としての"野鳥獣料理"なる
ジャンル

しっかりと確立しては?と感じているので
ございます


ではカレーに熊の首の肉を使ったら
ジビエ料理ではないのか?

いや日本人的には
きっとジビエ料理なんでしょうね

つまりこんな記事を書きながらそんな部分も
なんとなく理解出来るわたしは

大きな矛盾の着ぐるみに包まれた
じじいなのでございます



ところでまた寒さが若干戻ってしまった
春日部村ですが

高畠村のkuma仙人さんから頂いた
ツキノワグマを使い

キャセロールで
Ragoût à la crème
というフレンチを作りました

イメージ 1



読みは
ラグー・ア・ラ・クレーム



イメージ 2


これはクリームによる
煮込み料理で

日本語では
クリームシチューと言いますね(^◇^)


熊のお肉は食べると身体が
とても温かくなります

それをシチューにしたのですから
さらに温まりますね


でもこの料理は一人前程度では
温まりません

なんたって
これですから(^◇^)

イメージ 3



でもこれ
にんじんもジャガイモも玉ねぎも

ぜ〜んぶきちんと包丁で面取りして
ちゃんとしたレシピで仕込んだものなんですよ

もちろんハンターさんなら画像を見て一目瞭然でしょうが
熊肉もまぎれもないホンモノです


料理ってのは
楽しく美味しくなくちゃね(^_-)-☆


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犬猫の流通、1年で10万匹増 途中で2万5千匹死ぬ

朝日新聞デジタル 1/27(金) 8:02配信

2015年度に国内で販売されるなどした犬猫は少なくとも約85万匹で、前年度より約10万匹増えていることが朝日新聞の調査で分かった。流通量の増減のデータはこれまでなかった。流通量の3%にあたる約2万5千匹の犬猫が流通過程で死んでいたことも判明した。

改正動物愛護法(13年9月施行)で、繁殖業者やペットショップなどは「犬猫等販売業者定期報告届出書」を自治体に提出することが義務づけられた。流通の実数を把握するため、朝日新聞は14年度分と15年度分について、この事務を所管する都道府県や政令指定都市など99自治体にアンケートした(回収率100%)。

 集計の結果、15年度は犬約69万1千匹、猫は約15万6千匹が販売・譲渡されていた。15年度は、14年度より自治体に届出書を提出した事業所数が少ないが、それでも14年度比で犬は約7万5千匹(12%)増、猫は約2万3千匹(17%)増で、ペットブームが続く中、国内流通量は増加していることが分かった。

 また、繁殖から小売りまでの流通過程での死亡数(死産は含まない)は犬1万9866匹、猫は5088匹の計2万4954匹。14年度も死亡数は計2万3181匹で、両年度とも流通量の3%にのぼる。これは環境省が09年にペット店を対象に調査した際の推計値の33倍にあたる。



イメージ 1




この数字の中には病死以外に
商品にならないが故の殺処分も含まれているのでしょうか

流通業者の段階でも
これほどの数字・・


これに捕獲されて殺処分される犬猫の数を考えると
胸が痛いですね



そう

人間の都合によっていとも簡単に
命が絶たれているのです


食べるイコール生きるという明確な
本能ならばまだしも

邪魔だからという理由だけでの殺生は
はたして如何なものか・・





先日とある媒体からの
取材を受けたブログを書きました




もしかすると私はこの記事によって
多くの方に誤解を与えたかも知れません


それは誌面や放送内容などが
あたかも取材者側の自己満足的なもので作られているかのように

誤解されかねない記述をしてしまった
危惧があるからです


ところが今回取材に訪れた方々は
私が今まで接したタイプと違い

本来到底記事にはならないであろうと思われることに
かなりの時間を割き

わたしの食に対する取り組み方を
じつに良く聞いてくれました


その中で尺の制限や今までの私の体験などにも理解を
いただき

なんとかその思いを少しでも伝えることが出来たらと言って下さった
すばらしい取材陣でした


いまのところ今回の取材が誌面に載るかどうかは
未知数ですが

わたしの
至らぬ表現により

今回の取材者が自己満足の強い取材者であったと
誤解を受けることはいけません


彼らの名誉のために
申しますが

ひさびさに聞く耳を持つライターさんに出会ったことを
お伝えしておこうと思います



そこでどんな思いを語らせて頂いたかと
申しますと


いま巷で話題となっている
有害鳥獣だとか

ジビエの存在意義などに
ついてです


ジビエを流行的に捉えるのも
良いですが

じつはジビエなるものが
流行だとすると

わたしの知る限り今回のジビエブームは
第三次ジビエブームとなります


一次はフランス料理に光が当たったことによる
ブーム

二次はマスコミのネタの手詰まり感による
和洋中を問わない話題作りとして取り上げられた感のあるブーム

そして第三次は有害鳥獣駆除による個体を再利用させようとする
行政側と流通を目的とする業者の思惑に沿ったブーム



つまりジビエは
食文化としての定着の一環として話題になっているというよりも


いまのところはまだ
ブームによって脚光を浴びている要素が強い感がぬぐえません

言い換えれば今は
食文化としての定着の過渡期と言えるかも知れませんね


そんなジビエですが
狩猟による捕獲はみなさんご存知のとおり

生き物を殺す作業が
頭に浮かびます


じつは牛や鶏も
それはまったく同じなんですが

日常で牛や豚にそれを強く感じる方は
おそらく稀でしょう


そう

牛や豚や鶏はあまりにも
商品化されすぎ

死なるものの気配が完全に消えてしまって
いるのです


私たちは
そこをないがしろにしてはいけないと思うのです

人間はあえて他の命を頂いて
生きているのですから

それをかわいそうと慈しむ気持ちと
だからこそ無駄に出来ないというありがたさを失ってはいけません


わたしがどうして自分で獲るかと
申しますと

この完ぺきとも思えるトレーサビリティと
その真理を手に入れるコトが出来るからに他なりません

私の知っているシェフの
中には

「自分で殺すなんて よくそんなコトが出来るね」
口にする者も少なくありません


つまりモノとだけ対面し
肉はもともとが生であり死によって肉となる実感を持っていないのです


いま話題の
有害鳥獣ですが

生き物に有害なるレッテルを貼っていることに
私は強い違和感を覚えています


農作物の被害に遭っている方以外の都市部の人間でさえ
有害鳥獣であるという認識に染まりつつあるからです


つまり鹿や猪イコール
有害な動物

有害なものは人間の手で排除しても良いとする
身勝手な思い込み・・


そんな現実が犬猫の殺処分にも繋がり
死に悼みを感じない社会形成につながっているのではないでしょうか


たかがジビエかも
知れませんが

ジビエには牛や豚に感じなくなってしまった
生き物に対する考え方を

きちんと思い起こさせる
力を秘めているのでございます


ジビエというフレーズを
耳にするとき

豚や鶏もちゃんと生きていて
そして誰かがその命を奪っているのだということを

ときどきは
思い出してやってくださいね


食べものに困らない国など
全世界の二割ほどしかないのです


贅沢に慣れることも
良いですが

その裏側にある真理までをも
無にすることは

人としていけないコトだと
思うのであります・・







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