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浪曲と云えば、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。特にテレビが各家庭に普及するまでは、ラジオから落語、講談などと共に浪曲は流れてきていた。こうした話芸は、次はどうなるか解っていても同じ題目を何回でも楽しめた。

中でも、「清水次郎長伝」の森の石松が主人公の「石松三十石船道中」は、映画になったり、他の話芸でも使われていたので、有名だと云えよう。

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話芸の多くは、時々によって語り口が異なることもあるが、戦後に録音された二代目広沢虎造の「石松三十石船道中」は、軽妙な語り口で特に評判が良い。
全編が、江戸言葉なので、「ひ→し」など、現代では解り難い面のあるが、畳みかけるようなイキでイナセな語り口になっている。

あまりにも有名な、枕から・・・。

旅行けば、駿河の道に茶の香り。
流れも清き太田川、若鮎躍(おど)る頃となる。
松も緑の色も冴え、遠州森町良い茶の出どこ、
娘やりたやお茶積みに、ここは名代の火伏(しぶせ)の神。
秋葉神社の参道に、産声あげし快男児。
昭和の御代(みよ)まで名を遺(のこ)す、遠州森の石松を
不便ながら、務(つと)めます。

八軒屋から伏見に渡す渡し船は、
三十石と云いますから、かなり大きい船でしょう。
これィ石松っさんが乗込んで、
余計なお宝払って、胴(どう)の間のところ、
畳(たたみ)一畳ばかりを借切って、
親分には内緒だが、途中で買ってきた小さな酒樽、
ふちの欠けた湯呑に注いで飲む。
大阪本町橋の名物、押し寿司を脇に置いて、
酒を飲み、寿司を食べている内に、
船が川の中半(なかば)へ出る。
乗合衆(のりあいしゅう)の話、
利口が馬鹿になって大きな声で喋(しゃべ)る。
つまり退屈しのぎ、この話を黙って聞いていると面白い。
お国自慢に名物自慢、仕舞いには豪傑の話が出る。
「武蔵坊弁慶と野見宿禰(のみのすくね)が、
相撲を取ったらどっちが強いだろう。」
「ヘン、つまらねえ話をしていやがる。
弁慶と野見宿禰が相撲取ってたまるかい。」
「だけど面白いな。この話が酒の肴(さかな)になるからナ。」

遠州森町( 静岡県周智郡森町)の宿屋「福田屋」の倅(せがれ)として生まれた石松は、親分「次郎長」の命で四国讃岐の金毘羅宮に刀を納めに代参した。
代参の帰り道に、大阪見物を済まして京都まで乗った船の中の出来事。

八軒屋は大阪の中心(大阪市中央区)にある船着場で、旧淀川を上って京都の伏見までの道中。三十石船は全長五十六尺(約17㍍)幅八尺三寸(約2.5㍍)乗客定員28人〜30人だったそうだ。

胴の間(どうのま)とは、船の中央部分で比較的揺れの少ない場所で、優雅に一畳分の場所を貸切り、「余計なお宝=余分な賃料」を支払った。
本町橋の大阪名物の押し寿司(箱寿司またはバッテラ)と小さな酒樽を手に、乗合衆の他愛もない話を聞いていた。

前回、述べたが「野見宿禰(のみのすくね)」は、垂仁7年(西暦=紀元前27年)7月7日の相撲節会で相撲を取ったことで、戦前の人には馴染みだったようだ。
武蔵坊弁慶(鎌倉時代)と、野見宿禰が相撲を取る訳ないのだが、暇つぶしになったようだ。

笑いながら飲んでたら、この話に枝から枝、
何時しか咲いたよ見事な花が、
変わりました親分衆の話となる。
商売は道によって賢(かしこ)し、とやら。
自分の渡世(とせい)の話が出た。
もう親分次郎長の、確か名前が出る時分と。
乱暴者の石松が、聞いているとは夢にも知らず。
乗合衆は大きな声、

「お前さん、何だね。大変、アノ〜バクチ打が詳しいね。」
「ワッシャ、このヤクザ者が好きでがしてね。」
「ハァ、どうでしょう、どの国に一番いい親分がいますね。」
「そらァ、まあ何て云っても関東でげしょう。」
「エ。」
「関東、甲州、上州、武州、下総(しもおさ)、
信州なんて云ったらばくち打ちの本場と言ってもいいぐらいで、
イイ親分がいますからな。」
「ハァ。」
「土地に似合わないイイ親分のいるところが伊勢。
伊勢にはイイ親分がいるね。」
「けど親分の数の多いところは、誰が何といっても東海道。
東海道にはイイのが居ンで。
三州、寺津の間之助、
西尾の治助、
見付の大和田友蔵、
藤枝長楽寺清兵衛、
伊豆の大場(だいば)の久八、
富士郡(ごおり)宮島歳三、
宝飯郡(ほいぐん)雲風亀吉、
五井の玉屋の源六、
何てったら凄いからな。」
「ハハァ、詳しいなお前さんは、
今、街道一の親分てェと誰でしょうね。」
「ないね。ヘェ。ありません。
東海道に親分の数はあるが、同なじぐらいに肩を並べて、
グウと頭抜(ずぬ)けたのはないが、
五年経つと街道一の親分が出来ますよ。」
「ハア、誰です。」
「この船が伏見に着く、少ォし下(しも)にくだる。
草津の追分に見受山の鎌太郎。
歳は二十八だが、筆が立って、算盤が高い。
ヤクザに強いが、堅気に弱い、真の侠客。
この見受山の鎌太郎、五年経ったら街道一の親分でがしょうな。」
「成ァる程な、名前は聞いているが、お目に掛かったことはねェ。
見受山の鎌太郎てえのは、何処行っても評判がイイ。
帰りがけ通らりゃならねェ草津の追分か。
一宿一飯でお世話になって、
俺は秤じゃねェが向うの貫録をチョイっと測ってみようか。」
独り言を言っている脇で、イイ気持ちに寝ていた男が、
ガバッと起き上がって、
「オ、オ、オ、エ〜チキショウ、煩(う)るせいなァ、
ガーガー騒ぎやがって寝らんねェや。
しょうがねェから、話相手になろうと思ったら、
弁慶と野見宿禰が相撲取ったって言いやがる。
馬鹿々々しいから黙っていたんだ。
オー、オー、オー、有り難ていな、ヤクザモンの話になったな。
江戸っ子だ、神田っ子だ、ふざけやがって。
あの荷物のところに寄っかかっている人、
オゥ、今、お前さん何とか言ったね。
オゥ、五年経ったら街道一の親分が出来る?
笑わせやがらあ、来年の話をすると鬼が笑うってんだい。
五年先の話をしたら、鬼は何て言って笑うんだ。
今、笑いように困っているじゃねェか、鬼がョ。
だからサァ、今の話をしてくれ、
街道一の親分は、今立派にあるじゃねェか。」
「それを知らなかった、街道一の親分は、
いったい誰でございましょう。」
「駿河の国が安倍郡(あべごおり)、
清水湊有渡(うど)町に住む山本長五郎。
通称、清水次郎長。これが街道一の親分ョ。」

出てくる親分衆は、実在の人物とは限らないが、おおむね歴史に残っているようだ。この部分の語りは、講釈師、三代目神田伯山による講談「名も高き富士の山本」の影響が色濃く残っている。

いよいよ「鮨食いねェ」でお馴染みの「江戸っ子」が登場してきた。江戸っ子の軽妙な語り口が虎造節の真骨頂とも言える。

ブログの都合で、「石松三十石船道中(2)」に続きます。

<参考>
「石松三十石船道中」 広沢虎造. shobuen3 さん

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