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普天間の百年 その2

前回の「普天間の百年 その1」に引き続き、昭和48年(1973年)の航空写真から検証します。


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昭和43年1968年)に小笠原諸島に続いて、昭和47年1972年)5月15日に沖縄が本土復帰して日本政府の施政権に戻る。
昭和47年(1972年)安仁屋、喜友名、伊佐にあるキャンプ瑞慶覧(米陸軍司令部)が、海兵隊施設と統合してキャンプ・フォスターとなる。

昭和37年(1962年)宜野湾村が市制施行して宜野湾市が誕生した。昭和44年(1969年)宜野湾市立普天間第二小学校、昭和47年1972年沖縄国際大学、昭和51年(1976年)宜野湾市立大謝名小学校が設置された。
昭和45年(1970年)の宜野湾市人口は39,390人で、この時期から更に人口が増加した。

上画像のように、国道58号線の伊佐、大山、県道34号線周辺の大謝名、佐真下の一部では農地の住宅化が進んだ。
また、普天間飛行場とキャンプ・フォスターに挟まれた県道81号線沿いの伊佐、喜友名、普天間、野嵩の沿道は市街地となり、家屋だけでなく店舗が徐々に広がっていると思われる。

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昭和51年(1976年)ベトナム戦争の終結に伴って、米海兵隊の再編が行われた。以降、基地の返還が徐々に始まった。昭和54年(1979年)北谷のハンビー飛行場の返還に伴って格納庫、駐機場、隊舎等が移設された。

昭和56年(1981年)沖縄県立宜野湾高等学校、昭和57年(1982年)宜野湾市立志真志小学校が設置された。昭和55年(1980年)の人口は62,549人。

この頃には、県道81号の伊佐、喜友名、普天間、野嵩の街並みの区画整理も進んだ。同様に国道58号線沿線の伊佐、大山、宇地泊、真志喜と大謝名の一部でも区画整理が行われたようだ。
また県道34号線に沿って、真志喜、大謝名、嘉数、真栄原、佐真下から我如古、志真志に家屋が広がっている一方で、国道330号線の沿線は、我如古の中心部を除いて、建物が処々に点在してようだ。

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笑ってしまうのは、ウィキペディアで検索すると、用地の追加提供が「平方メートル」で書かれている一方、用地返還は「ヘクタール」になっている。
Wikiの細部まで活動家の手が入っているのには驚き。芸が細かい。因みに1ヘクタールは10000平方メートル・・・

前の地図からわずか1年後の航空写真だが、国道330号線に沿って野嵩、赤道、神山、宜野湾、長田、沖縄国際大学周辺に少しずつ家屋が広がっていることが解る。

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平成に入ってから、宜野湾市の人口は平成02年(1990年)で75,905人。昭和61年(1986年)宜野湾市立宜野湾中学校が設置された。

この頃には、国道58号線沿線の安仁屋から伊佐、大山、真志喜、大謝名、宇地泊まで、県道81号線沿線は、ほぼ市街化が進んだ。
また県道34号線は、沿道沿いの真志喜、大謝名が市街化された。嘉数、真栄原、佐真下、我如古、志真志なども家屋が増加していることは解る。国道330号線沿線も道路整備、宅地開発が進んでいることが解る。

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平成12年(2000年)には宜野湾市の人口86,744人になり、平成14年(2002)の航空写真では、飛行場の周囲が完全に市街地化されている。
平成06年1994年沖縄カトリック中学・高等学校、平成10年1999年宜野湾市立長田小学校が開校した。平成12年(2000年)宜野湾バイパスが完成した。

こうした周辺状況から、平成09年1997年)に移設先を名護市辺野古付近として、平成14年(2002)に普天間飛行場の移設計画案が一旦は固まった。

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平成17年(2005年)には、宜野湾市の人口が89,769人。宜野湾バイパスと旧道58号線の間に、約49ヘクタールの田いも(ターンム)畑を除いて、市街化、宅地化が概ね完了した。490,000平方メートル(笑)に314人の地権者だそうです。

普天間移設では再度計画案の検討が行われ、辺野古周辺で各案を比較した後、平成18年2006年)に平成26年2014年)までに代替施設を建設し、移転させるという行程に至った。

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平成22年(2010年)の宜野湾市人口は91,928人。人口増加率は多少減ったものの、増加を続けている。大山田いも畑は、平成04年(1992年)をピークに作付け面積は減少し、2割が耕作放棄地となってる。

平成21年2009年)に鳩山由紀夫内閣が成立し、普天間飛行場の移設案は再度審議され、様々な代替案が提示されたが、平成22年2010年)になると、県外移設は不可能との結論に達し、再度辺野古のキャンプ・シュワブへの移設で決着がついた。これにより、移設計画の平成26年2014年までの移設が難しくなった。

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現在のグーグルマップだが、グレーに色分けされた地域は、完全に普天間飛行場を覆っている。平成27年(2015年)の人口は96,243人である。



武田邦彦工学博士の話にあった「敵を作る市民運動」とはこの事で、その結果は市民の誰も得をしない「市民運動の悲劇」で理解できるでしょう。

敵を作る市民運動
市民運動の悲劇

前半をご覧になる場合は、普天間の百年 その1」です。


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