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書物の紹介
Yuma Totani (戸谷由麻)
The Tokyo War Crimes Trial:The Pursuit of Justice in the Wake of World War II (東京裁判:第二次大戦後の方と正義の追及)
Harvard University Asia Center 2008
目良浩一
背景:
この図書は、著者がUniversity of California Berkeley で書いた博士論文を土台として、その後にHarvard でPostdoctoral Fellow として過ごした一年やNevadaで教育に従事した期間などにおける推敲を経て出版されたものである。Harvard においてはAkira Iriye の支援に感謝するとしているので、かなりの指導を、受けたものと思われる。
目的:
著者がこの論文を書こうと思った目的は明らかではない。おそらく、今までの東京裁判に関する分析が十分でなかったと思い、より完全な評価をしたいと考えたのであろうと思われる。
成功度:
一次資料を広く当たり、基本的な問題点を注意深く検討し、野心的に多数の東京裁判に関する論文に当たって研究している。しかし、何分にも、著者の態度が「日本が戦争犯罪を犯した」とする前提の上に立っているので、公正な評価ができていない。Dr. Iriye の弟子としては、高い評価を得られるかもしれないが、努力の割には成功度が低い。最大の問題は、彼女自身の独特の貢献が単に交通整理程度であることで、意図しなかったかもしれないが、成果の一つがアメリカの東京裁判弁護論の支援であるからである。しかも、彼女は使用した文献の信憑性を十分に吟味していない。
序章:なぜ今東京裁判なのか
著者はいままで数多くの東京裁判論があるが、それぞれに欠陥があり、それらを丹念に一次資料でもって、再検討して、それらの是非を確認する。それが、ここにおける著者の役割であるとしている。特に、1990年代に書かれた粟屋憲太郎の論旨が、かなりの学者に説得力を持って迎えられているが、その誤りを指摘したいとしている。
著書の内容の要約:
注目すべき主張や発見:
1.天皇を戦犯にしないとしたのは、一般に言われているようにマ元帥の決定によるものではなく、連合国の協議機関である極東審議会(The Far East Commission)の決定である。しかし、マ元帥は戦犯にしないことを提言していた。〔第二章〕
2.ニュルンベルグと東京裁判(NT-裁判とする)の後で、侵略戦争は罪であるという認識が一般化したと著者は主張しているが、それをどのような形で裁判に持っていくかについては、現在では共通の認識が無いことも認めている。
3.東京裁判で弁護側が、「法が無ければ罪は無し」の法の大原則を以って、
「平和に対する罪」に挑戦したところ、裁判長は、N-裁判の先例を挙げて、却下した。基本的には、N-裁判では、明確な法が無くとも社会〔世界〕の常識で裁けるとした。つまり勝者が罪を決めることができるとした。この点については、著者はある程度の疑問を投げかけているが、そのために、T-裁判は「正義の裁判ではない」とはしていない。〔第四章〕
4.東京裁判が「被告たちは一つの共通した陰謀に関与した」と結論付けたのは、事実に合致しないと断言するが、著者は複数の陰謀があったとするのが良かったとして、陰謀論自体は認めている。〔第四章〕
5.1941年12月に日本の開戦通知が遅れたこと自体には、T-裁判では罪としていない。〔第四章〕
6.東京裁判では、日本が中国を侵略したのが犯罪であって、太平洋戦争はその中国を手放させるために連合軍が戦ったと著者は主張し、しかしながら、日本はそれを手放すことはなかったので、著者は1931年から1945年までの15年の侵略戦争であったとしている。〔第四章〕(中国側の数々の条約違反については全く注目していない)
7.吉見義明の『従軍慰安婦』〔岩波新書、1995〕を慰安婦の実態を記述したものとして、日本軍の蛮行を証明する材料としている。(p.107)
(従って、著者は日本軍の捕虜や民間人に対する暴行の記述の信憑性については全く疑問を投げかけてはいない。)
8.南京事件いついての議論はおそらくこの著書のハイライトであろう。(本田勝一の図書や笠原十九司の記録に頼る記述であるので、信憑性はかなり疑わしい。)しかし、東京裁判における法廷の議事録を丹念に追い、11人の証人の発言とそれに対する弁護側の対応などをかなり詳しく紹介している。そして、日本軍の上級士官や松井石根司令官自身が、日本兵の暴行の事実を法廷で反論をしなかったので、証人の発言などを認めたとしている。(第六章)(著者は最近出版された南京事件は国民党政権の作り上げたものであるとする説には、ほとんど触れていない。)
9.著者は頻繁にT-裁判の判決が、N-裁判の判決と類似していることを強調している。このことによって、NT-裁判が新しい国際法の基礎となったとする主張の根拠としている。(第4−6章)
10.東京裁判について最初に日本側から見解を表明したのは、東大教授の 団藤重光であり、また横田喜三郎であった。彼らは、東京裁判の法的な立場を擁護した。その後、戒能通隆(東大教授)も日本は侵略戦争をしたことに同意して、T-裁判を支持した。井上清〔同〕は、天皇の戦争責任を唱えた。内田力蔵〔同〕は、事後法の適用も罪の実質が伴えば、アングロ・アメリカの法律では認められるとした。ただ、東大教授である高柳賢三は、T-裁判で被告を弁護をした経験もあり、彼は「戦勝国は勝手に法律を作って裁判をしてよろしいという前例を作ったに過ぎない」とした。また、彼はこの場合、個人の責任を問うべきではなかったとした。しかし、1953年になって、冷戦が激しくなると戒能は、事後方の適用は、誤りであったと宣言した。(第八章)
11.著者はインドのパル判事の議論を退けている。その理由は、主に、N-裁判の判例にそぐわないからである。(驚くべき暴論である)日本が公式に承認していない国際間の合意も「習慣法」であったとして、守るべきであったとしている。しかし、パルは1952年に招かれて来日し、歓迎された。その後、T-裁判を非難する著書が多く出された。著名なものは、滝川政次郎の『東京裁判を裁く』(1953)と菅原裕の『東京裁判の正体』(1961)、清瀬一郎の『秘録:東京裁判』(1966)である。彼らはT-裁判は「勝者の復習」であると唱えた。アメリカ人の Richard Minear は 1971年に “Victors’ Justice: The Tokyo War Crimes Trial”を出版し、同様にT-裁判を非難した。彼はその基礎になっているN-裁判も批判した。(続く)
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