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K. カール・カワカミ 著、 福井雄三 訳
「シナ大陸の真相:1931−1938」 展転社 2001 (Originally published in 1938 under the title of “Japan in China” by publisher, John Murray in London)
要約担当:目良浩一
この図書は、1930年代の日本国軍や企業などが満州を含む中国で、条約や協定を無視する中国政府の対応の下で、どのように活動をしていたかを詳述しているので、満州や北支における日本の行動を理解するうえで、貴重な資料である。特に、日本が九カ国条約に違反したとするアメリカの非難が、的外れであることが良く理解できる。
Karl Kawakami (河上清)は、山形県出身の日本人で慶応義塾、青山学院などで学んだ後、社会民主党(1901)を結成したが、同党が禁止された後、渡米し、K. カール・カワカミの名前でジャーナリストとして活躍した。彼は主にロンドンから英文で出版し、1919年に出版された Japan and World Peaceをはじめとして、この著書以前に10冊の著書を著した。超一流の知識人であり、優れた中国の観察者であった。この著書では、満州事変から日中戦争に至る間の期間の出来事を、明確に記述・分析している。
著書と翻訳書について
原著書には、著名な二人の推薦の言葉が掲載されている。一人は、前駐日英国大使ジョン・タイリーであり、もう一人は英国の海軍大佐センビル卿である。英国の著名人を選んだのは、米国人は中国に関して、直接の利害が深くかかわる国であるので、より中庸な、そして国際的経験の豊富な国の知識人を選んだものと思われる。
翻訳書には、二人の著名な日本人が前書きを加えている。東京大学の名誉教授、小堀敬一郎と枢密顧問官であった石井菊次郎である。要旨は以下の通り。
小堀桂一郎 中国とは普遍妥当的な条理の尺度が全く通用しないくにである。この図書は、対中国「歴史認識」論争の際に、われわれが有力な武器として使うことのできる材料の一つである。(日本語訳書への序文から)
石井菊次郎 中国は外国人の邪悪な点だけを指摘して、自分自身の間違いは何一つ認めようとしなかったのである。
西洋教育を受けた中国の外交官たちは、九カ国条約を日本が侵犯している、と言って声高に非難する。だが、彼ら自身の政府は、条約義務の尊厳を守ったためしがほとんど無いのだ。(序文から)
自序
中国の抱いていた計画は、国際的干渉を招くことによって日本を打ち負かし、卑しめることであった。ここに面積の小さな一つの国がある。他のどの国も及ばない程度人口が密集していて、天然資源が不足しており、食うや食わずの生活をしてる。最上の機会は移民達を待ち受けているような地域へ余剰人口を流出させることだが、それは欧米列強間の協定で禁じられている。産業と外国貿易を発展させることによって、自国の増大する人口を養っていこうと必死で頑張っているが、にもかかわらず、排他的な関税と外国(輸出の)割り当ての障壁に直面している。その輸出品は中国の市場から締め出されており、なおかつ、他の国へ参入することも妨げられている。(P.20)
第一章 モスクワから中国への軍事援助
1927年5月12日、百人以上のロンドンの警察官が金融街にあるソ連ハウスを急襲した。そこの金庫から中国での共産主義活動に関する多くの興味深い事実が明らかになった。ソ連工作員ボロディンが、中国内のソ連の活動を指示していた。
孫文は、ボロディンを通じてソ連からの支援を受けていた。モスクワは武器と弾薬を供給しただけではなく、広東に軍官学校も設立して、蒋介石を校長に任命した。また、モスクワは、北部の 玉祥将軍のために騎馬隊学校も設立した。そして、学生に革命的・共産主義的思想を植え付けた。
第二章 中国紅軍の成長
1926年9月には、蒋介石は揚子江流域まで前進し、国共合作政権を樹立した。1927年7月には、南京に政府を設立し、共産党員を追放した。しかし、毛沢東の率いる紅軍は、江西省、湖南省、河南省において60万人余を殺害し、革命を進めた。
第三章 コミンテルンと国民党の同盟
1923年に国民党が再編された時に、孫文はコミンテルンをモデルとして再編した。ソ連は、中国の内部不和をさらに推進する計画を進めた。モスクワは、中国の革命に、民族主義的な性格を付与するようにし、国民党の支援をした。もちろん、国民党の中に共産党員を送り込んだ。しかし、1927年に、蒋介石は上海の財界から支援を受けることになり、共産党との関係を打ち切った。
1936年に蒋介石が、部下の張学良によって西安で捕らえられ、蒋介石は共産党に協力することを強要されて、それを誓約した。1937年8月21日に、中ソ不可侵条約が締結される。それによって、ソ連は中国に軍事援助をし、国内でのコミンテルンの活動を認可。その条約には、日支紛争に国際的干渉を招き入れることが明示されていた。
第四章 日本、赤色帝国主義に直面す
ソ連政府は、1923−1927年にかけて、コミンテルンを通じて中国に金と武器を注ぎ込み、暴力、暴動、暗殺、殺人、ボイコットなどで、反日運動を盛り上げた。中国を混乱させ、それが日本での資本主義の崩壊につながるとの考えである。ソ連は、伝統的なロシアの東方進出を狙っている。
第五章 日本は、侵略国か、それとも権利を侵された国か
過去40年にわたり日本が中国で、また中国のために戦ってきた記録を詳細に調べれば、日本は中国に対する大きな権利を侵害された。
1894年の清との戦争は、極東全体を帝政ロシアに侵食される危険から守るためで、暗愚で、腐敗し、混沌とした朝鮮を助けることが目的で、日本は朝鮮を改革しようとした。それを中国が宗主権を持ち出して妨害した。そこで日清戦争が起こった。中国は、西洋諸国の干渉によって、活路を見出そうとしていた。
日本の「21か条要求」は、1915年に中国に対して提出されたが、それは中国があまりにも執拗に妨害政策を推進したためである。日本は単独でロシアを打ち負かし、中華帝国の土台を支えてやった。しかし、中国は日本に協力しようとしなかった。しかも、悪いことに中国は満州における日本の企業を無力にしようとして第三勢力と陰謀をたくらんだ。「21か条の要求」は満州における日本の権益を保護するための警告に過ぎないものであったが、中国側は日本の強制によって調印したと主張している。これは全く言語道断である。事実、アメリカ側は21ヵ条のうちの16ヵ条については、「何の異議もない」としている。問題のある残る5ヵ条は、日本側が撤回した。
ワシントン会議:この会議で日本は通常行われないような譲歩を中国に対して行った。山東における権利の返還とすでに中国政府から得ていた満州における権利の譲歩で、在留邦人の保護のための部隊の撤退である。更に、1915年に提出した「21か条要求」の第五グループの正式放棄も宣言した。日本は中国に対する敵対政策を変更し、協力の時代に入ることを願ったのである。日本は、この会議で表明したことを厳守した。
日本の対中国政策:幣原男爵は1925年に外務大臣となり、さらに中国との友好政策を推進しようとした。1925−1927年にかけて、反外国人暴動が揚子江南部に広がった。1927年3月24日日は南京暴動が発生、すべての外国領事館、外国企業などが略奪され、多くの外国人が殺害され、婦女子が暴行を受けた。この機会にも、日本は宥和政策を取り続けた。しかし、中国はそれに対して通商条約の一方的な破棄の通告で答えた。日本は中国に譲歩することによって、日中関係を新しい確固たる基礎の上に築こうとする日本の誠実な願望を中国人に確信させることができると幣原男爵は信じていた。彼は、この考えを維持したが、結果は出なかった。宥和政策は、中国人の自惚れを助長するだけであるのだ。中国は、法を超越していて、そうすることが正しいと思っている。
中国の条約侵犯:1923−1927年の間に活躍したソ連の工作員からの助言によって、国民党の考えは、前にもまして非友好的になった。以下のスローガンが用いられた。「打倒外国帝国主義」「打倒外国軍国主義」「打倒不平等条約」「打倒大英帝国」「打倒日本」。幣原は中国人の発想を全く理解できなかった。中国人は、幣原外交の宥和政策を日本の弱さのあかしと捕らえ、平気で条約を破棄したり、外交通告を無視した。満州事変に至るまでに中国が侵害した日中協定のリストは、少なくとも17に及ぶ。
1.1915年の条約の南満州で日本人に与えた土地を借りる権利の遵守を拒否
2.1911年に定められた日本人の経営する石炭鉱山の石炭の輸出税を勝手に四倍に引き上げ
3.1905年の北京条約議定書に違反して、南満州鉄道に平行した鉄道の建設
4.1909年の間島に関する鉄道延長の協定の発効を拒否
5.満州の中国の鉄道で輸送される日本商品への差別。これは「九ヵ国条約」違反
6.1915年の条約を無視して、大連港の返還を要求
7.1905年の協定を無視して、日本の警備隊の鉄道沿線からの撤退を要求
8. 1909年の協定を無視して、南満州鉄道沿線の日中共同鉱山事業に関する詳細規定の交渉を拒否
9. 1907年の大連港に関する協定に違反して、タバコへの差別的な高輸入税の適用
10.1905年の北京条約に違反して、鉄道建設に必要な土地の南満州鉄 道への売却拒否
11.1915年の協定に違反して、南満州の鉄道区域外に日本人が出ることを不可能にする秘密命令の発布
12.1909年の間島協定に違反して、朝鮮人を迫害
13.1896年の中露協定に違反して、南満州鉄道沿線区域内で、不法な税金の取立て
14.満州国と南満州鉄道の協定に違反して、タオナン・アンガンチー鉄道に日本人の採用を拒否
15.日本人が資金を出し、中国人が経営している鉄道で日本人のスタッフが協定で決められた監督権を行使することを拒否
16.撫順産出の石炭から南満州鉄道が頁岩油を製造することに抗議
17.日系資本の鉄道の売上金の着服。この売上金が平行しいて走る鉄道の建設に使用
これらによって日本人は満州地域での業務遂行に多大の不便を感じていた。その結果が、1931年9月の満州事変であった。(続く)
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