|
ジョン・アントワープ・マクマリー著、「平和はいかに失われたか」原書房、 1997
第二部 「極東情勢の展開とアメリカの政策」―マクマリーのメモランダム
要約者:目良浩一
アメリカは、日本が1930年代にワシントン体制から逸脱して、満州を制覇し、中国に圧力を掛けたことが、太平洋戦争を起こす原因になったとする傾向があるが、米国外交官の中にも、マクマリーのように、中国がワシントンで合意した九カ国条約の諸条例を無視したことが問題の根源であったとする見解があった。このような見解は、中国通の外交官には受け入れられたが、国の指導者には、面白くない見解であった。
北岡伸一による「はじめに」
ワシントン体制の崩壊を最終的にもたらしたものは、言うまでも無く満州事変であった。しかし、マクマリーは、ワシントン会議における諸条約を無視した中国の政策と、それに迎合したアメリカの政策が、1920年代の後半にワシントン体制の精神を掘り崩してしまい、それが日本の武力行使を招いたとしている。
序文
米国の極東政策の基盤と目標は、1925年から今の1935年までの事態の展開を振り返って、再検討する必要性がある。
第一に注目すべきことは、1931年の満州事変、その後の北支への侵攻、国際連盟からの脱退、1934年のワシントンならびにロンドン軍縮条約の破棄通告に見られる日本の自己主張である。日本は極東を支配しようとしている。
次に、ソ連は極東ロシアの軍備を再強化し、政府は世界革命の推進を目指し、共産主義の原理を中国で宣伝することにかなりの成功を収めている。中国にはナショナリズムが成長してきている。これが、共産主義者顧問たちの指導で、衝撃的な反抗と自己主張に転化してきた。ワシントン条約は、1925年以前の極東の状況のもとでは関係諸国の協力を得られたが、現在の状況の下では、国際間の緊張緩和の手段として役立たない。再検討が必要である。
1. ワシントン会議以後の極東情勢
この体制は、参加各国の協力を必要とする。中国政府は関係各国の努力に参加すると誓約した。日本政府は申し分なく誠実に約束を守っていた。この体制の成功は、中国と英国と米国の手に握られていた。しかし、この協力が失敗した。
2. 中国激動の期間(1922−1926)
条約の効力発生が3年遅れたが、その間に重要な変化が起こった。ソ連が第三インターナショナルの政策を実行するためにボロディンや他のソ連の政治顧問たちによって、中国などの半植民地諸国を目覚めさせる動きが浸透し、孫文を含む国民党指導者は中国を帝国主義の隷属から解放するのはソ連であると唱えるようになった。1925年には、中国の各地で外国人に対する凶悪な暴動が発生した。特に英国人が狙われた。その年の秋に北京で開催されたワシントン関税条約の規定の改正のための「特別関税会議」では、中国の代表は自国の国際的な義務を極端に無視し、激しく挑戦的な態度をとった。関税自主権を主張し、ワシントン会議の諸条約および諸決議についてそれを無効とし、または軽視する発言をした。すなわち、ワシントンで合意した協力体制を挫折させたのは、ほかならぬ中国であった。英国は新しい中国の要求に対して、かなり否定的な反応をしたが、米国と日本は中国の要望をできるだけ入れるような反応を示した。1926年の秋までこのような協議が継続された。
3. 中国民族主義者による動乱の時代
中国の国内政治の変化により関税会議への中国の参加が不可能になった。小規模の権力者集団の中から二つの主な集団が現れてきた。元匪賊で粗暴で反動的な軍事独裁者、張作霖のグループと中国南方から出てきた、孫文で、ロシア人政治顧問の助けでもって国民党が形成された。列強は北方派を中国の永続的勢力とは認めなかった。南方派は、大衆の支持を得ていたが、外国人の特権に対する憎悪感を煽っていた。英米では南方派に対する同情が高まった。アメリカ人はそれが共産主義者の支援を受けていることを承知していたが、一般市民はそれにを気にかけなかった。この近親間の背景には、米国政府が列強の要求から中国を守ってきたという自負の念と布教活動を通じての長年の経験があった。この近親間はまず、クリスチャン将軍といわれたフウ将軍への支持となり、彼が失脚すると、国民党の支配者、蒋介石への支持となった。彼は、中国のジョージ・ワシントンとみなされた。
しかし、中国には、1926年当時、正常な国際関係を処理できる政府が存在しなかったが、広東政府はワシントン条約を無視して、自己の支配下にある地域に輸入品に対する付加税を課した。これに対する列強諸国の足並みはそろわなかった。特に英国は中国に迎合的で、条約改正の正当性に理解を示し、現存の条約の不履行も黙認する態度を示した。その一ヵ月後の1927年1月27日には、米国も公式声明を発表して、米国も中国の要求に理解を示した。中国では、暴力的行為が頻発した。蒋介石は、党内抗争に勝利し、広東から揚子江沿岸に向けて進撃した。北伐である。進軍の前には、政治局員が農民を、「これは長い間中国の農民を貧困にとどまらせた外国人の桎梏から解放する戦いである」と説得した。蒋介石は快進撃を続けた。1926年末に漢口に首都を置き、1927年3月には南京に近づいた。このとき国民党の軍隊が外国人を襲撃したので、列強の国民党に対する信頼は、揺るがされた。いつでもどこでも暴動が発生しそうな気配がただよってきたので、1927年末には宣教師も布教活動をやめ、商人たちも活動を中止し、故郷へ帰るか、天津か上海に避難した。この事件に対して五大国(米、英、仏、伊、日)が1927年4月11日に共同声明を発表し、指揮官の処分、最高指揮官による謝罪、損害の補償などを要求した。武漢〈漢口〉政府はそれに対して、基本的な問題は「不平等条約」にあるとして条約改正を主張した。その後の交渉は英国公使が行ない、協定が成立したが、その内容は米英の寛大さを示すもので、国民党の思い上がりに迎合するものであった。このような寛大さは、米国の伝統的な国際協調主義に反するものである。その一例は、ベルギーが中国との条約の改正を交渉しようとしたときに、中国から不当にも破棄を通告されたが、米国はベルギーの主張を支援しなかった。
同様に日本が1896年と1903年に締結された日清条約の破棄を中国が一方的に宣言したときに、米国は関与しなった。この条約の改定期である1926年に、中国は抜本的な改正を要求し、六ヶ月以内に合意に達しない場合には、失効すると一方的に宣言した。交渉は長引き、1928年の夏に南京政府は両条約は失効したと宣言した。日本はワシントンに外務大臣を送り、アメリカの態度を打診したが、米国政府は、冷淡であった。その原因は、多分に反動的な田中義一内閣が日本の政権を握っていたことであった。彼は幣原外交の軟弱さを非難した。また、済南に居住する日本人を守るために日本陸軍の大部隊を山東省に派遣した。そこで蒋介石軍との戦闘が起こったが、小規模の戦いにとどまり、終結した。その後、蒋介石の北伐は成功し、まもなく彼は華北の支配者になった。しかし、この事件は、日本が国民党軍の華北制圧を抑えるために企んだのではないかのとの憶測が広がり、外国人排斥の矛先は、英国から日本に転化し、反日ボイコットが中国全土に広がった。米国では、国務省もマスコミも日本に敵意を持った解釈がなされた。
この件はジョンソン国務次官補の1929年2月19日付けの覚書で、結論付けられたが、ワシントン会議の精神に反して、「現在の協定で想定されていない新しい形の共同行動に関する提案については、各国はこれに検討を加えながら独自の決定をする自由を有する」と結論付けられた。そして日本の主張に反して、中国のやり方は「国際水準の最高の基準」に合致しているとされた。この回答は日本政府に対する拒絶であった。
1928年7月25日、米中間に中国の関税自主権を認める新協定が結ばれたが、関係諸国には、寝耳に水だった。これは同時に米国が南京政権を認めることも意味した。これに応じて、他の列強も同様の協定を結ぶことになった。治外法権については、中国は即刻の全面撤廃を主張したが、その交渉は満州事変で中断された。
満州の支配者であった張作霖を日本人が暗殺した理由は分からない。彼の後継者である張学良は、日本人にとってはやりにくい相手であるからである。しかし、その後1931年に満州事変が起き、満州国が作られた。「日本をそのような行動に駆り立てた動機をよく理解するならば、その大部分は、中国の国民党政権が仕掛けた結果であり、事実上中国が「自ら求めた」災いだと、我々は理解しなければならない。」「そして中国に好意を持つ外交官は、中国が、外国に対する敵対と裏切りを続けるなら、遅かれ早かれ一、二の国が我慢しきれなくなって手痛いしっぺ返しをしてくるだろうと説き聞かせていた。。。中国のそうした振る舞いによって、少なくとも相対的に最も被害と脅威をうけるのは、日本の利益であり、最も爆発しやすいのが、日本人の気質であった。しかし、このような友好的な要請や警告に、中国はほとんど反応を示さなかった。。。。国民党の中国は、その力を挫かれ、分割されて結局は何らかの形で日本に従属する運命となったようにみえる。
4. 現在(1935年頃)の状況
現在の状況を見ると、中国は日本の支配かにおかれる状況であり、米国はそれに対して無力である。中国に対する今までの政策の継続はいたずらに摩擦を激化する。日本の中国支配に反対すれば、必ず日本との戦争となる。この戦争は、避けるべきである。するべきことは、ワシントン条約の精神を維持して、米国の尊厳を守るが、米国は静かに、徐々にアジアから引き上げることだ。中国にゴマをすることをやめて、日本には媚もせず挑発もせず、公正と共感を持って対処しよう。
以上
|
全体表示
[ リスト ]





