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今後100年の日韓関係(その3)
両国による今後の協力関係
さてここで、私は両国の政府、企業そして個人などが将来においていくつかの分野で協力することを提言します。今の時期は将来の協力について考えるには、最適な時期である。それは、過去の悪い記憶はかなり彼方のものとなり、両国間に協力の基礎ができてきているかららです。より正確に表現するならば、「強烈な憎悪」、「恨み」や「軽蔑」が少なくとも部分的に「好意」、「中立」や「尊敬」によって置換されてきているからであります。両国の人々は、いまや同等のパートナーとして協力する用意ができていると思います。
さらに、協力は極めて望ましいものであり、両国の人々の幸福のために必要なものであります。私は、四つの分野における協力について述べます。それは、教育、文化、経済、そして政治の分野であります。
教育の分野では、日本の中学や高等学校の生徒は自国の20世紀前半の歴史を教わっていません。全く不当なことです。[i]その結果、日本の若い世代はその時期の日韓関係についての正確な知識を持っていません。おそらく、それについて学んだことは、「日本が侵略者であった」ということくらいでしょう。しかし、これは、極度に間違った知識で、より正確な知識を生徒には与えるべきです。韓国の方では、この期間には日本は日本国の利益のために朝鮮をとことんまでに利用したと生徒は教えられています。これも歪曲された歴史です。両国は、若い世代に対して、事実に基づいた、まじめな研究の成果を取り入れた歴史を教えるべきです。両国における歴史教育は今後改善されるべきです。この過程では、アメリカなどの第三国の学者などを招いて行うことも適切でしょう。
この両国は、宗教、言語や行動様式において、程度の差こそあれ、北東アジアの伝統を共有しています。我々は共に、過去においては、儒教、仏教、漢字の使用や特定の社会的な階層性や組織の構成などにおいて共通のものを持っていました。近年においては、西洋やアメリカの文化の影響を受けて、これらの事情はかなり変貌してきました。しかし、この両国は下記の点で同じ過程をたどってきました。両国は、民主主義を固持し、原則的な言論の自由や女性の権利を守っています。若年層と老年層の間では、行動様式にかなりの相違があります。若年層は、伝統的な縦社会的な生活様式と西洋的な上下関係の無い生活様式の間で、新しいものを求めています。若い人たちを交流すれば、彼らが現在の世界により適合した生活様式を見出すのに役に立つでしょう。学校間で学生・生徒の交流をすることが望まれます。
経済の分野では、両国間には物資やサービスの交流について今では、ほとんど制約がありません。しかし、今でも他方の国から輸入することに対して精神的な抵抗がある場合があります。例えば、自動車の場合には、つい最近トヨタが韓国に導入さましたが、現代自動車はまだ日本には、入っていません。両国共に、他方からの輸入を受け入れるべきである。アメリカで見られるように、それぞれの国でトヨタ、ホンダ、日産、現代、キア、サムソン自動車が入手できることが望ましいと思います。人々は、自分のために、これらを比較して購入する機会を与えられるべきです。二つの市場の統合は、生産者にも、消費者にも多大の便益を与えることになります。この両国は文化的にも、生活様式においても共通性が大きいので、一方の市場で捌けるものは、他方の市場でも受け入れられます。このことは、南カリフォルニアの市場で日常的に見られることであります。韓国系のスーパーは、日系の買い物客にも重宝がられています。両国は、輸出入への制限や関税を撤廃や軽減する経済提携の合意を正式に締結することが望まれます。
さて、相互協力のもっとも重要な分野は、政治的、防衛的な問題です。両国は政治理念として共通のものをもっています:民主主義です。これは非常に重要なことです。この二国に隣接した国は、中国と北朝鮮であり、それは明白に異なった政治理念をもっています:共産党による支配である。計画経済を堅持してきた中国は、1978年以降、市場経済に移行してきました。しかし、その政治組織は変わっていません。アメリカを含む西側の多くの国は、中国の市場経済化を歓迎し、そこで製造した低価格の品物にこの数十年依存してきました。しかし、両国は、中国の国際的な場面での政治的な動きに細かく注目する必要があります。事例を挙げますと、中国は日本の尖閣諸島の領有権を主張していますが、それはその近海の海底に天然ガスや石油が大量に埋蔵されていることが判明してからのことであります。それ以前は、実質的に日本の領有権を認めていました。最近、中国の漁船が日本の領海に侵入し、日本の監視船に破損を与えたことで、監視船員が漁船の乗務員を逮捕した件で、日中間で緊迫した状態になっています。しかし、韓国はこの問題に対して、毅然たる態度をとり続けています。韓国は領海に侵入してきた中国の漁夫は逮捕し、罰金を課してきています。中国はそれに対して、抗議はしていません。日本は韓国に学ぶべきです。[ii]
同様なことは、北朝鮮、朝鮮人民共和国についても言えます。この国は、核爆弾の製造能力を持っているし、独裁体制にあります。市場経済は許されていません。この国は、今年の初めに韓国の領海内で、その軍艦を沈没させたことが明らかになっています。さらに、近年は北朝鮮はミサイルを日本列島越に飛ばせて、日本を威嚇している国です。
防衛に関しては、両国は共通の同盟国をもっています:アメリカです。この強大国とそれぞれの国は、防衛協定を持っています。しかし、この二国は、北朝鮮や中国から攻撃された場合に、どのように対処するかをより緊密に協議すべきであります。中国は、軍事的に強くなればなるほどに、当然この国が主張すべきでないことを主張してきています。現在、中国は、黄海は自国の領海であると言明して、黄海内の公海での米韓海軍の演習の実施を退けています。このような中国や北朝鮮の要求に対して日韓両国は共通の課題に直面しています。日韓が一致団結して対処すれば、その力は極めて強力になります。
この両国にとって、第一に、まずもって行うべき緊急の課題は共産主義の隣国に対して軍事的、防衛的な結合をなすことであります。もちろん、米国とは親密な同盟国としての関係を維持することが必要です。私は、この緊急な課題が今後100年継続することを望むものではありませんが、来る2・30年間は極めて重大な課題であると思います。
ご静聴、ありがとうございました。
[i] この時期の歴史が放置されている一つの理由は、20世紀前半の日本役割について教育者の間で合意がされていないことである。あるグループは日本は侵略者であったとし、他のグループは日本は自衛のために戦ったと解釈している。 参考文献
Bess, Michael (2006), Choices under Fire: Moral Dimension of World War II. Alfred Knopf.
Breen, Michael (1998), The Koreans, Thomas Dunn Books.
崔基鎬 (2004), 「日韓併合」、祥伝社
Cumings, Bruce(1997), Korea’s Place in the Sun: A Modern History, Norton.
歴史教育研究会(日本)・歴史教科書研究会(韓国)(2007)、「日韓交流の歴史」 明石書店
深田祐介(2004)、「大東亜会議の真実」、PHP新書
金完燮, (2006)「 親日派のための弁明2」、扶桑社
黄文雄, (2007) 「韓国・北朝鮮を永久に黙らせる100問100答」Wワック
呉善花, (2000),「 韓国併合への道」、文春新書
Park, Soon-won (1999), Colonial Industrialization and Labor in Korea, Harvard University Asia Center
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日本の現近代史
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第一回在米韓国歴史会議
次の100年を展望する
基調演説
今後100年の日韓関係(その1)
2010年10月29日
ロス・アンジェルスにて
目良浩一, Ph.D.
緒言
この会議の主催者諸氏、出席者の方々、ここで皆様方に今後100年の日本国と韓国の関係についてお話をする機会を与えられたことにを光栄に感じますとともに、特別の権限を与えられたように思います。このテーマは私の永年の深い関心事であります。私はここで、韓国側からこの会議の申し出があったことに対して、この会議の主催者を祝福したいと思います。それは現在の韓国や韓国系米国人の態度を反映したもので、日本や日系の人たちよりも前向きなのです。
まず最初に、私の個人的な背景を述べさしていただきます。私は日本人の中では、韓国好きなほうです。私と韓国の関係は、1933年に遡ります。その年に、今はソールといわれている当時の京城に、日本人の親から生まれました。私の祖父は、そこでサイダーの会社を経営していました。ご存知のとおり、当時は朝鮮は日本の一部でした。私は南山や竜山に近い三坂小学校に通っていました。今でもソールにおける生活を懐かしく思っています。そして、1945年に他の日本人と同じく、家族ともども朝鮮を離れ、日本に移住しました。父の故郷である九州に行きました。そこでなじみの無い土地で新しい生活をすることになりました。後に、東京へ出て大学に通い、さらにその後で米国に来て勉学を続けることになりました。
次にソールへ行ったのは、世界銀行の大韓民国への都市開発使節団の一員として訪問した1970年でした。そこで私はソールが大きく変貌しているのを目撃しました。都市は大きく拡大していました。そして、人々は昼夜を通して働いていました、本当に昼夜を通してです。私はソール市の市長さんと市の将来について話す機会がありました。そのときに市長はこの職についてから一日の休暇もとっていない、週7日の勤務が続いていると話してくれました。さらに、ポハンに新しく設立された現代造船所に行きましたら、その会社の重役はここでは皆一日20時間働いていると語りました。その後、韓国にはしばしば訪問しました。一番最近の訪問は、2008年で、南カリフォルニア大学のエクゼクティブMBAの学生を引率してサムソン・エレクトロニック、現代自動車、ポスコ、ハナ銀行や大韓航空などを訪問しました。これらの経験豊かな大学院学生も、これらの会社の経営手法に深く感銘していました。私は、韓国は訪問するたびに、以前に訪問したときよりも洗練されていますと、皆様に申し上げることを喜びとします。さらに、私は著名な大学で教えていた韓国の友人がいますし、南カリフォルニア大学で教えたことのある多くの韓国の学生との接触があります。彼らは優秀な学生で、かなりの人は今は世界各地の大学で教鞭をとっています。
過去100年の日韓関係
今年、われわれが日韓関係の今からの100年を議論するひとつの理由は、100年前の1910年に、日本が朝鮮半島の全部を併合したからであります。このことについては、国によって違った解釈がされています。多くの韓国人はそれは日本帝国による朝鮮への過酷な植民地政策の始まりであると理解しています。多くの日本人は、それは北からの、主にロシアの、侵略の脅威に対する朝鮮および日本に対する必要な防御手段であると理解しています。これは、大いに議論が分かれる問題であり、ここでは異なった意見があることを述べるだけにとどめておきます。
しかしながら、19世紀から20世紀の初めにかけては列強が弱小国を軍事力で植民地化した時代であると述べることも正当でありましょう。ロシアは東に進出し、満州や朝鮮を視野に入れていました。イギリス、フランスやドイツはヨーロッパ外の、特に東アジアで、また中国の内部に、領土や各種の特権を獲得しようとしていました。アメリカは、ハワイ諸島を併合し、1898年にはスペインからフィリピンを獲得しました。日本は、1853年に米国から開国を強要され、政府は仕方なしにその要求に応じました。[1]しかし、その際に、列強の圧力に抵抗するためには、強い軍事力が必要であることを悟りました。日本が朝鮮を併合したときには、日本は列強の地位に近づいていました。しかし、日本の朝鮮の併合は通常の植民地化ではなかったことを思い出してください。朝鮮の人たちは差別されていたと感じたかもしれませんが、日本人と同じ権利を与えられていたのです。朝鮮人の中には、国立大学に受け入れられた人もいて、政府の公式の職員になった人もいました。併合に対しては、朝鮮の政府は公式に合意をしたのです。しかし、もしその時に朝鮮の人々が意見を表明する機会があったとすれば、多くの人は同意しなかったかもしれません。
われわれは、歴史を長期的な観点から見ることが必要です。日本と韓国は数千年に亘る関係を持っています。特に韓国の南部は日本と深い関係を持ってきています。あるときは、一方が優れた文化や武力を持ち、別の時には他方がより強力でありました。朝鮮は日本に、文化の基礎になる漢字、仏教、陶芸技術などを提供したと言われています。より近い過去においては、逆の流れがしばしばあでありました。長期の歴史の中では、両国の相対的な地位は変化します。そして、実際に変化してきています。歴史には、周期的な動きがあります。それについて今から述べましょう。
日本の場合
ただ長崎だけを例外として鎖国をした徳川時代の日本(1603−1868)は、独自の文化を築きあげ、19世紀末に米国や他の列強に対峙したときには、軍事力を強化することによって外敵から国を防衛することにしました。日本はロシアが極東を支配することを拒否して、1904−1905年にロシアと戦いました。1910年には、朝鮮半島の政情を安定するためにそれを併合しました。日本は併合した領土内の生活を向上させるために、最新の知識を提供しました。韓国や他の国の学者や評論家の中には、併合時代に朝鮮は識字率の向上、交通網の改善、衛生状態の改善、法による統治など、日本政府は朝鮮に各種の便益を提供したと主張している人がかなりいます。[2]しかしながら、韓国人の受け取り方は異なっています。私は、韓国の人々が学校で、日韓併合の時代は朝鮮にとって暗黒の時代であったと教えられていることを存じています。朝鮮の人々は、当然のこととして、自分の国の支配を自分で行おうと欲したのでしょう。この時代に、日本が狙っていたことは、アジアから西洋の列強を排除することでした。日本が西洋の列強に圧迫された結果として、日本は連合国を相手にして、1941年から1945年まで戦争をしました。当初は、日本は目的を達成しかけていました。日本政府は、1943年に大東亜会議を開催しました。[3]それが、日本の力の頂点でした。しかし、1945年には、硫黄島や沖縄での壮烈な戦いに敗れ、日本は連合軍に降参しました。
戦後、日本は苦難の道を歩みました。しかし、やおら経済力を回復し、ソニー、トヨタ、ホンダやミツビシなどの世界的に知られる会社も出てきました。経済成長の絶頂には、10%の成長率も達成しました。20世紀の末頃には、次の世紀は、「日本の世紀」であるとも言われました。しかし、1990年から経済は、急激に下降の道をたどり、日本はまだ「失われた20年」から脱出していません。
従って、日本は過去100年の間に1943年と1990年の二つの頂点を持ったといえましょう。第二次世界大戦での失敗は、多くの要因があると思いますが、基本的には、日本政府の誤算でした。1990年以後の経済の衰退の主な要因は、自己満足、すなわち、目的意識の喪失です。1945年以来、日本国民は極めてまじめに励みました。最初は、単に生き延びるためでしたが、そのうちに当時の先進国に経済的に追いつくために努力したのです。この「追いつけ、追い越せ」の目的は、1985年に米国がニューヨークのプラザホテルでG-5の蔵相会議を開催して、アメリカ経済を助けるために、円とマルクの切り上げを相談しようと呼びかけた時には、完了していたのです。これは「プラザ合意」といいます。その直後に円の価値は100%近く上昇し、日本の不動産価格は高騰しました。その結果、1980年代の終わりには、東京の中心にある宮城の不動産価値は、カリフォルニア全体の不動産価値に匹敵すると言われました。日本の企業は、米国の都市にある著名な不動産を買占めようとしました。ロックフェラーセンターが一例です。このようにして、日本は、長く汗して稼いだ資産をかなり失いました。一度、「追いつけ、追い越せ」の目的が達成されると、日本人は共通の目的を喪失してしまいました。しかも、日本の人口は年老いてきて、また国内で製造して輸出するには賃金水準が高すぎるようになりました。経済成長への熱意が冷めると、なかなか戻ってきません。今でも、日本の人々は、豊かであり、高度に成長しているという満足感に浸っていて、国の経済や政治的な改善のために懸命に努力をしようという意欲がありません。これは、1979年にマーガレット・サッチャーが出現する前の英国病と同じものです。現状では、日本は発展の周期の下降の時期に置かれています。人々は、現況に満足しているわけではないのに、正しい解決策を見出せないのです。
[2] 韓国の著者はこれらの主張が一般の韓国人の認識と異なり、このような主張をすれば韓国の熱狂的愛国者から暗殺や身体への攻撃を受けることを承知で書いている。これらの著者には、パーク・スンヲン、呉善花、崔基鎬、金完燮などがいる。パークは、朝鮮で20世紀前半に稼動していた小野田セメント工場を詳細に観察して、当時の朝鮮には、工業技術と生産のための規律がある層の勤労者に拡散した状態があったとして、それを植民地的近代性と称している(Park、1999)。呉は、李朝末期の朝鮮の近代的変化に対する準備不足が、日本による併合を招いたとしている(呉、2000)。崔は、他にもいろいろあるが、日本統治時代には、朝鮮の総督府の収入の3分の2は、日本から持ち込まれ、学校の数は、150から5000に増え、朝鮮の人口は、1910年から1943年までに倍増したとしている(崔、2004)。金は、1936年以前に朝鮮に生まれた人の99%は、日本の統治の時代の方が良かったと答えたとしている(金、2006)。その他に、非韓国人も同様な主張をしている。例えば、Cuming(1997)は、「開発的植民主義」という言葉で、日本政府の朝鮮に対する工業プロジェクトの実施や、教育や基盤整備による意識的な日本の朝鮮への開発努力を表現している(pp.162-174)。Breen(1998)も朝鮮に対する日本の政策を「開発指向」という言葉で表現している(p. 104)。台湾出身の黄(2007)は、日本が併合しなかったら、朝鮮の発展はかなり遅れていたであろうとしている。
[3] この会議は1943年の11月に東京で開催され、満州、中国、タイ、フィリピン、ビルマ、インドと主催国である日本の代表が出席した。「大東亜共栄宣言」が11月6日に発表され、参加国は、以下の目的を持って協力することが誓われた:西洋の支配から開放すること、相互の協力によって安定と安全を維持すること、各国の独立を尊敬すること、各国の伝統と創造的文化を尊敬すること、人種的な差別を撤廃すること、そして、大東亜共栄圏内での文化の交流をすること(深田、2004、p.131-136)。 |
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講演 長谷川毅教授による「日本の降伏とその背景」#4 |
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講演 長谷川毅教授による「日本の降伏とその背景」#3 |
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講演 長谷川武教授による「日本の降伏とその背景」#2 |





