曇のち晴

ブログの継続か終了か? 思案中

私の音楽体験

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

私の音楽体験(4)

p { margin-bottom: 0.21cm; }

 私の音楽体験記事は,200712月を最後に,以来,ちょうど9年が経過しました。

 これまでは,どちらかというと,クラシックとの出会いやジャズとの出会いも含め,そのいきさつなどを書きましたが,その後,ジャズへの理解が深まったことによって,マーラー以降の20世紀音楽にそれほど抵抗感なく聴けるようになったことが,音楽鑑賞上の大きな成果となっています。
 それは,一口にいえば,時代が近いということもできますし,ジャズのミュージシャンの多くがドビュッシーとか20世紀の作曲家の影響を受けていることもあると思います。
 また,20世紀は,どちらかというと,作曲不振,演奏上位といわれておりますが,今世紀に入った今もそうでしょう。
 それは大体19世紀までは,作曲家がどういう作品を書いたか,ということに人々の関心を集めていましたが,20世紀に入ってからは,特に複製技術の発展と相まって,過去の作品よりも,過去の作品をどのように演奏したかということに人々の関心が移っていったこともあるからでしょう。
 裏を返せば,もはや過去の大作曲家の作品ほど,人々に感銘を与えることが難しくなっていったということもあります。
 特に,戦後の現代音楽は,一部LPCD化されたものを除き,殆ど大衆が耳に触れることなく,専ら戦前までの名曲を中心に,今日ほど,これでもかというように多くの演奏家がコンサートを開き,あるいはレコーディングする時代となっていることからすれば,それは明らかです。
 戦後に開花したモダン・ジャズについていえば,作品に相当するテーマ曲を,単に演奏するための肥やしに過ぎないものとし,それによっていかに演奏するかが注目されたことは,ジャズも演奏という点で,同じ基盤(時代背景)が生んだ芸術だったといえます。
 20世紀のクラシック音楽の中には,もうすでに五線譜はやめて,図形楽譜とか,いくつかの断片(モチーフ)を提示して,どういう順番に弾いてもかまわないというように,演奏者の自発性に委ねるというような作曲方法もでてくるようになりました。
 このことは,まさに作品(作曲)に対する関心よりも,演奏そのものが芸術として注目される時代となったという象徴的な表れではないでしょうか。
 ジョン・ケージという作曲家は,チャンス・オペレーションなる音楽(偶然性の音楽)を1950年代になって考案したのですが,これはモダン・ジャズと非常に似通ったスタイルの音楽のようで,ケージがアメリカの音楽家であったという点でも同じ時代背景から生まれた芸術ではないでしょうか。
 さて,19世紀は主としてベートーヴェン〜ワグナーといった作曲家によるドイツ・ロマン主義が主導権を握っていた時代だったわけですが,19世紀も後半,20世紀近くになると,1883年のワグナーの死に象徴されるように,その後は,印象主義,表現主義,原始主義,神秘主義,騒音主義といった音楽上のイズムが台頭し,一極集中といった時代は終わったわけですが,モダン・ジャズも50年代まではビ・バップ〜ハード・バップが主流だったが,50年代末から60年代になると,ファンキー・ジャズ,ジャズ・ロック,モード・ジャズ,フリー・ジャズなど,様々なスタイルのジャズが生まれ,こちらも一極集中の時代が終わったわけで,歴史は繰り返すというわけではありませんが,実に似通った経路をたどったと思います。
 因みに,表現主義の立場をとったシェーンベルクは,やがて十二音技法という作曲方法を発見し,「これで今後100年間のドイツ音楽の優位が保証できると思う」と語っていたというエピソードがあります。
 その十二音技法による音楽は,弟子のウエーベルンによって更に深化発展させられ,後期ウエーベルンの作風は,第二次大戦直後の作曲界のスタートとなって,やがて,ミュージック・セリエルといったスタイルの音楽を生んでいったということは,周知のとおりです。
 しかし,そのミュージック・セリエルといった音楽は,1950年代までが最盛期とされ,その後様々なスタイルの現代音楽が生まれていることは事実であるので,ミュージック・セリエルだけが現代音楽だとはいえない状況となっております。
 因みに,表現主義とは,20世紀初頭,印象主義に対する反動として絵画を中心に起こった芸術運動の概念を音楽に転用したものといわれ,音楽上は,内部から外へと独自の感情世界を主観的に表出することを主眼とした,主にゲルマン系の運動だとされています。
 さて,ここから,わたくしの独断と偏見,ないしは思い込みという,およそ学説とは縁もゆかりもない珍説・俗説?を開陳し,思いつきだという批難のそしりを免れないことを覚悟で,大雑把なところでいわせていただきますと,まず,表現主義に至るルーツといいますか,その萌芽は,ベートーヴェンの後期の作風にあるのではないかと思われます。
 ご存知のとおり,ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲は,晩年におけるベートーヴェン個人の心情の吐露といった感が色濃く表れていると思うからです。
 この晩年のベートーヴェンの血統を継いだのが,ワグナーという作曲家で,劇というストーリーの中で人物の心理描写を音楽的に行っているからです。
 また,ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲には,無限旋律(広義には,リズム的・和声的な段落感・終結感をもたない,自由な旋律一般をさす。)というものも表れているといわれ,無限旋律で有名なワグナーが,ベートーヴェンの後期の作風を研究?あるいは参考にしたのではないかと思われます。
 そのワグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」は,半音階のおばけともいわれ,半音階を駆使したことにより,調性感のあいまいさを生み,これがシェーンベルクらの無調音楽に繋がっていった,ということは,よくいわれていることです。
 一方,ベートーヴェンの第九交響曲のような大管弦楽は,ベルリオーズの幻想交響曲を経て,マーラーなどの大掛かりな交響曲へと発展していきましたが,そのマーラーは現代音楽への道を開いた人だともいわれております。
 マーラーの音楽は,調性音楽の限界にも達し,交響曲第10番(未完)のアダージョは,無調の世界と隣り合わせとなっている感じがいたします。
 また,音楽の中心が次から次へと様々な楽器(群)へと目まぐるしく移ったり,異なる旋律の併存などといったマーラーの多声音楽は,ある特定の調性感を弱め,これが調性の破壊に繋がっていったものではないかと思います。
 ところで,調性が確立されたのはバロック初期だとされ,以来,延々と機能和声を主体とした音楽が山ほど作曲され,様々なイズムやスタイルの音楽が生まれましたが,その結果,調性自体が否定されるような無調の音楽が生まれるに至ったことは,音楽の根幹に関わることだったと思います。
 わたくしは,以前,西洋音楽の発展史観というものを信じていたものですから,無調の音楽はさぞ素晴らしいものだと思い込んで聴いたところ,砂を噛むような思いをしたことがありました。
 ところが,無調音楽に慣れますと,無調も数々ある調性の一つ(無調という調性)だという感が否定できなくなりました。
 そのことからすると,1次大戦と第2次大戦間の音楽(現代音楽につながる音楽)は,後期ロマン主義(ベートーヴェンから地続き)だという音楽史観は,そのとおりだと思えるようになりました。
 さて,これまでのわたくしの音楽鑑賞上の革命は,2回ありました。1回目は,前回に書きましたマーラー体験です。
 マーラー以前の,例えば,ブルックナーにしろ,ブラームスにしろ,ザックリいうと,主旋律に対する伴奏的旋律で音楽が構成されており,主旋律さえ分かれば,伴奏的なものは,多少聴き逃しても,チンプンカンプンになることはないが,マーラーの場合は,主旋律が頻繁に移りかわり,どれが主旋律かも分からないというか,複数のモチーフが同時的に表れ,そういった鳴り響きの細部まで聴感上把握できないと楽しめないところがあります。
 だから,それだけマーラーを聴くには,集中力が要求されますが,そういう音楽に慣れますと,これまで聴いてきたブラームスなどの交響曲の伴奏部分がより一層把握できるようになり,全く印象が変わったことは,前回述べたとおりです。
 そういう観点から,例えば,ドヴォルザークの新世界交響曲。これなんかは,ある意味手垢のついた通俗名曲の誹りを免れませんので,クラシック・ファンの間で,「何だ,まだ君は新世界なんか聴いてるのか」といったように,ばかにされることを恐れて,本当は好きなんだけど,それがいえないというような存在の曲です。
 確かに,誰にでも分かり,そのよさがすぐに感じられる曲で,クラシック入門曲の最たるものの一つだといえますが,それだけに,すぐ飽きられてしまう曲でもあるようですので,マニアは見向きもしないといった向きがないでもありません。
 しかし,この曲の細部まで聴き取ろうとすると,容易ではないかもしれません。わたくしは,マーラー体験後,この曲の細部まで聴き取ることができるようになったため,これはドヴォルザーク最後の交響曲に相応しい凄い曲だという実感があります。これが分かると,曲と一体となり,完全燃焼することができます。
 だから,このマーラー体験が音楽鑑賞上の一つの革命(これまで聴いてきた曲が大いに見直され,分からないと思ったワグナーの楽劇も分かるようになるなど)となったわけです。
 因みに,作曲家の柴田南雄氏は,マーラーの第1番〜第4番までが,ワグナー的世界,第5番以降はシェーンベルク的世界といっておりますので,初心者は,4番までの曲から入られた方が無難かもしれません。
 さて,2の革命は,十二音音楽との出会いです。十二音音楽による効果は,マーラーを含め,これまで聴いてきた調性音楽をモノクロTVだったとすれば,それがカラーTVに変わるといったふうなのです。
 実に,これまでよりもなお一層,鮮やかに調性音楽が聴こえてくるというわけですが,そればかりでなく,調性が確立される前の多声ルネッサンスの音楽までもが分かってくるといった具合なのです。
 このように,2の革命を経た後は,ジャズにおいても,例えば,トリオやカルテット,或いは渾然とした集団即興演奏でも各楽器の聴き分けも,以前よりは容易となった感があり,今ではこれまでにない音楽の感動の新しいステージとなったという感があります。
 中学生の頃,アメリカン・ポップスを経てクラシックに目覚め,以来,浮気することなく聴き続け,おまけにジャズや十二音音楽といったものまで聴くようになったことは,当時としては,想像もつきませんでしたが,中学生の頃,ワグナーを聴かされ,「これはあなたには分からない」といわれたことが,くやしくて,何とか分かってやろうと思うバネとなったわけで,これが音楽鑑賞上大きな支えとなっています。
 音楽は出会いであり,それとどう向き合うか。好悪で判断すれば,その方向の世界に止まるし,これは何だろうと,真剣に向き合っていけば,新たな世界が開けると思います。
 初めてマーラーを聴いたときだって,十二音音楽を聴いたときだって,分からないと思った。
 しかし,その分からなかった音楽が分かってしまうと,不思議とその手の音楽がわかるようになっている自分に気付きます。
 新たな感覚を獲得したということなのでしょうか。後藤雅洋氏が「チャーリー・パーカーがわかるとジャズがわかる」といったのも同じことです。
 最後になりますが,体験に伴う具体的な個々の曲とかは,今後,別個にご紹介するとして,手前味噌ではありますが,ジャズとクラシックは,理解を求められる音楽の両輪であると思います。


私の音楽体験(3)

 グスタフ・マーラーに目覚めた頃は,専らリヒャルト・ワグナーやアントン・ブルックナーにも夢中になって聴いていたのですが,その後,主な流れとして,ロベルト・シューマンのロマンチックなところにも目覚めて,シューマンの器楽曲や室内楽をずいぶんと聴きました。

 また,ウイルヘルム・バックハウスによるベートーベンのピアノソナタ全集を聴いて,全32曲は全て傑作だなぁ思ったので,ベートーベンのピアノ・ソナタにも夢中となって,アルフレッド・ブレンデルやフリードリヒ・グルダの全集盤とグレン・グールドの選集盤やエミール・ギレリスの選集など様々な演奏も聴きました。

 特にグールドによるソナタ5番の第1楽章の激しさに感動して,その個性的なベートーベン演奏にはまってしまった。

 グールドの対位法的な感覚は抜群のものがあって,特にセバスチャン・バッハはその特質をいかんなく発揮したものといえます。

 とりわけ,ゆっくりとした瞑想的な雰囲気から始まる晩年のゴールドベルク変奏曲の演奏は,自分にとってバッハ開眼というきっかけを与えてくれたものといえます。

 これを機に,ゴールドベルクの様々な演奏を手当たり次第聴きまくりましたが,自分にとって,これを超える演奏に出合うことはなかったものです。

 この頃は,専らグールドによるバッハの器楽曲が中心となりました。バッハは表面的には単調な感じがあり,すぐに飽きてしまうような音楽で,抹香臭いという印象がありますが,グールドはこれに生命力を吹き込んだという感じで,実に生き生きとした音楽であることがわかったものです。

 グールドのゴールドベルクのデビュー・アルバムが出た時は,これまでのバッハのイメージと程遠い演奏であったため,これの素晴らしさが理解できず,ジャズ的だなどと批判はあったようだが,今はこの演奏に異議を唱える人はいない。

 バッハというと,バロック音楽の集大成ということですが,バッハに目覚めたことによって,アントニオ・ビバルディやゲオルク・フィリップ・テレマンなどバロック音楽の素晴らしさもわかってきたものでした。

 始めは,バロック音楽は単調な音楽だと思っていましたが,人間味溢れる感情豊かな音楽だと今では思うようになりました。

 まあ,マーラーに目覚め,クラシック音楽理解への一歩が始まってから,グールドのバッハ,バロック音楽までが,およそ20年位,その間,様々な作曲家の作品を聴いてきたものだが,その中心はドイツ・オーストリア系作曲家であったので,クロード・ドビュッシーやモーリス・ラベルなどのフランス系とジュゼッペ・ベルディなどのイタリア系は比較的馴染みが薄いところがあります。

 バロック音楽の快感に痺れていた頃,職場のジャズ好きの友人がいて,その影響からジャズを聴くようになって,今日に至るのですが,その友人はクラシック音楽よりもジャズが上だといって憚らないので,冗談じゃない,ジャズのような野蛮な音楽がどうして上なんだ,土俵の違う音楽に上も下もない,その基準は何だと反発したものでした。

 今ではジャズにのめり込んでいますが,ジャズを聴くようになってからは,クラシック音楽の友人からは,おかしい,といわれ,宗旨替えなどともいわれたものでした。

 まあ,数十年かかって聴いてきた音楽の変遷をザッと荒削りに書いてきましたが,忘れていたこともあるでしょうから,思い出したことは何かの機会に書いてみたいと思っています。

 今では,クラシック音楽とジャズをある程度堪能できるようになりましたので,この両分野の体験を基に,自分の中にどういう変化が起こっているのか,このことも,いつかは書いてみたいと思っています。

私の音楽体験(2)

 クラシック音楽を聴き始めた頃は,メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲をきっかけに,モーツァルトやベートーベン,シューベルト,ドボルザークなどの曲を心浮き浮きするような感動で聴いていったのですが,リストやワグナー,ブラームスの音楽は難しかったために,「N響名曲事典」や「名曲解説全集」などの楽曲解説を中心とした本を頼りに理解しようとしました。

 N響名曲事典は作曲家の略歴,作曲家についての小論文,主要作品の楽曲解説,付録にN響公演記録,レコード一覧表と推薦盤といった構成で,楽曲解説にある主題の譜をハーモニカで吹いてみたり,レコードを聴きながらこれが第一主題,ここからがコーダだとかというように確認しながら聴いたものです。

 因みに,最近はこの手の本は出版されていないが,その必要がなくなったのか,最近の膨大な量のクラシックの楽曲をカバーする解説本の出版が簡単にはできないのか,或いは,出版しても売れないからなのか,その理由はわかりませんが,今日,クラシック音楽ならどんな曲でも手に入るかのようになったので,これに対応した出版があればいいなあと思います。

 まあ,そんなわけで,知識で理解しようとしたのですが,これはあくまで理解を深めるための手段であって,音楽に感動できるかどうかとは直接的には関係はありません。

 私が中高生の頃,高田馬場にある「ムトウ」というレコード店に行くと店のお兄さんがいい案内役で,LPを掛けて教えてくれましたが,その影響でマーラーの4番,ブルックナーの9番,R・シュトラウスのツァラトウストラはこう語ったなど買った記憶があります。

 一番始めに買ったLPはストラビンスキーの春の祭典で,これも店の人の影響かと思いますが,まだ,マーラーの交響曲全集が出ていなかったと思われる頃で,後期ロマン派以降の大曲を薦めていたということは,今を思えば凄いことかなと思っています。

 就職するまではお金がなかったものですから,人の家で聴くとかFM放送(当時はFM東海といって実験的な番組もあった。たとえば,カートリッジの聴き比べ)を聴いていたものです。

 クラシック音楽のよさがわかるようになったからといって,この世界は奥深かったので,すぐにスランプがやって来ました。

 最初の頃の感動が得られなくなってしまったのです。おかしい,おかしいと思いながらレコード芸術などを頼りにLPをずいぶんと購入したものです。

 これが就職してからのことで,お金をLPとオーディオに注ぎ込んだものです。そんな中で出逢ったのがショルティによるマーラー交響曲全集で,第3番にとてつもない感動をしました。

 これがマーラー開眼の一歩で,これまで聴いていた1番や2番,4番のよさがわかるようになったのです。

 多分,その頃はマーラー・ブームといわれていた頃で,幾つかの指揮者によるマーラー全集が出ていたと思います。

 これがきっかけで,マーラーを随分と集めました。全集盤ではバーンスタイン,クーベリック,ハイティンクといったところですが,5番以降は20世紀になって作曲されたもので,これがまた難しかったのです。

 特に5〜7番はマーラーの作曲技法の真骨頂といった感じで,覚えるまでに繰り返し聴いたものです。

 このマーラー体験が大きかったのです。これまで聴いてきたベートーベン以降,マーラーまでの主としてドイツ・オーストリア系の作品に対して新鮮な感動が蘇ってきたのです。

 マーラーはこれまでの音楽をカバーしているといっても過言ではありません。マーラーの音楽は対位法的でポリフォニック,重層的に鳴り響くので,これを聴き取るには可成りの集中力が要求されたものでした。

 この集中力を養ったことによって,これまで聴いてきた音楽作品を見直すことができるようになったということです。

 音楽理解には,基本的には音楽作品のテクスチャーの把握が要求され,これには集中力が必要だからです。

 まあ,一皮剥けたということになりますが,当時,難解だと思っていたワグナーの楽劇さえも身近に感じることができたのです。

 そんなことがあって,マーラーの新盤が出れば購入したりして,数年間はマーラー中心に明け暮れたことがありました。

 マーラーの9番とか未完の10番は表現主義的な傾向が特に強く,8番までの作品とは感じが違いますが,シェーンベルクらの無調音楽に通じるかなということで,そちらに進もうかとしましたが,それ以前の音楽の魅力に取り付かれたこともあって,過去に方向を転じました。

私の音楽体験(1)

私がクラシック音楽を聴き始めた頃のことですが,初めて開眼したのがメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲(ホ短調)でした。

 まあ,クラシック音楽に入門しようとして開眼したわけではなく,ある人が毎日のようにそれを聴いているところへ遊びに行っていて,気が付いたら覚えてしまっていたということです。

 メンデルスゾーンというのは,初期ロマン派の作曲家ですが,この時期の音楽のよさがわかったということは,初期ロマン派音楽の感覚がある程度身に付いたことを意味します。

 従って,初期ロマン派のシューベルトやシューマン,それよりも前の時代である古典派のベートーベン,モーツァルト,ハイドンといった作曲家の有名作品は初めて聴いても抵抗なく聴くことができたのですが,それよりも後のいわゆる新ロマン派といわれるブラームスやリスト,ワグナーの作品については,初めて聴いたときは音楽の流れに付いていけず,よくわからなかったのです。

 でも,ブラームスが晦渋だ,ワグナーが難解だと思って聴くことをしなければ,それまでのこととなってしまいます。

 私は中学2年生の時にクラシック音楽に目覚めたのですが,音楽を聴かせてくれる家では3人の大人が毎日のように集まって聴いていました。

 そこでワグナーの「タンホイザー」というオペラを聴かせてくれたのですが,初心者であったことや中学生ということもあってか,ある人が「これはあなたにはわからない」といわれたのです。

 確かにわからなかったのですが,内心ひどく自尊心を傷つけられた気がしたものでした。その時から意地もあってか,ワグナーを理解することがその後の音楽鑑賞のテーマとなったのでした。

 そこで,毎年暮れにFMで放送されているバイロイト音楽祭は全神経を集中させて聴いたものです。また,高校1年生の頃,アルバイトで得た収入で楽劇「ジークフリート」を買いましたが,何せ高校生の私にはとてもわかる代物ではなかったのです。

 特に楽劇「ジークフリート」の中でウォータンが旅人として登場するときに決まって出てくる指導動機とともに歌う箇所は,旋律的なものを感ずることができず,音楽的に違和感があり,中々馴染むことができませんでした。また,楽劇全般を通じて歌われる朗唱はとても難解でした。

 思えば子供の頃,聴いた音楽といえば親が歌っていた童謡,民謡,歌謡曲,小学唱歌,アメリカンポップスなどでした。

 これがクラシック音楽を聴く前の音楽体験でしたので,クラシック音楽がポリフォニックなもので対位法とかいう作曲技法などを用いて創られているなんていうことは知らないで聴いていたものですから,基本的に聴き方ができていなかったことが理解できなかった一因でした。

 まあ,それまで体験した音楽は旋律の豊かな歌を中心に伴奏が付くというものですから,どうしても歌中心に聴くという習性が身に付いてしまっていたので,これでワグナーのような曲を聴くときに朗唱中心となってしまい,理解に苦しむのは当然だったのです。

その後の音楽体験については,随時,折りを見て書かせていただきます。

 一般にジャズはお洒落な音楽,クラシックは高尚な音楽だという認識があるようです。50-60年代のモダンジャズは決してお洒落な音楽ではないのだが。それと比べると今のジャズがクールで雰囲気的にもムードがあり,また,店内でバックグラウンドでジャズを流していることなどからそういう印象を与えているのかも知れない。また,クラシック音楽はLPやCDの普及などで,より大衆化されたとはいえ,一部には敷居が高いとの印象もあるようです。

 戦後,日本は経済の高度成長から大量消費時代を迎え,人々は物質文明の恩恵に浴してきたが,物質的満足が必ずしも人の幸せを保証するものではないことに気づき始めたようで,21世紀の今日にあっては,癒しの音楽などがもてはやされるように精神的充足が求められる時代となった。

 そのような意味でジャズでも聴いてみようかという人が多いようです。私のようにクラシックからジャズを聴くようになったというのは少数派で,一般的には流行的音楽からジャズ又はクラシックを聴くという人が多数派ではないかと思います。

 ジャズを店内の環境音楽のように流して,ながら族的に聴くというのであればともかく,その良さを知るには,ある程度の量を聴き込む必要があると思います。

 ジャズという未知の音楽を前にしたとき,各人の音楽体験によりジャズに対する印象が異なるようです。私のようにクラシックを聴いてきた者にとっては,1曲10分位のジャズは短く感じたものです。

 また,ジャズのようにリズムが突出した音楽というのはクラシックには少なく,ジャズ特有のリズムに慣れるには時間がかかりました。その点,ロックなどから入る人にとっては,ジャズのリズムは馴染みやすいが,ロックにある唄がないジャズは違和感があるようです。

 要するにジャズに入る前までの音楽体験がどうであるかによって,ジャズを聴いた印象やジャズの好みも異なってくるようです。

 私はポピュラー音楽の体験が少ないので,ベースやドラムスなどのリズムとピアノや管楽器の旋律と一体化して聴くということができずに苦労しました。また,ピアノが左手でリズム,右手で旋律を弾いていることがわからず,ピアノソナタのように聴いてしまったということもありました。

 クラシック以外の音楽ジャンルからジャズを体験された方はどのような印象を抱かれたのか,どなたか教えていただけませんでしょうか。

全1ページ

[1]


.
ジャズ・ヒロシ
ジャズ・ヒロシ
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事