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さきごろ二年間のアメリカ留学から帰国したウエスタン歌手のジミー時田をゲストに、彼の愛聴盤をきく。また、ジミー時田のかつてのバンド仲間で、現在ドリフターズのいかりや長介も加わり、思い出話などを語り合う。 時田の愛聴盤は「ムービング・オン」「ルンバ・ブギ」(ハンク・スノウ)「オー・バイ・ジンゴ」(ギターのチェット・アトキンス)「イエロー・サブマリン」(チャールス・リバー・バレー・ボーイズ)「ドック・オブ・ザ・ベイ」「ウィチタ・ラインマン」(グレン・キャンベル)。 「オー・バイ・ジンゴ」はめずらしい東部のブルーグラス・スタイルのグループで、ふつう南部に多いブルーグラス・スタイルとは一風変わったスタイルが特徴。 ※私はジミーさんには詳しくありませんが、長さんの名前とビートルズ・ソングに惹かれました。 |

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この記事はいつですか? ラジオで10時から「日立ハイフォニック」というラジオは1982年頃聞いていました。それを思い出したものですから…。宇崎さんの鹿鳴館ライブを20分間オンエアー、ゲストが大木トオルで2曲ほどデュエットしました。ライブハウスのロックという感じで、はじめてあー宇崎さんはロックだったんだと思ったものでした。関係のないコメントになりすいません。勿論、DTFBWB時代のブロッサム35を出したあたりの頃です。
2013/2/17(日) 午前 10:32 [ fri*ti*nrec* ]
n君ありがとう。このへんの記事に感応(n君のはもう反応を超えている)・(笑)してくれるのはn君の専売特許の発明品だ。ありがとう。有名なウエスタン歌手ジミー時田さんの記事になっています。LFことニッポン放送制作のラジオ番組「日立ミュージック・イン・ハイフォニック」は昭和57年もまだ放送中でしたか?その頃の私は社員寮の二人部屋でラジオからはやや遠ざかり気味でした。近田さんを除いては(笑)。宇崎竜童さんと大木トオルさんとのコラボレーションLIVEを20分間も流してましたか。スゴイじゃないですか。大木さんは「夜のヒットスタジオ」にも出てたね。この人とか大上瑠利子さんとかは突然ブラウン管に現れた感じがして、「ウワッなんだこの人(歌手)は
」と当時の私にはとても新鮮な印象でした。私もまだ子供でしたから、高校生とは言えども。ダウン・タウン・ファイティング・ブギ・ウギ・バンド(DTFBWB)の2枚組のライヴ盤を確か私は持っている筈ですよ。n君、ウチ来る
平成の黒澤進はn君、君しかいないよ!
私も寝る前に出来るだけ黒澤進さんの本を読むようにいたしております。
2013/2/17(日) 午後 3:24 [ 秀和 ]
関係ない記事ですが、そのラジオ番組で1984年だったでしょうか確か「近藤等則IMAバンド(レックが参加)」のドイツ演奏をONAIRしておりました(これは某雑誌で近藤さんのインタビュー記事の横に書いてあった情報)。ある意味私ごのみの番組だったのかと。
先ほどの宇崎さんのライブ20分番組、昨年聞いていたらテープが切れてかえらぬテープとなったのでした。
すいません 1981年でした。
詳しくないですが、カントリーでは宇崎さんと交流あった三田さんが次世代かもしれません。
ジミー時田さんは、演歌界の北島三郎さんぐらいBIGスターですよね、その道では?
2013/2/17(日) 午後 4:38 [ fri*ti*nrec* ]
n君。コメントありがとう。近藤等則さんはn君のフェバリットなアーティストでしたね。なんとなくユニークなルックスした人でしたっけ?宇崎さんと大木さんの「ミュージック・イン・ハイフォニック」は昭和56年(私は二十歳、n君は?歳)でしたか、よく思い出してくださいました。カセットテープが切れちゃうこと、私も最近はよくありますね。手持ちのカセットデッキ(と言うかプレーヤーいや、ダブルカセットデッキ)が古くなり、回転ムラ、巻き込みが頻発してる。もう大事な貴重な(たとえば猪熊さんから貰ったオックスの解散半年前のジャズ喫茶のライヴ音源とか)カセットテープは現在はかけられない。新しいカセットデッキを買うのが私の急務だが、今やカセットデッキ(テレコ)というものが、なかなか売ってないのだわね〜コレが(苦笑)。通信販売のレコードプレーヤー・カセットデッキ・ラジオ等が一体になったアレを買うつもりでいます。またコメントちょうだいませ、n君。君は平成の黒澤進だ!『黒沢進著作集』『日本ロック紀GS編』(最初に出た方)の二冊、枕近くに置いています、私。
2013/2/22(金) 午前 1:40 [ 秀和 ]
http://gracelandcdshop.com/shop/kondoprofile.html
90年代初頭眉の濃い男の代名詞は柳葉敏郎と近藤さんと言わせた。あのさんまだ。さんまのまんまに近藤さん出たのです(笑っていいともにも友達の輪に出演言いました? 友達でおねがいしたかったのは亡き浅川マキさんだったと、でも浅川さんかたくなに断り実現せず。結局、芸術家 篠原さんとなったと 確か石橋凌から近藤さんだった) ジャズ畑で映画でヒットマンの役近藤さんしている。ほかにいないのではないかなー。役者にも挑戦、したことあったなー。フリージャズの阿部薫さんも若松孝二監督作品に本人役で出演していたみたいですけど。
聞かないテープ自慢(?) 人から DAT もらったけど(「フリクション」の音源) 近くに器機がなくて、そのまま10年以上たってしまったよ。猪俣さんからもらったとは、うらやmしいなー。
そうだ生きているあいだに、1回はあいにいきたいなーひでさんところへ、はははは ではでは。
2013/2/22(金) 午後 8:06 [ fri*ti*nrec* ]
n君。「日本のロック」(しかも涙の裏街道!)に燃えてますね。今日はあなたの方の訪問者がずっとウチよりも多いね。n君の闇雲な熱意に惹かれた連中だね。n君、君は立派なゴッドファザーだよ。ありがとう!これからも続けてください。
2013/2/24(日) 午後 4:36 [ 秀和 ]
そうそうカントリー系は 三田ひろしさんという方でした。
あとは、なくなった「青い三角定規」の人とサンシャイン松野によるユニットの「まざーこんぷれっくす」昭和55年というグループでした。カントリー系は、フォークよりも優しい音の印象がありますね。
宇崎さんの周辺には田頭信幸もいた。昭和46年キングレコード時代のこと。いかん マニアックに ひでさんまた出直してくる。ひでさんのノリで書こうとしたが、墓穴をほってしまったかも。
宇崎と大木トオルのラジオをきいたとき、中3だった。これがロックというものかとしみじみ思いながらも、音がうるさいので(ライブハウスのようなこもった音、叫び声が多かった)一瞬きくのをやめようと思った(やめずに聞き通したのでそのまま30年だ)。
2013/2/24(日) 午後 10:06 [ fri*ti*nrec* ]
n君。コメントありがとう。なかなかカントリー・ミュージックにも造詣がありますね。さすがは研究家でありますな。「青い三角定規」の人は高田真理さんですかね。惜しい人を亡くしました。西口久美子さんは再結成を目指していたみたいでした。もう一人は元・大女優の旦那さんだった岩久さんでした。秋吉久美子さんだったね。「赤ちゃんを卵で産みたい」発言が懐かしいです。何故かテレビでよく見たなァ、その会見。まだあまり芸能ニュースとかワイドショーとかなかったと思ったけど。田頭さんはこれも何故か、シングル盤を一枚持ってますよ、私は。なかなかマスクの良い人ですね。ほんとなら新御三家か、その前のにしきのあきら、野村真樹(n君はまだ幼かったから知らないかも?)の仲間に入る筈だったのかも。私のノリ?フムフム。これはなかなか真似ができるものではないよ。まず自分を¨紙一重¨の領域に持っていかなきゃならない…ふーむ、すると、n君は大いに「素質あり」かな〜?(笑)。しかし、よく昔のことを、ここまで詳しく記憶してますなぁ。感心しますぞ!ありがとう。n君、君こそ、¨平成の黒澤進¨だ
2013/2/25(月) 午後 9:48 [ 秀和 ]
実は、解散したけど、「ジュディマディ」のドラマー五十嵐公太氏は、売れてなんぼのヘビメタ、ジャパメタ出身なので自分は「ジュディマディ」を応援していた。1990年頃「TV」というバンドで活躍。
売れたとは言えないが…。
が、なんと武者修行時代は、カントリーバンド出身で1983年ぐらいには、ここで出てくるバンド系列のものにも所属。カントリー関係のHPに若き公太氏が映る。笑ってしまった。なんでつながるのかとー。
五十嵐さんの奥さんは「オールナイトフジ」出身で、とんねるずに気に入られアプローチあり、でも五十嵐さんと当時つきあったいたらしい。とんねるずを相手にせず。お金ではないのだろう!!
カントリーはあまり範疇ではないのだけれど。宇崎さんの裏方時代がきになり、そこから少しだけひっかかるのでした。そうだ面白いネタがあったんだけど、ブログで紹介しますね。
2013/2/26(火) 午前 3:13 [ fri*ti*nrec* ]
n君。君が連れてきた得たいの知れぬ熱気のお蔭で、今日はシビレルほど多くのコメントがこのブログには寄せられた。感謝するよw君とのコメントラリーもデスマッチ状態に突入か…。これが¨常態¨に¨進化¨するなら、君は立派な樹愛さん二世だョ!(笑)。ありがとう。強いね、君は。認めるしかないね。n君、君こそは「平成の黒澤進」だ
。刑事ヨロシク。
2013/2/26(火) 午後 10:47 [ 秀和 ]