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放射能の名づけ親であり、ラジウムの発見等で、物理学(1903年)、化学(1910年)の2度のノーベル賞を受賞した女性科学者第1号マリー・キュリー、私が尊敬する方です。
彼女が偉業へ至る青春時代は想像を絶する苦学の日々、ご存知の方も多いと思います。冬は、夜中に洗面器の水が凍るような寒さの中、石炭にも事欠きありたっけの着物を引っ張り出して布団に掛けなければ寝られなかったパリ屋根裏部屋での4年間の日々。
しかも、彼女は、最初は、知識の不足から大学の授業についていけなかった。彼女は、毎日、教室で、図書館で、また屋根裏部屋で夜遅くまで勉強に没頭した。そしてついに、物理学の学士試験は首席、数学の学士試験は2番で合格するまでになった。
夫ピエールと二人でラジウムを発見後(1898年)、これを純粋な状態で取り出すことに成功するまで・・・来る日も来る日も、大量の鉱石カスを熱と酸で溶かし、有毒ガスの出る化学処理を経て、ほんの微々たる純粋物質を取り出す困難な作業をなんと4年間も繰り返す。しかもこれらは、十分な設備もない、雨漏りのする古ぼけた倉庫で行われたのです。
そして、成功して得られたのは1トン余りの鉱石カスから0.1グラム以下、つまり“1000万分の1”の量でした。
くらくらっと気が遠くなるような話です。諦めようと思ったことはないのでしょうか?
マリーは語っています。
ピエール・キュリーの不屈の忍耐心には一分の緩みもありませんでしたが、それでも時には「ぼくたちの選んだ人生は、やはりつらいものだな」ともらしました、そして、あの数年間こそ、私達の生涯の最も素晴らしい、最も幸福な時代だったのです、と。(マリー・キュリー著「ピエール・キュリー伝」渡辺慧訳、白水社)
ジャズピアノを始めた3年余前、ジャズ知識の不足でレッスンにまったくついていけませんでした!
チンプンカンプン、チチンのチン!!(←あっ、今もねこれ)
歳は45歳を過ぎていましたし、ブランクも20年近くあって指動きません(;ーー
今まで「自分には無理だぁ〜、できない」と諦めかけたことは数知れず、、
凹んで、落ち込んで、地べたを這いつきまわったあと・・・
なぜか、ふっと「キュリー夫人」を思い出す。
そして、書棚から彼女の自伝書を取り出して読む。
ふん、ふん、ふん(―_―)
すごいなぁ・・・・
ほんで自分は・・・・
「努力ちょっとでもう諦めようとしとる!ちょっと待ってよ!」
「ダメもと」で出発している自分じゃん
「ちょっとでも前進」できたら小さな勝利だよーぅ
「足踏み状態でもいいじゃん」と思い直す
「諦めるのやめたっと!」 (←やっぱり単純な私 ;^^
この繰り返しなのでありま〜す。
ブログデビューしてからは、
キュリー夫人だけでなく、
ブログ仲間の皆さまから励ましを頂き、
勇気をもらって日々頑張れています。
感謝で一杯です、ありがとうございます(*^^*)
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