母と父

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夏たけなわのこのごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか?


グータラカズコは相変わらず、部屋にこもり、ちょっと汗をかきながら過ごしております。

昨夜は、なんかおなかの調子が悪く、と言っても単に食べすぎなんですが(笑)、夜中に目が覚め、その後眠れなかったです。

寝るのが大好きと言うか、そこでエネルギー補給しているので、ビリちゃが仕事に行く前に起きるのがつらかった。

しかも目も悪いので、寝不足は大敵です。
二重に見えるので、それがひどくなるの。
これはリウマチのせいで、目の周りの筋肉が弱くなってるそうです。

なり始めは気になりましたが、今はだいぶ気にならなくなりました。



まぁ、そんなことはいいんですが、いつも絵を見ていただき、皆様もそろそろ疲れてきたんじゃないかと思いましたので、話題を少し変えます。


日本へ行く前、昔の両親やきょうだいの写真を、自分が持ってるだけをアルバムにしました。特に父はもういないので、父の写真を載せたらいいかなと思い、母やきょうだいだちにも見てもらいたくて。

母やすぐ上の姉はすごく喜んでくれました。

それで、昔の写真を見てたら、昔飼ってたシェパードのタロがあちこちに写ってるんです。
やっぱり家族ですからね。

それがうれしくて、少し選んでアップすることにしました。

タロは、外国人の家族が飼ってたとか、警察犬の学校にいたけど、落第したとかいろいろ経緯はあります。


しかし、賢い犬だったことは確かで、お座り、待てをすると、何時間でもそこに座って待ってるような犬でした。


いつか、雨の寒い日に停電になったら、廊下で、

コツ、コツ、・・・

と言う音がしました。

そして電気が点くと、外で泥をいっぱいつけたタロがコタツの中に半分体を入れて座ってた、と言うこともありました。

みんなで大笑いしました。



まぁ、昔の思い出は尽きませんが、少しだけ写真見てください。

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小学低学年の私

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みんなで

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おまけに、父と


えーと、人に言わせると私は子供のころからあまり顔が変わってないようです(笑)



私事に、お付き合い、ありがとうございます。




いつもポッチン、ありがとうございます。
皆様から、元気をいただいてます。


突然ですが・・・

おはようございます。

今日は11月5日、水曜日です。
11月にしては、優しく暖かい日が続いているアメリカ中南部です。
また半そでで過ごしてます。


実は姉は、予定より5日長くいましたが、昨日帰りました。
それと入れ替えに、月曜日に、義弟のスティーブ、昨日は義妹のケリー夫婦がメンフィス入りしました。今日はもう一人の義弟ジャック、そして義姉のリンダが来ます。

みんなに思いがけず会えるのはうれしいんですが、実は先週の日曜日、これも思いがけず、ビリちゃのおとうさんが他界しました。享年76歳でした。

今夜、5時から7時まで、Visitationといって、お父さんに最後の挨拶をします。いろんな人たちが来てくれると思います。日本のお通夜みたいなものかも。ただ、亡くなってすぐというわけじゃないですが。

明日がお葬式です。

ビリちゃのお父さんは、実はお母さんとずっと離婚しています。

先週は、アーカンソーのお母さんのところへ姉と行って来ました。珍しく、土曜日に帰ってきたわけですが、普通は日曜日までいる私たちです。でも、なぜか今回は土曜日に帰ってきました。


こういうことだったんですね。

先週、アーカンソーへ行く前に、お父さんから電話があったんです。
またまた珍しく私が出ました。

「おー、カズコか。元気かい? 足の調子はどう? 
そうか、よかったなぁ。ん? 僕も元気だよ」

こんな短い会話をしましたが、いつもよりなんかすごく機嫌が良く、きっと同窓会があるからかな?なんて思ってました。

日曜日の午前には、リンダもお父さんと話をしたそうですが、すごく機嫌が良く、明るかったそうです。

しかし、夕方近く、お父さんがイスで寝てるのかと思ったハウスキーパーが、実は息をしていないことに気づき、救急車を呼んだ、という電話が入りました。


後に、病院で死亡を確認されたという連絡を受けたわけです。


お父さんがいなくなったのは悲しいですが、苦しまず、眠るように家で亡くなったのは幸せなことだと思いました。

しばらく日記に書けずにいましたが、今朝起きて、書く気になれたので、私事で申し訳ありませんが、日記に書かせていただきました。


ビリちゃは忙しく走り回ってますが、スティーブがすぐ駆けつけてくれ、ありがたかったです。とても落ち着いています。



ここは、いわゆる先祖供養ということは特別しません。ですから、お父さんの供養を、線香を上げて勝手にやってる私です(笑)

「お父さん、ご苦労様でした。お勤め、終わりましたね。しばらくはゆっくり休んでくださいね。またいつか会いましょう」


今日もお付き合い、ありがとうございます。(_人_)

父の命日

皆様、おはようございます。
今朝のメンフィスは、雨も上がり今気温は13度くらいです。それでも私は半そでですよ(笑) 外はけっこう涼しいかも。今ビリちゃが出かけましたが、長袖のシャツを着てましたから。

一昨日に引き続き今日も日記のアップです。

私は、ここだけの話ですが、実家はカトリックで育ちました。
ですが、聖書やいろんなことを学んでも、何も覚えられない子供でしたね。

「クリスマスは何の日ですか?」

と、6年生のとき、ホームルームで先生が聞いたとき、誰も手を上げず、私だけ。
自慢げでしたね。他に自慢することないから。

「はい、イエス・キリストが・・・」

ここまでは先生も、(今日のカズコは正解が出そうだな}というような笑みがあり、私もますます得意になって、

「はい、イエス・キリストが、死んだ日です」

その答えが間違っているのは、先生の顔を見て、鈍な私もすぐわかりました(笑)
それが私のキリスト教の知識を象徴してます。

仏教や神道のことは何も知らないで過ごしてきてましたが、今はそれが自分にはすごく居心地がいいです。宗教自体ではなく、考え方がね。集団行動が苦手です。

例えば、供養の仕方、考え方、人生の生き方とか。しかも最近、この十年くらいでやっと気づきかけているところで、お恥ずかしいです。


私の父は、14年前の今日、大腸がんで逝きました。
69才でした。具合が悪いと言い出し、牛乳配達、我が家は牛乳屋さんでしたが、その途中でトイレに帰ってるんです。病院なんて、行ったこともない人です。6月下旬でした。その前の年に白内障の手術をしたのが初めてかな、入院は。

私が病院へ行くと、優雅に点滴の管をつけたままで、ゆっくりお風呂に入ってるような人でした(笑)

私は父と仲が悪かったです。まるで敵同士のように喧嘩してました。父も私にはかっと来るようで、すぐ相手をしてくれ、私の思う壺。
悪い言葉で言うと、憎んでいました。でもその理由はわからなかったです。

大きい病院で検査をし、結果がわかったのが、8月始め。
そのころは両親と隣同士で私たち親子3人が住んでました。
楽しかったですよ。ともくも日本のおじいちゃん、おばあちゃんが大好きです。
姉が2人いますが、秋田から遠いところ。弟は隣の町。と言っても車で15分くらい。
必然的に私が車の運転やら病院へ行くことになります。そのころの私は、なんでも自分のことはできました。

お医者さんに、後半年の命と告げられました。手術はするが、それも一時しのぎとのこと。私と母はどうしていいかわかりませんでした。
父に告げるなんてとてもできません。

その後、父のいる病室に行きましたが、私と母はそのとき、名優のように、なんでもないような顔をして嘘をつきました、しかも笑って。

「良性のポリープだって」

父は、やっぱりという顔をしてました。安心したようです。私も安心しました、父をうまく騙せたことで。

手術の日、私は病室で待ってました。終わると、切り出した腸を見せられ、ピンセットで触るように言われました。それはまるで鋼鉄のように固かった。

腸がこんなになるまで、我慢してたんだ。

それから父との仲が変わってきました。父は私が仕事から帰ってくるのを待っているんです。信じられませんでした。喧嘩ばかりしてたのに、遅くなっても、父は待ってるんです。母が、

「父さんが待ってるよ。カズコはまだかって。来てほしいんだよ、何も言わないけど。行ってあげて」

部屋に行くと、父は何も言いませんが、目で何か言っているようでした。

(ああ、帰って来たか。まず、ここさ座れ)

父は背中や、おなかが鈍いように痛むようでした。そんなことは言いませんが。私がさすってやると気持ちがいいようで、ふと呟くんです。

「1日のうちで、1時間でも楽だば助かる・・・」

なんか初めて父の本音を聞いたようでしたね。今までそんなことを言う父を見たことがありませんでした。

毎晩、私は父のそばに座り、何もできないんですが、いるだけで安心するようでした。あんなに仲が悪かったのに。私たちはそれをすべて忘れてました。

そういう日が続き、姉たちが一人ずつ父を訪ねてきたりしました。
10月に入ったころ、お医者さんからも先は短い、と言われてましたが、父が起きてこれなくなり、母も一人では不安なので、私も両親と一緒の部屋で寝ることになりました。
1ヶ月一緒に寝てもいいと言う気持ちで行きましたが、と言っても隣同士ですから。
3日もしたころ、ある朝、意識も朦朧とし、起きれなかったはずの父が上半身起き上がり、寝室から居間を覗き込み、真剣な顔で、

「カズコ、あれ、誰だ? あそこに座ってるの、誰だ?」

と聞くのです。誰もいません。
とっさに、父に不安を与えたくないと言う気持ちも働き、

「誰もいないよ」

と言ってしまいました。無視することで、不安が消えると思い込んでました。自分のためにしてましたね。でも、父はそれを聞くと納得したように布団にまた横になりました。そのときから、意識は無くなりました。後で思うと、お迎えが来ていたんだなと、聞いておけばよかったと後悔しました。

お医者さんは苦しむことになるから、と言い、強い痛み止めをくれると言っていたので、薬をもらいに行くと、今までのと同じでした。

「お医者さんはもっと強い薬を出してくれると言ったのに、これは今までと同じですよ」

気の弱い私には精一杯の訴えでした。でも、私は急に涙が出てきて、それ以上訴えられなくなって、トイレへ行って泣いてしまいました。くやしかったんです。

幸いなことに、父は苦しむことはありませんでした。
両親の部屋で寝るようになって、父が誰かいると言った2日後、仕事から帰ってくると、父の様子がおかしくなってました。私はすぐ近所の内科へ行ってその由を伝えると、お医者さんはすぐ来てくれました。懐中電灯だけ持って。先生も先がないことを知ってか、目の瞳孔を調べることしか頭になかったんですね。ちょっとおかしかったです。

「あ、まだ生きてます。何かあったらまたすぐ来てください」

それを聞き弟はちょっと出ると言って家を離れ、おばも駅に行くと言って出かけ、母と二人に。そうしていると父がかわいがっていたいとこ夫婦が来ました。

すると、急に土砂降りが始まりました。

「とうさん、とうさん、おれだ。わがるか?」

父は目を開けたんです。意識がずっとなかったのに。4人で、父の周りに座り、見守りました。

「かあさん、カズコ、父さんの手、握ってやれ」

母と父の手をひとつずつ握ると、母の目からは涙が。初めての涙。我慢してたんだね、かあさん。そのとき、父は私の手を、ぎゅっと握りました。目をしっかり見てくれました。何も言わないけど、すべてを語っているようだった。

私は心をぎゅっと抱かれたようで、切なくなりました。涙が出ました。
息もやっとの父に、私は思わず、

「とうさん、もう頑張ったから。もういいよ、行って」

すると、いとこが、

「いぎ、してねや、とうさん」

息が止まったんです。

母と、家で見送れてよかったね、とよく言います。実は亡くなるときは病院でと思ってました。でも、お医者さんは、お払い箱のように、退院を主張しました。彼らは時期が近づくと、痛みがはげしくなり、耐えられなくなるのでは入院したほうがいいといってたのに。

でも今はお医者さんに感謝してます。家で逝けた父は幸せです。私たちも家だからこそ、しっかりお別れができたと確信してます。母にも、「家で死んでもらうからね、安心してね」と冗談のように、でも本気で言い合ってます。母もそれが望みのようです。

夢に出てくる父は若くて、優しい笑顔を見せてくれます。それだけで十分です。最近父についていろいろ思います。今頃になっていい発見もあります。

こうして父のことを思うことは気持ちもいいです。切なくなることもあります。ごめんね、と謝りたいときもあります。親孝行したいときに親はなしってこういうことですね。

でも、こうして思い偲ぶことが供養になると最近知って、うれしいです。
恥ずかしいけど、知りませんでしたから、この年になって。(笑)でも今でもわかってよかった。まだ生きてますから、私。生きているうちにできることをしたいと思います。

今日は父の命日。
私事でしたが、書いておきたかったんです、今日のためにも、父が喜ぶためにも供養になると思います。
お付き合い、ありがとうございます。(_人_)

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私の母の日

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ネコの好きな母におもしろい写真を送ります。

日本はアメリカよりも早いです。
何がって? 例えば、

こっちが大晦日でも、日本はもう新年を迎えています。
すると、なんか遅れてる感じでいろいろ楽しめないこともあります。
そこで、今年は日本の母の日に電話をすることにしました。

私は自分の誕生日に、母へ感謝の気持ちをこめて言います。

「生んでくれてありがとう」

えっ? しらじらしい? 

そんなことは私にはありません。本気です。

この世に生まれて大変なこともあるけど、
「これって普通じゃない?」

 と、最近心の底から思います。言い過ぎかもしれないけど、苦しむために生まれてきてるって思います。

もう少し図に乗って言えば、その苦しみを乗り越えたときの喜びを知るためにこの世にいるんだ、とさえ。ちょっと、くさい、と思われた方、許してね。

今、ここは、日本時間で5月10日の夜中の1時10分過ぎ。
皆さんが寝込んだとき、私が起き出して行動始める、と言う感じかな。

私の父は13年近く前に亡くなっているので、母の存在は大切です。
父にももっといい子でいればよかった、、、と後悔。

母は、私と違って、自分の感情を表に出す人じゃなく、恥、ということをわかっている人。背も低く、外見は全然似てません。

昔、腹膜炎で入院したとき、同室のおばさんが、

「もらわれっ子なの?」

と噂をしてくれたほどです。二人で大笑いしました。

それにとてもひょうきんです。口をあけたら、冗談が出てきて困る人です。なのにものすごい恥ずかしがりや。

病気もしましたが、この十何年か健康に暮らしてました。その秘訣は毎日15分の運動。
去年は、81才にして、初めてアメリカに来ました。私の手術のためです。
母がいなかったら、どうなってたかわかりません。

私の体調も悪かったので、アメリカを楽しんでもらえなかったと思うのですが、母は、

「楽しかったよ。外人もいっぱいいて。カズコの家も見れたし、ネコちゃんにも会えたし、、、今はいい思い出だけよ」

とは言ってくれますが、散歩に出かけたとき、迷子にもなってますから、、、。

「もう、行かない、、、」

と今言ってます。

実は、母は、もう一つおっちょこちょいなところがあるんです。

去年、日本に帰るとき、ともくと一緒に帰ったんです。
後で知ったんですが、シカゴの空港で思いっきり転んだんです。そして、東京駅でも。

そのため腰が痛くてしばらく大変でした。今も完全に治っているかどうか,、、、。子どもたちに迷惑をかけぬように、「うそ」をつくんですね。「大丈夫」って。


今の私は、母に喜んでもらいたくて、でも電話をかけるくらいしか出来ませんが、気持ちだけ、、、送ります。

母の私への望みは、

「私より先に行かないでよ」

と言うことなので、去年まではわかりませんでしたが、今は自信を持って、

「わかったよ」

と言えます。

こういうことも気力なんですものね。

「もっと元気になって、母が喜ぶようなことで、ど〜〜んと驚かせたい」

と言うのが当面の私の夢です。どういうふうにして?

それは今は、ヒ・ミ・ツ!! 

できたとき、お知らせします。


ここだけの話です。

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