生活の中の聖書

おやじの好き勝手なつぶやき

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1 エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。
2 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
3 日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。

 この書はいきなりすべては空(くう)の空であると言うのである。問題はこんなことばを言う人物は誰かということである。

 私たちは何かに失敗し、如何にも悟ったようにこのように言うことがある。「何をしてもうまく行かない。むなしい。」と。ここで言われることはそのようなものではないのだ。

 イスラエルの王で、あらゆる名声と権力と冨と知恵に富んだ人として最高の地位を得た人物が、その人生を通して、見出した中で得た結論なのだ。それが「空の空。すべては空。」であると言うのである。

 私たちは日々に於いて何らかの労苦をする。ブッタは私たちの人生には四苦八苦というものがあると言う。

 四苦それは生病老死と言い、私たち人間というのは、この世に誕生した時から始まり、その間には病があり、老いていくこともあり、この世から切り離される死まで苦しみを負う存在だと言うのだ。

 そしてそれに加えて4つの苦しみがあると。愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰情苦である。愛する者と別れる・一緒にいたくない者にも会わなければいけない・求めても得られない・肉体的、精神的な生きるための苦しみのこと。


 その根源的な原因を聖書は神に愛されていることを知らず、創造主なる神を無視して生きている罪の人生にあるのだと言うのである。

 この書は何一つ不可能ではなかった人物が、私たちに代わっていろいろと試みた記録集であり、教訓でもある。その一つの結論が1:2〜3「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」である。

 このことは老若男女すべてのおいて語られることなのだ。これらの問題の答えは政治の力でも解決出来ない。それはこれまでもそうであったように、これからもそうであろう。「空の空。すべては空」からの解決は人間の創造のもとに帰ることが必要なのである。

 そうなのだ。私たちが自分のためを優先し、自分を生かすことにのみ心を注いでいるゆえの苦しみなのだ。私たちの人生は、自分の幸福と欲望を充たすことにあると考えている。

 パスカルは「人間の心の奥深いところには、神のかたちをした空洞があり、この空洞は神以外の何物を入れても、決して満たされない空洞がある。」神との親しき交わりが失われているから、何かで埋め合わせようとするのだと言う。

 偶然の要素である満足感は環境に左右されるものである。しかし神から来る幸いは真の満足なのだ。もう一つの結論はこうである。

12:1「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』という年月が近づく前に。」なのだ。

 イエスは私たちのさまざまな苦しみをその十字架で負ってくれたのだ。だからこそ、私たちはイエスの足跡を覚え、イエス・キリストとともに行く道は「すべては空の空。ではなくすべては益の益。」となっていくことを信じ、歩み続けていきたいのである。


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