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クリスマス

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 イエスは今日も言われる。クリスマスを何年も、何度も送っているのに、どうしてあなたがたはわたしのところに来ないのかと。今日、是非とも出会っていただきたい。

ルカ2:10〜12御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせにきたのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

 御使いのメッセージは「いま、あなたがたのために、救い主が生まれた。」ということ。

15〜16御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。

 羊飼いたちはただ聞くだけではなかった。聞いて、急いでその場に向かった。そして捜し当てた。これはとても大事なことだ。私たちもこのように、みことばに聞いて、実践する者でありたい。

20羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

 羊飼いたちは喜びに満たされた。それはもちろん、飼葉おけに寝ている子を見たからだけれども、御使いの話した神からのメッセージが真実だったことにある。

17〜19それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。

 羊飼いたちが大騒ぎしていたことで、飛び出してきた人々に、自分たちの見たこと、聞いたことを話した。人々は驚いたが、母マリヤは静かにその出来事に思いを巡らしていた。これもまた、大事なことだ。

 私たちキリスト者は、御子イエスの誕生の目的を、意味を知っている、と言う。けれども、それをマリヤのようにその出来事に思いを巡らすことが少ないのでは、と自分をみて思う。

 クリスマスを迎える日を前にして、改めて、神のなさったことをこころに留め、みことばに聞き、驚ろいたり、戒められたりして、こころの一新をもって、進みたい。

 皇帝アウグストから出た全世界の住民登録をせよという勅令によって、ヨセフとマリヤはベツレヘムへと上って行った。

ルカ2:6〜7ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

 宿屋の主人も、周りにいた人々も月が満ちて、いまにも出産しそうなマリヤを見ても、場所を提供しなかった。

ヨハネ1:9〜11すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

 けれども、そのように自分の繁栄だけを望み、神を無視している私たちの罪を取り除く神の子羊として、御子イエスを遣わされた。

ルカ2:11きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
21マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。

 そして、神は拒絶されても文句の言えない、本来、いる場所などなかった私たちのために、天にともにいる住まいを備えられ、

ヨハネ14:1〜31あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

 イエスは信じる私たちを天の御国へと入れられるために生まれた。だから素晴らしい喜びの知らせなのだ。それがクリスマスの出来事。私たちは本当のクリスマス、完成のときを、待ち望んでいる。

Merry Christmasu!

「永遠のいのちを持っていることをわすれるな」

 イエスは罪と死から開放するために、私たちと同じ肉体を持って私たちの間に住まわれた。神が私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされた。

1ヨハネ5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

 父なる神は御子イエスを遣わし、私たちがまことのいのちに生きるようにされた。私たちキリスト者は永遠の滅びではなく、すでに永遠のいのちを持っている。

 これこそが神が備えられた恵み。だからイエスの御名を信じている私たちは永遠のいのちが与えられている、そのことを忘れないように、と言っている。

ヨハネ10:28わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

 これは人の保証ではない、創造主なる神の保証だ。私たちがイエスから離れてしまうことがあるが、イエスが私たちを捕らえている。ここに私たちは安息し、確信し、主とともに歩みたい。

クリスマスおめでとう I wish you a Merry Christmas!

1ヨハネ4:9〜10神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 イエスが遣わされたのは私たちの罪を赦すためだったと。そのために神を無視し、自分勝手な生き方に歩んでいる人々に向かっていた、罪に対する怒りを御子に下されることとなった。

 何と神自らがなだめの供え物を備えている。それは聖であり愛であるからだ。私たちには敵を赦すために自分の子どものいのちを差し出すことなど、できないし、考えることもない。

ローマ3:25〜26神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自分の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を忍耐をもって見逃して来られたからです。それは、今の時にご自分の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、またイエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

 本来は罪ある者が和解の手を上げるべきであるが、罪のないお方が和解の手を上げられた。イエスが私たちの罪だけでなく全世界のためのなだめの供え物となった。私たちの罪の代価を支払ってくださった。そのためにこの世に来られた。

エペソ2:3〜5私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、―あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。

 私たちキリスト者はこのような過去があった。自分の欲に、この世の流れに流されていた者。それは空中の権威を持つ支配者と呼ばれるサタンに支配され奴隷とされていたことによる。けれども私たちはただ神の恵みにより、キリスト・イエスの贖いのゆえに、値なしに義と認められた。敵であった者が神の大きなあわれみ、愛のゆえに与えられている恵みのうちにいる。

 イエスの誕生がなかったとしたら、私たちはいまもなお、罪の暗闇の中に生き、滅びに至る者だった。けれども、いまは神が遣わされたイエスによって罪赦され、私たちを生かしてくださった。神の大きな愛は生かす。いまの私たちを待っている行き着くところは永遠のいのちと神の御国とされている。

ローマ8章1〜4こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

 私たちの生き方が変えられ、この神の愛、恵み、みことばを受け、内に住む御霊の取り扱いを受け、義の生活をすることができるようにされて、より従う者とされている、と言っている。

「定めの時が来る」

今晩、各地でクリスマスを祝い楽しむ時が待っている。ともに与ろう。

 神のご計画の時は必ず実現されていく。すべてのことに時がある、天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある、それらはすべて時にかなって美しい、そこに神の栄光の輝きがあると聖書は語る。

 そして旧約時代に「あなたの王が来られる。」「エッサイ(ダビデの父)の根株から新芽が生える。」と約束されたメシヤの登場が起こった。

ガラテヤ4:4定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。

 イエスが私たちの世界に来られるのは、私たちが希求したからではない。神の定めの時だった。

ミカ5:2ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。

 ダビデはユダのベツレヘムのエフラテ人でエッサイという名の人の息子であった。ということは、ダビデの子孫からメシヤが出るということをここで預言している。

マタイ1:20〜23彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」このすべての出来事は、主の預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)


 ただ生まれたのではなく、イスラエルの民と同じく律法のもとにある者、律法に生きる者なり、律法に聞き従わなければ罪の報酬である死を受ける者となり、最後には私たちの受けるべきのろいを一身に受け、身代わりとなり十字架で死に渡されることになった。

5これは律法の下にある者をあがない出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。

 定めの時がもたらすのは、ご自分の民をその罪から救ってくださるとあるように、その名を信じた人々は神の子どもとされる特権を得て、闇から光へ、罪ある者が罪なき者と見なされ、永遠の死から永遠のいのちへと移されるという、思いもよらないことだった。また、神の子どもであることは、御国を相続するということである。

 イエスはいつも「わたしの時」を意識していた。だからあるときには「わたしの時はまだ来ていません。」と言い、またあるときには「栄光を受ける時が来た。」と言われた。これから起こる再臨についてはイエスがこのように言っている。

マタイ24:36その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。

 私たちもすでに神の子ども。後の状態はまだ分からないが、イエスが再び来られたとき、イエスに似た者となると定められている。

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