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さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか。」とみなで話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。それで、墓の中にはいったところ、真白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。 墓の入口の石について別訳にこうある。
マタイ28:2すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。
それで墓に入ってみると、そこにあるのは空になったイエスの遺体を包んでいた亜麻布だけで、おまけに真白な長い衣をまとった青年と見える御使いが立ってれば、誰だって驚く。
しかし何と言っても驚きは「イエスはここにいない。いま、生きてガリラヤにいる。」ということである。そのことを弟子たち特にイエスを三度否んだペテロに伝えなさい、という。
何度も人の子は、三日目によみがえる、と言われていたのだから、本当は喜びの驚きなのだが、女たちは目の前の出来事に混乱して墓から逃げ出したのだ。この後、弟子たちにイエスが姿を現し「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」と言って、天に上げられて神の右の座に着くことになるのである。
パッションという映画で一番印象的な箇所が最後のすがすがしい顔のイエスだった。裸のまま墓から出て行こうとしているシーンだった。いまでも心に焼き付いているシーンである。
そしてこのイエスのよみがえりは私たちにも当てはめられることなる。私たちは十字架を突き抜けて、復活のいのちに生かされている。罪過の中で苦しんでいたけど、いまはそこから開放され、新しい生き方をさせてもらっている。
私たちはもう確かに、死もない、苦しみも、病もない御国に入れられていることを喜ぶ。そして罪から離れて、本気でイエスに生きる。神が望んでいることは、生きた私たちの信仰なのだから。
私たちはもう復活に与っているとも言えるのだ。と言うのもイエスを救い主と信じる者に与えられるイエスのよみがえりのいのち、すなわち永遠のいのちが覆っているからである。後は、その時を心の底からと待ち望むのだ。
ピリピ3:20〜21けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
この復活のイエスのからだと同じ姿こそ希望、喜びである。
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