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このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」すると、彼らはこう言った。「私たちは、あなたのことについて、ユダヤから何の知らせも受けておりません。また、当地に来た兄弟たちの中で、あなたについて悪いことを告げたり、話したりした者はおりません。私たちは、あなたが考えておられることを、直接あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。」そこで、彼らは、日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。ある人々は彼の語ることを信じたが、ある人々は信じようとしなかった。こうして、彼らは、お互いの意見が一致せずに帰りかけたので、パウロは一言、次のように言った。「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの父祖たちに語ったことは、まさにそのとおりでした。『この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」(ある写本には)彼がこれらのことを話し終えると、ユダヤ人たちは互いに激しく論じ合いながら、帰って行った。こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。
ローマに入ると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。パウロは囚人であったので、いままでのようにシナゴーグに行くことが出来ず、ローマに住むユダヤ人のおもだった人たちを呼び集めて「イスラエルが希望していることのために、私はこのように鎖でつながれている。」のだと説明する。イスラエルが希望していることとは、救い主の到来のことについてである。パウロが伝えて来たことは「ナザレのイエスこそ、私たちが待ち望んだメシヤである。」ということなのだ。
パウロは何よりも同胞の救いのために神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、ナザレ人イエスが預言されていた救い主であることを彼らに説得しようと朝から晩まで語り続けたのだ。
それはパウロ自身がキリスト者を迫害した間違いに気づき、復活のイエスに救われたことによる。パウロは神に選ばれたイスラエルの民がかたくなな心で「道であり、いのちであり、真理である。」イエスを拒んでいることに痛みを持っている。
パウロは同胞イスラエルが救いに向かう道を選び取ることを切望している。そのためなら自分自身がのろわれても良しとする覚悟があると言うのである。
ローマ9:1〜5私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン
モーセもイスラエルの民が神に反逆することに心を痛め、民の救いと引き換えに、天のいのちの書から私の名を消してください、と祈ったのである。この二人の祈りは正直、他人事のようだがすごいと思う。
出エジプト記32:32今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら――。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。
イエスはそれを実行されたのである。私たちのためにのろいとなって神に見捨てられたのだ。それによって私たちが救いに与ることが出来るのである。
ここでもまた福音を受け入れる者と、受け入れない者が起こるのである。ここで言われている「あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。」であったはならないのだ。それでは「彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。」とされてしまうからである。
ローマ10:1兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。
確かにこのように信じる者が少ないのだが、それでもこのパウロのことばが私たちのことばでありたい。神は私たちを通して人々を神の福音に聞き、救いに与る目的ようにと、このモーセやパウロのように私たちを救ったのだかたである。
マタイ24:14この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
その完成の時が迫っている。
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