生活の中の聖書

おやじの好き勝手なつぶやき

使徒の働き

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全17ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」すると、彼らはこう言った。「私たちは、あなたのことについて、ユダヤから何の知らせも受けておりません。また、当地に来た兄弟たちの中で、あなたについて悪いことを告げたり、話したりした者はおりません。私たちは、あなたが考えておられることを、直接あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。」そこで、彼らは、日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。ある人々は彼の語ることを信じたが、ある人々は信じようとしなかった。こうして、彼らは、お互いの意見が一致せずに帰りかけたので、パウロは一言、次のように言った。「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの父祖たちに語ったことは、まさにそのとおりでした。『この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」(ある写本には)彼がこれらのことを話し終えると、ユダヤ人たちは互いに激しく論じ合いながら、帰って行った。こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。

 ローマに入ると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。パウロは囚人であったので、いままでのようにシナゴーグに行くことが出来ず、ローマに住むユダヤ人のおもだった人たちを呼び集めて「イスラエルが希望していることのために、私はこのように鎖でつながれている。」のだと説明する。イスラエルが希望していることとは、救い主の到来のことについてである。パウロが伝えて来たことは「ナザレのイエスこそ、私たちが待ち望んだメシヤである。」ということなのだ。

 パウロは何よりも同胞の救いのために神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、ナザレ人イエスが預言されていた救い主であることを彼らに説得しようと朝から晩まで語り続けたのだ。

 それはパウロ自身がキリスト者を迫害した間違いに気づき、復活のイエスに救われたことによる。パウロは神に選ばれたイスラエルの民がかたくなな心で「道であり、いのちであり、真理である。」イエスを拒んでいることに痛みを持っている。

 パウロは同胞イスラエルが救いに向かう道を選び取ることを切望している。そのためなら自分自身がのろわれても良しとする覚悟があると言うのである。
ローマ9:1〜5私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン

 モーセもイスラエルの民が神に反逆することに心を痛め、民の救いと引き換えに、天のいのちの書から私の名を消してください、と祈ったのである。この二人の祈りは正直、他人事のようだがすごいと思う。
出エジプト記32:32今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら――。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。

 イエスはそれを実行されたのである。私たちのためにのろいとなって神に見捨てられたのだ。それによって私たちが救いに与ることが出来るのである。

 ここでもまた福音を受け入れる者と、受け入れない者が起こるのである。ここで言われている「あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。」であったはならないのだ。それでは「彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。」とされてしまうからである。

ローマ10:1兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。

 確かにこのように信じる者が少ないのだが、それでもこのパウロのことばが私たちのことばでありたい。神は私たちを通して人々を神の福音に聞き、救いに与る目的ようにと、このモーセやパウロのように私たちを救ったのだかたである。

マタイ24:14この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

 その完成の時が迫っている。

こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ」と互いに話し合った。しかし、パウロは、その生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。島の人々は、彼が今にも、はれ上がって来るか、または、倒れて急死するだろうと待っていた。しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、「この人は神さまだ」と言いだした。さて、その場所の近くに、島の首長でポプリオという人の領地があった。彼はそこに私たちを招待して、三日間手厚くもてなしてくれた。たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。そこでパウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやった。このことがあってから、島のほかの病人たちも来て、直してもらった。それで彼らは、私たちを非常に尊敬し、私たちが出帆するときには、私たちに必要な品々を用意してくれた。三か月後に、私たちは、この島で冬を過ごしていた、船首にデオスクロイの飾りのある、アレキサンドリアの船で出帆した。シラクサに寄航して、三日間とどまり、そこから回って、レギオンに着いた。一日たつと、南風が吹き始めたので、二日目にはポテオリに入港した。ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した。


 初めはクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごすことだった。そこは同じクレテ島にある港である。けれども嵐に見舞われ船はどの地点にいるのかさえも分からないまま流された。

 漂流したら陸の上のように止めたり、方向転換が出来るものではない。それでたどり着いたのがマルタ島であったのだ。巻末の地図で見ると1000kmも離れた地点である。そしてなんと不思議なことに、すぐ近くにシチリア島である。もうそこはローマが目と鼻の位置である。

 「私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」と神の約束を信じたパウロが言ったように、マルタと呼ばれる島に上陸することが出来たのである。そこには神の強い意志が貫き通されているのだ。

 いくら嵐で遭難したからといって軍人をはじめ囚人たちの集団が島に上陸して来たら、思わず引きそうになるところだが、島の人々は非常に親切にしてくれ、雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいてもてなしてくれたほどである。どれだけ喜んだことであろう。

 ところが、難破から助かりホットする間もなく、一難さってまた一難が起こるのだ。島の人々の親切に応答して火が消えないように薪を集め、火に焼べた時、まむしがはい出して来て、彼の手に取りついたのだ。

 ローマを目前にパウロにまた邪魔が入るのだ。しかし、どのような邪魔が入ろうとパウロには通用しないのである。神が言われたようにパウロはローマにおいてカイザルの前に立つことになるからだ。

  島の人々はこれを目撃して「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ」と互いに話し合ったと言う。人々は「やっぱりこの人は悪人なのだ。」と思ったのだ。それで天罰が下ったのだと言い合ったのだ。これはまだ、福音が伝わっていないところにある古くからの言い伝えである。

 しかし、パウロは何の害も受けなかった。人々の注視が注がれたが少しも変わった様子が見えない。そこで「この人は神さまだ」と言いだした。

 使徒たちは何度も神によって為されたみわざの現すことがあり、その時人々から「神だ。」と言われたことがあったが、決して浮つくことなく同じ人間であり、神が為されたことだと証しして来た。

 私たちは時としてこのように人々から賞賛されることがあるかもしれないが、それに揺り動かされてはならないのだ。サタンはこのように機会を逃さずに「あなたには誰に頼らずにそのようなことが自由に出来る力がある。もっとあなた自身の栄光を現せ。」と誘惑してくるからである。

マルコ16:17〜18信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人の上に手を置けば病人はいやされます。

 ここにも島の有力者の父の癒しがあり、ほかの病人たちも直してもらったことが書かれている。この時点で人々はまことの神の存在を知ったことだろう。神の力は人間の作り出した古い言い伝えに頼ることから、神の福音へと心の思いを変えるのである。

 三か月後に新しい船で出帆する時、必要な品々を用意して、見送ってくれたのである。そして心地よい南風がに乗り、ローマに到着するのである。

 神のご計画は私たちの思いを超えて着実に進行していく。これはこの地上のことだけではなく、救いの全き完成の時に向かってのことでもある。それに向かって私たちも歩み続ける。その時、サタンはパウロのしたように火の中に振り落とされ、永遠の苦しみに遇うのだ。

十四日目の夜になって、私たちがアドリヤ海を漂っていると、真夜中ごろ、水夫たちは、どこかの陸地に近づいたように感じた。/どこかで暗礁に乗り上げはしないかと心配して、ともから四つの錨を投げおろし、夜が明けるのを待った。ところが、水夫たちは船から逃げだそうとして、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろしていたので、パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません」と言った。そこで兵士たちは、小舟の綱を断ち切って、そのまま流れ去るのに任せた。ついに夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで一同も元気づけられ、みなが食事を取った。船にいた私たちは全部で二百七十六人であった。十分食べてから、彼らは麦を海に投げ捨てて、船を軽くした。夜が明けると、どこの陸地かわからないが、砂浜のある入江が目に留まったので、できれば、そこに船を乗り入れようということになった。錨を切って、海に捨て、同時にかじ綱を解き、風に前の帆を上げて、砂浜に向かって進んで行った。ところが、潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始めた。兵士たちは、囚人たちがだれも泳いで逃げないように、殺してしまおうと相談した。しかし百人隊長は、パウロをあくまで助けようと思って、その計画を押さえ、泳げる者がまず海に飛び込んで陸に上がるように、それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。こうして、彼らはみな、無事に陸に上がった。

 パウロは難船したことが三度あり、一昼夜海上に漂った経験があると言っている。それで航海は危険だとアドバイスしたが、結局、無視されて航海に出た。その結果、こうして嵐に見舞われてしまったのだ。

 この状況では目の前で起きている現実、嵐に翻弄され、恐れに支配されて、とても冷静な判断をすることは出来ない。人はこのような状況で何が出来るのだろうか。何も出来ない。嵐の収まることを願うだけだ。
 
 けれどもパウロは目の前の現実を問題とせず、神を問題としている。パウロは神に信頼し、約束の実現を信じて待っていた。聖書に信仰者はあわてることがないとある。

 パウロはこの騒動の中で十四日間何も口にしていない一同に食事をとることを勧めた。「腹が減ってはいくさは出来ぬ」である。これから待っていることへの備えである。そうしパウロはパンを取って感謝の祈りをし、食べたのだ。これは決して大袈裟なことではなく、いつもの食前の祈りだった。

 この場面はいまだ荒れた天気と波の中のことである。あくまでパウロのことばだけの望みである。この危機迫る中でするパウロの姿に、人々は驚きあきれたかもしれないが、同時に心に余裕をもたらしただろう。それで彼らが食事をし、体力をつけ、元気を回復していった。

 いま私たち高齢者は猛暑の見舞われて、熱中症を恐れ、いつまで続くのかと思い煩っている。けれどもその中で私たちは神に守られ、夏負けすることのないように、無駄な動きを控え、キチンと食事をし、体力をつけ、睡眠を取り、元気に過ごすのである。

 夜明とともに砂浜のある入江が目に留まった。けれども、浅瀬に乗り上げ船が壊れた。その時、囚人たちをが泳いで逃げないように殺そうとするが、あれほどパウロのことばより船長たちを重んじた百人隊長がパウロのことばに聞き従い止め、まず泳げる者が先に飛び込んで陸に上がりようにし、残りの者は板切れなど利用出来る物につかまるように命令し、みな、無事に陸に上がることになったのである。

 神は「同船している人々をみな、あなたにお与えになった。」とパウロに言われた。その数276人である。けれども、パウロが人々を救ったのではない。この共同体すべての人々が神の恵みに与って欲しいのである。それでパウロが神の恵みに出会うための器として用いられたのである。こうして神の約束が確かに実現したのである。失ったのは船だけであった。

 私たちもまた、それぞれの共同体においてキリストの恵みに与った者としての立場ゆえに、パウロのように人々を神の恵みと結び合わせる必要を覚えるのだ。それが先に救われ、神の子どもとされた特権を得た者の勤めでもある。

 神は「黙ってはいけない。この町には多くのわたしの民がいる。」と語られる。神は私たちを通して、御業を現すことを求めている。私たちは世の光、地の塩とされている。パウロはそれであった。大切なことは、私たちが加わっている共同体で、福音を宣べ伝えることではあるが、ことばではなく日々の生き方でキリスト者として生きることなのである。

 彼らは「ともから四つの錨を投げおろし、夜が明けるのを待った。」のだ。けれどもどんなに熱心に願っても、この暗い夜から抜け出すことが望めない。夜明けを待ち望むことが出来るのはイエス・キリストの十字架の死と復活に現された私たちへの神の愛に頼るだけである。

しかしクラウダという小さな島の陰に入ったので、ようやくのことで小舟を処置することができた。小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻いた。また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた。私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」


 パウロが言ったように、天気の安定する季節を待って航海すれば良かったと思っても、後悔先に立たずの状況である。太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、助かる最後の望みも今や絶たれたかに思われた。そして人々は積荷を捨て始め、三日目には、自分の手で船具までも投げ捨ててしまった。

 船長たちはこの仕事で生計を立てて来た。そのために積荷の運搬にこれまで苦労して来たのだ。それを捨てざるを得ないとは何とむなしいことであろう。それだけではなく、船具まで捨てることになるとは。

 その状況の中でパウロは過去のことを責めることなく「元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」と言ったのだ。

 現状は荒れ狂う嵐の中。パウロのことばには不思議とすでに島に上陸して助かったかのような確信が見える。それはこの約束を神によって信じていると言える信仰の確信があったからなのだ。パウロはこの嵐の中に、ともにいる神を見いだし信頼したのだ。


マタイ8:24〜27すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。


 私たちの神はあえて困難を与え、苦難を経験させる。それは神がともにおり、私たちのために行なわれる神のわざを見るためなのだ。

 私たちの神は私たちが大変な苦しみと思っている時、どうして進めばいいのか分からず、自分一人だと孤独感に覆われている時、背負い、責任をもって支えてくれている。

 「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」とイエスを悲しませることがないように、ともにいることを喜び、信頼する者でありたい。

そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した。そこに、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた。幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。かなりの日数が経過しており、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、「皆さん、この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」と言った。しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した。ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした。

 この時期の海は荒れるので航海に出ることがなかったが、この場所が冬を過ごすのに適していなかったことで、百人隊長は航海士や船長のほうを信用し、クレテの港ピニクスまで行って、冬を過ごすことになった。その途中で暴風に巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした。

 私たちの人生もこのように突然の暴風に見舞われる。私たちの人生は一寸先は闇であると言われるようなものであり、自分の思うようにはいかないものである。

 日本はいま、政治的混乱に、経済的不況に、社会的乱れの内にあるが何をするべきかを見極めることが出来ず、しかたなく吹き流されるままにいる。世界もそうである。

 神なき世界に歩み続けていることがその根本の問題である。人間的な施策で解決出来ると考えていることのゆえに、迷路をさまよっているのだ。もちろん神を信じても艱難ありで、思わぬ出来事がある。けれどもそのような中にあって神のわざに希望を持ちその時を待ち望む。

 ノアたちは外の大嵐に関わらず、箱船に乗り込んだ平安にあって、大水の上を漂った。これは神によって始められたことであり、時が来れば終わり、新しいことが始まると知って安心していたのだ。

 これが神を知ることを良しとする人の生き方である。暴風に巻き込まれ、風に逆らって進むことが出来ず、しかたなく吹き流されるままにされるのではなく、神は「恐れるな。わたしはいつもあなたとともにいる。わたしを信頼しなさい。」と語りかけるのである。

 パウロの受けていたことはローマで証しをすること。それがパウロにある神のご計画である。同じように神は私たちにご計画を持っておられる。それをいま確かに為しておられる。

 その内容が私たちには分からないゆえに、思わずのけぞってしまう事柄が起こるかもしれないが、それらも含めて神の子どもとしての訓練をもたらし、神の御手の中にあって生かされている。

Iコリント10:13あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

 パウロの語る「皆さん、この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます。」に私たちは耳を傾けなければならない。誰にでも必ず神の御前に出る時が来るからである。

全17ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
jc_*rot*er
jc_*rot*er
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(7)
  • nojimapark
  • かよちゃ
  • TERU-HIDE@初日
  • ふみくん
  • takuya
  • レベキ監督牧師
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

ブログバナー

Yahoo!からのお知らせ

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事