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想定内とはいえ暑い!!!!果たしてクールビズで持つのか。
兄弟たち。このような勧めのことばを受けてください。私はただ手短に書きました。

 いまの時代においてはイエスによって多くのことが語られている。イエスは神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられ、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれお方であると。

 イエスはご自身を捧げられた一回きりの十字架の贖いで、救いのわざを完了された。永遠の大祭司イエスによる救いは何一つの狂いのない完全な救いなのだ。永遠であり、不変であり、確実のことなのだ。
 
 私たち人間の負うべき罪の罰はすでにイエスの上に下った。イエスが罪ののろいを私たちに代わって受けた。神は満足された。それで私たちに対する罪ののろいはなくされたのだ。

 絶望するしかないように見えるけれども、そこにいつまも変わらぬお方がいる。それがイエス・キリストだ。それでイエスが私たちに何をしてくれたのかを考えること、イエスにある希望に生きること、信頼し続けることが大事なことなのだ。それで私たちキリスト者はこの信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないのである。
 
 イエスから目を離さないのは私たちの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためなのだ。それはイエスが私たちの生きる意味を、生き方を、その道筋を見せてくださった。信仰の創始者であり、完成者であるイエスは信じる私たちを最後まで支えるお方であるからだ。

 人間には確かな土台がなく、揺れ動くものだ。けれどもキリストを土台とする揺るぎない信仰が私たちの人生。私たちは神に完全に赦され、受け入れられている。この確信を持ってキリストに根ざして、イエス以外に頼り求めるという余計なものを捨て、身軽になり、最後まで走り続けるのだ。
    
 イエスは永遠から永遠まで存在しておられるお方。いつも変わらず私たちに対して「決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」と約束され、変わらずに私たちに愛を注ぎ込んでおられる。イエスがいのちの源であり、生きるうえの飢え渇きから解き放つお方だ。

 私たちのいのちと力の源泉は内にいるキリスト。その力は私たちに益となり神の計り知れない力が働く。それを私たちは忘れることなく、神の恵みを受けた者として、神のご計画に、みこころに生きることを喜びとして、歩み続けて行きたい。 

 私たちは国籍を天に持つ。これからくる新しいエルサレムに住む者だ。神の栄光の光の中で、苦しみや悲しみ、病や死さえもない神の栄光の世界で生きることが出来る者とされている。

 聖書の語る望みは単なる願望ではなく、いまあり、将来に実現する確かな約束のことなのだ。それがイエス・キリストにおいて実現した救いである。イエスは救いを完了し、いま天にいて再びこの地に来る時を待っている。私たちもその完全なる救いの完成の時を待ち望んでいる。これが希望である。

 私たちはイエスを待ち望んでいる人々の救いのために再び来られる時が来ることを知っているので、目を覚ましてイエスにあることの確信と、希望を終わりまでしっかりと持ち続ける。

 信仰生活の中心はキリストにつながって生きること。ともに歩み離れないことだ。ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしていくことなのである。Iわりまでしっかりと持ち続ける。

 信仰生活の中心はキリストにつながって生きること。ともに歩み離れないことだ。ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしていくことなのである。

永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行ない、あなたがたがみこころを行なうことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン。

 平和の神とは、ただ穏やかで柔和の神ではなく、平和に敵対する者と戦われる神である。神は秩序の神である。この世は秩序によって保たれるように造られたが、人は神との関係を崩壊させてしまった。

 神はそのために御子イエスを遣わし、敵に勝利した戦う神である。その神が私たちとともにいるのだ。そのために御子イエスを遣わし、イエスにおいて私たちと神との関係を取り戻された。イエスにおいて、もう私たちは園の木々の間に隠れることがなく神とともに住む者とされたのである。

 イエス・キリストは私たちと同じ罪ある人となって、罪からの報酬を受けて十字架で死ぬことを良したされたのだ。イエスの流された血潮は信じる者も信じない者にも永遠を決定する契約となったのだ。
 
ローマ5:1ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
 
 私たちは神との間にはもうすでに隔てる壁がなくなった者とされている。部屋の中がグチャグチャでどこに何があるかが分からない状況ではなく、スッキリ整頓された状況だと言うことだ。

 シャロームである平和の神。いのちの源なる神。恵みに満ちた神。その神がイエスにあって私たちを完成へと導かれている。いま、神の祝福に与る者となっている。
 
 信仰によって義と認められた私たちは、神との平和を持っている。平和の神のものとされた。それで神を大いに喜んでいる。私たちはもはや神の敵ではなく、神が私たちの味方となられたのだ。これほどの幸いは他にはない。

ローマ8:31では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

 誰も敵対することが出来ない。この世も悪魔も敵対してくる。けれども神は私たちに和解を与えてくれた、罪から引き離してくれたのだ。誰も私たちを罪に定めることが出来ない。

 私たちは自分の力で完全な者となることなど無理な話だ。私たちはイエスにあって義とされた者。新しく生まれた私たちは神の子どもとされた者。後は栄光から栄光へとキリストの似姿に変えられる時を待ち望み、完全とされる時を喜ぶのである。

 私たちはすでに祝福のうちに置かれている。あとはそのことを気付き、感謝をもって神とともに歩むことなのだ。

エペソ6:10あなたがたの力の源泉は、あなたがたの内におられるキリストの全能の力にあることを忘れないで下さい。(リビング・バイブル)

 私たちの力の源泉は内にいるキリスト。その力は私たちに益となり神の計り知れない力が働く。それを私たちは忘れることなく、神の恵みを受けた者として、神のご計画に、みこころに生きることを喜びとして、歩み続けて行きたい。

7神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。
17あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。

 ここには二つの指導者たちのことが書かれている。初めはすでに召されて天に帰った者たちについてであり、後者はいま、神のことばを語る者たちである。

 そこで言われていることは、指導者たちを思い出しなさい。生活の結末をよく見なさい。そしてその信仰にならいなさい。言うことを聞きなさい。服従しなさい、である。

 私たちはいつまでも変わることのないキリストを見つめる信仰の道を歩んでいる。パウロはこのように言っている。

ピリピ3:17兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
 
 パウロの生き方は何よりもキリストを得たことによってすべてが塵に、ゴミに思えた。それで後ろのものを忘れ、前のものに向かって一心に走り、光栄の冠をいただくことを喜んだ。パウロは先を見ていた。
 
 パウロは幾多の困難に中で生きた。けれども、その困難を求めていたわけではない。キリストに生きることが、反発を招き苦難にあったのだ。パウロはどのように生きているを、生活を通して見せている。だから見ならって欲しいと言うのだ。もちろんそれはパウロの高慢さで言うのではなく、キリストがともにいるゆえであり、御霊の導きによることである。

コロサイ1:28〜29私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。

 指導者たちは神にとりなしをする者であり、みなのたのたましいのために見張りをしている者。どのようにイエスに結び合わされる者となるように心を配る者。だから、聞き従うように、と言う。それがまた、私たちの益だからだと言うのである。

 パウロは福音を曲げることなく語たった。それは人々の救いのため。神が喜ばれるから。パウロは神のことばを、真理を伝え続けたのだ。真理は聞く者の力となり、成長となるからだ。

 だから語る者も聞く者もこの世の生活に役立つこと、どうしたら幸いな人生を送ることが出来るかを教えるさまざまなセミナーのようにではなく、神の語る真理をストレートに語り聞く必要がある。

 私たちは信仰の受け継ぎをしていくのである。私たちキリスト者はこれから先、今度は彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい、と言われるようになる。私たちが目を向けるべきはイエス・キリストである。

 もしそれがおろそかになるとするならば、たとえ種を蒔いても、生きた種でないなら、良き収穫が得られなくなる。

ですから、いろいろの珍しい教えに心を奪われてはなりません。あなたがたの霊的な力は、神様からの贈り物であって、ある特定の物を食べる、儀式上の規則によって得られるものではありません。そのような規則は、たとい厳守しても、その人を助けてくれません。私たちには、キリスト様がいけにえとなられた十字架という祭壇があります。 ユダヤ人のおきてにしがみついて、救いを見いだそうとする人は、この祭壇から助けを受けることはできません。ユダヤ人のおきてによると、大祭司は罪のためのいけにえとして、殺された動物の血を携えて聖所に入りますが、動物の体は、町の外で焼かれることになっています。イエス様も、町の外で苦しみを受けて死なれました。この、町の外で流された血によって、私たちの罪は洗いきよめられたのです。だから私たちは、町の外に出て〔この世の人たちの関心事をあとにし、人々からさげすまれることも覚悟して〕、キリスト様のはずかしめを身に受け、共に苦しむために、この方のもとに行こうではありませんか。この世は、私たちの住む所ではなく、私たちは、天にある永遠の住まいを待ち望んでいるからです。イエス様に助けられながら、神様のすばらしい御名を宣べ伝えることによって、常に、賛美の供え物をささげましょう。いつも、良い行ないをすることと、困っている人たちに持ち物を分けることとを心がけなさい。神様はこのような供え物を、とても喜んでくださるのです。 (リビングバイブル)

 いつも変わらず私たちに対して「決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」と約束され、変わらずに私たちに愛を注ぎ込むイエス・キリストがおられる。
 
 ですから、いろいろの珍しい教えに心を奪われてはなりませんと言われる。これまでにもますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなさい、と言われている。

 私たちはイエスにあって神の子供とされ、恵みを受けている。それだから神に信頼していく。イエスはこのように言っている。

ヨハネ6:27〜29なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか。」イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。

 永遠のいのちに至る食物はイエス・キリストへの信仰に生きることなのだ。信仰がなくては神を喜ばせることが出来ないと言われている。

35わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

 イエスがいのちの源であり、生きるうえの飢え渇きから解き放つお方なのだ。イエスを信じる者の生き方は空の空ではなくなるのだ。永遠のいのちを持つからである。

 私たちにはイエスが町の外カルバリ丘でいけにえとなられた十字架という祭壇がある。ここに立つ時、私たちはこの世の栄華にあこがれることではなく、天にある永遠の住まいを待ち望むのだ。
   
 聖書は私たちの心がいつも救われた喜びで、イエスへの賛美と感謝に満ちてようにと言うのである。
  
コロサイ3:16キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

 いまの時代、いまの状況の私たちは本当の確かさを求めていると言ってもいいだろう。この世にあるものが崩れ去り、消え去る現実がある。またすべてのことが時々刻々と変化する。私たちのあり方に、政治に経済に変化が求められている。

 この世のすべては変化していくものである。いかなる栄えも衰える時があると言うのである。私たち自身の一生も日々に変化する。人間には確かな土台がなく、揺れ動くものだ。絶望するしかないように見えるけれども、そこにいつまも変わらぬお方がいる。それがイエス・キリストだ。

ヘブル7:24〜25しかしキリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

 イエス・キリストはすべての創造者であり、すべての権威を持っておられるお方であり、永遠に存在されるお方。私たちの救い主となってくださったお方である。

 キリストはただ一度十字架で死なれたが、復活し、いま生きて天におられる。キリストのなされた贖いは永遠に完全なのだ。それゆえ、確かにいま置かれているこの地上での私たちは不安定であるが救いの完全さに喜べるのである。
 
 イエスは私たちに対して「決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」と約束された。私たちが離れることがあってもイエスは変わらずに私たちに愛を注ぎ込むと言われているのである。
 
黙示録1:8神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。

 イエスは永遠から永遠まで存在しておられるお方。過去も現在も未来も一つの中にあることを現わしている。これは時間に制限されないお方であるということなのだ。

 私たちは一時的にいましの存在だ。けれども、私たちもまた永遠の時に組み込まれる完成がある。これは大きな励ましであり喜びである。

 イエスの栄光はどこまでも変わることなく、永遠から永遠である。イエスは栄光の王。主の主である。そしていま栄光のうちに来られようとしている。

黙示録22:20これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」
 
 私たちはこのことばに「アーメン。主イエスよ、来てください。」と応答して、イエスを待ち望み、御国に入る住人として、変わらないイエス・キリストの愛の支配のうちに生きるのである。

黙示録22:10〜11また、彼は私に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」 
  
 時が近づいている。ますます聖なる者とされたい。

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