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民数記

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 以前、マナセの一族のツェロフハデの娘たちはモーセたちにこのように訴えた。「私たちの父には男の子がなかったけれども、私たち娘にも父の兄弟たちの間で所有地を与えてください。」と。

 それに対して神は「男の子がないとは、あなたがたはその相続地を娘に渡しなさい。イスラエル人のための定まったおきてとしなさい。」と言われていた。土地を相続する権利があることを認められた。

 ここではこのことをもとにしてヨセフ族のかしらたちが進み出て、モーセに訴えた。「娘たちが他の部族の息子たちにとついだなら、彼女たちの相続地は、私たちの父祖の相続地から差し引かれて、私たちの相続の地所は減ることにな。」と。それでは部族ごとにクジ分きで神が与えた意味がなくなると訴えたのだ。 

 イスラエルの各部族の務めは神が備えた地で争い事なく平和に暮らし、平安に過ごすことだ。荒野で幕屋を中心として各陣営が東西南北に宿営したように、それぞれが地境を人間の都合で勝手に変更することではない。

リビング・バイブル5〜9そこでモーセは、この問題をはっきりさせるため、神様の命令を伝えました。「ギルアダ一族の訴えはもっともだ。だからツェロフハデの娘の件はこうしなさい。『彼女たちは同族の者と結婚すれはいいのだ。それなら、土地が他の部族に移ることもない。相続地はいつまでも、最初にくじで決めたとおりのままにしておかなければならない。どの部族でも、娘が相続人となる場合は、必ず同族の者と結婚しなさい。こうすれば、相続地が部族のものになる心配がない。」

 相続は代々受け継がれるものだ。神が与えた相続地をそれぞれが知恵を用いて管理する必要がある。ロトはそれに失敗して領域からソドムとゴモラの地に入ってしまった。十戒は「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」と言っている。

 イスラエルはここまで神のことより自分たちのことを優先させようとして神に不平不満を言って来た。けれども結果は神の導きに助けられるだけであった。

 求められることは群れの一員としての責任を負うこと。イスラエル人の部族は、おのおのその相続地を堅く守らなければならないからである。それで自分の好みで選ぶ結婚ではなくて「同族の者と結婚しなさい。こうすれば、相続地が部族のものになる。」と言われる神の選びに信頼することだと言うのである。

 ひとつのかたまりであった出エジプトの民は神に立てられたかしらを用いられ、約束の地に入るまでに神が多くの訓練をもってイスラエルを導かれた。そこにあったのは神のあわれみ、いつくしみ、それに値しない者への恵み、不信仰に対する忍耐である。

 私たちは神のはかりなわの内に生きる者。その幸いを味わう者。神の備えに感謝する者。神の約束に希望と喜びを持つ者とされた。神の目的にある群れの秩序の維持に当たることであり、そこに個人だけではない群れが平安に満ちて生きるものとなるのだ。 

 私たちもまたかしらなるキリストにあって、神の民とされた。私たちはキリストにある者として、神の民にふさわしきく生きるアイデンティティを確かなものとして考え整え行動するために訓練されている。私たちがすることは神が私たちに何をされ、何を完成させてくれるのかを思い、私たちの内に働き、みわざをされる神を待ち望むこと、神に依り頼むようになること。そして用いられることだ。

 レビ人に住むための町々として与えるように、と神は言う。そしてこの町々は人を殺した者がそこにのがれるための六つの、のがれの町と、そのほかに四十二の町で全部で四十八の町である。その目的はこのようなものだ。

11〜12あなたがたは町々を定めなさい。それをあなたがたのために、のがれの町とし、あやまって人を打ち殺した殺人者がそこにのがれることができるようにしなければならない。この町々は、あなたがたが復讐する者から、のがれる所で、殺人者が、さばきのために会衆の前に立つ前に、死ぬことのないためである。

 それはイスラエルの中で同胞とはいえ人間関係でトラブルがあるため、もちろん悪意、敵意を持って人を殺すならばどこにいても死罪とされるが、たとえあやまって人を打ち殺した過失であっても近親者からの復讐を防ぎ、さばきを受けさせるためにのがれの場を定めた。そしてこれはイスラエルの群れに属する外国人も含まれていること。

 神はどんな咎でも、どんな罪でも、すべての人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない、と言われた。神はきちんと検証して、逆にあやまって犯意のない者を死罪にしてはならないとされたのだ。

 私たちの社会には多くの事件が起こる。それを解決するために裁判が行われる。けれども残念ながらこれまで我が国でも冤罪があり、またどういうわけか故意に犯罪者に仕立て上げることもある。仇討ちというものが昔にあった。映画、演劇にそれが用いられてもいる。私たちはそれを見終わって「よくやった!」と思わず心で言ってしまう者。

 それだけ人間のすることには不完全さがあるゆえ、私たちに悪の連鎖を避けるようにと、神は私たちに慎重に検証することが求められているのだ。

 創造主なる神にはすべてのことがお見通しなのである。私たちには自分を苦しめる者には何か仕返しをしたいと思う感情がある。それは素直な感情である。けれどもあなたがたは軽々しくさばきを行なうな、早とちりするな、正しいさばきを神にゆだねるようにと。

 「隣人に関して偽証してはならない。」と言われている。神は悪を善とすること、また逆に善を悪とすることを厭うお方である。さばかれる者もさばく者も神の目には同じ。
  
 ここでは敵意、悪意を持ってしたのではなく故意で殺人をしてしまった者への救罪策が用意されているが、神は私たちに驚くべきわざを行われた。故意に神を無視したアダムの罪をイエスにおいて断罪されたことである。どのような罪の中にあっても「世の罪を取り除く神の子羊」なるイエスを救い主とする者の罪を赦されたのだ。

 イエスこそ私たちと神との隔ての壁を打ちこわし、そこに神との和解が置かれた。敵意は十字架によって葬り去られた。それゆえ私たちは、このキリストのうちに置かれたことによって父のみもとに近づくことができる者とされたのだ。

コロサイ2:14いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。

 私たちはもう神の御住まいに置かれているので、さばきにおびえることなく、私たちはこのキリストの内にいるさいわいを味わい生かされていることを感謝し、神との関係をより確かなこととして前進する。

1〜12主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に命じて、彼らに言え。あなたがたがカナンの地に入るとき、あなたがたの相続地となる国、カナンの地の境界は次のとおりである。あなたがたの南側は、エドムに接するツィンの荒野に始まる。南の境界線は、東のほうの塩の海の端に始まる。その境界線は、アクラビムの坂の南から回ってツィンのほうに進み、その終わりはカデシュ・バルネアの南である。またハツァル・アダルを出て、アツモンに進む。その境界線は、アツモンから回ってエジプト川に向かい、その終わりは海である。あなたがたの西の境界線は、大海とその沿岸である。これをあなたがたの西の境界線としなければならない。あなたがたの北の境界線は、次のとおりにしなければならない。大海からホル山まで線を引き、さらにホル山からレボ・ハマテまで線を引き、その境界線の終わりはツェダデである。ついでその境界線は、ジフロンに延び、その終わりはハツェル・エナンである。これがあなたがたの北の境界線である。あなたがたの東の境界線としては、ハツァル・エナンからシェファムまで線を引け。その境界線は、シェファムからアインの東方のリブラに下り、さらに境界線は、そこから下ってキネレテの海の東の傾斜地に達し、さらにその境界線は、ヨルダンに下り、その終わりは塩の海である。以上が周囲の境界線によるあなたがたの地である。」

 ここにあるのは相続地となるカナンでのそれぞれが住む領域とその地を管理する族長の名前が神から指名されている。アブラハムに約束された神の約束と少しも変わることのないものだった。

創世記17:8わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼らの神となる。

 そしてこの地をヨルダン川東側を相続したガド族とルベン族を除いた九部族半にくじ引きで分割されることとなる。イスラエルの民がその地で安住し周囲の国に神の栄光を現すること。それはいまの私たちにも適用されることなのだ。

ローマ8:17もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

 私たちはキリストにあって相続人とされた。御国を受け継ぐ者とされている。私たちの名が天に書き記されている。国籍が天にある者とされている。父なる神の怒りのうちに置かれることではなく、喜びに置かれる者である。それが御国を受け継ぐ祝福。

 私たちはみなどこかに所属することを求める。いまで言えば絆を求め、関連を関係を得て、それによって安心するところがある。私たちキリスト者はそれぞれに担うふさわしい役割があるのだ。 

 そしてそれぞれに置かれる場があるのだ。私たちはキリストのからだの一部分とされたのだ。

 それは神に仕え、同胞、兄弟姉妹が互いに仕え合い、かしらなるキキリストのからだを建てあげ、ひとつとなって神に喜ばれ、神の栄光が現すこと。

 私たちのからだもいろいろな器官で構成され、バラバラではない。すべてが互いに関連し合って働き、いのちを保っている。キリストの器官として組み込まれ聖霊の力によって一致されていく。神の家族として互いに調和を保つ。そこを御国のひながたとしていく。

1コリント12:27あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

50〜53エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原で、主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて彼らに言え。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地に入るときには、その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳造をすべて粉砕し、彼らの高き所をみな、こぼたなければならない。あなたがたはその地を自分の所有とし、そこに住みなさい。あなたがたが所有するように、わたしがそれを与えたからである。
55〜56もしその地の住民をあなたがたの前から追い払わなければ、あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、わき腹のいばらとなり、彼らはあなたがたの住むその土地であなたがたを悩ますようになる。そしてわたしは、彼らに対してしようと計ったとおりをあなたがたにしよう。」

 この章の始めは神によって導かれ、イスラエルがモーセとアロンの指導のもと、エジプトの地から出て約束の地に入るまでの道程が書かれている。そして約束の地に入る直前にモーセに戒めを与える。

 ここまでのことを思い起こせば、イスラエルは神を恐れ、神の道に進み、仕えて生きることを選択することを求められた。

 イスラエルは先に失敗している。カデシュ・バルネアで神の命令に逆らい、聞き従わなかった。その結果、その世代の者は荒野で死を迎えることになってしまった。

 神の民イスラエルが住む地の中に主なる神以外を拝む民がともに過ごすことはできない。トロイの木馬を置いてならないということ。敵が仕掛けた大きな木馬を目にして、要塞に運び込んだ結果、その木馬に隠れていた敵が門を開きトロイの町は滅亡した。いまはPCウイルスとして悪さをしているものの名前として有名だ。

 イエスは私たちはキリスト者はこの世のものではないと言われた。私たちはこの世に生きている。そして神の目的のために遣わさた者とされている。私たちの生き方、基準はこの世の人とは違うのだ。

2コリント16〜18神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。」

 だからこの前で信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょうと言われている。いまの世は多くの問題が起きている。その影響が私たちにも及ぶから、むなしいことやことばにだまされないように信仰を確かにする必要がある。

 だからといって私たちはこの世から抜け出て、信者だけの世界で生きなさい、と言っているわけではない。この世に生きている私たちにはいろいろな付き合いがある。その中で私たちはこの世と調子を合わせることなく、何が良いことで、神に受け入れられる生き方をする。

 私たちキリスト者がこの世に置かれているのは、イエスを知らない人たちにイエスの十字架、復活、再臨を伝え、永遠の時をともに過ごす恵みを指し示すことにある。

 イエスの死への勝利が復活が私たちと結び合わされるゆえに、私たちはこの勝利のうちに置かれた者として自覚して信仰に歩み、この世に遣わされ、イエスの証し人としてともに務めを果たしていくのだ。

ガラテヤ6:1兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。

 非常に多くの家畜を持っていたガド族とルベン族はヤゼルの地とギルアデの地を見て、その場所が家畜に適した場所であると見て、モーセと祭司エルアザルおよび会衆の上に立つ者たちのところに来た。彼らは言った。

5もし、私たちの願いがかないますなら、どうかこの地をあなたのしもべどもに所有地として与えてください。私たちにヨルダンを渡らせないでください。

 神からの相続地はヨルダン川を渡たった先にある。それであるのにガド族とルベン族は約束の地に入る前にいま目に見えることにもう満足したかのように、ヨルダン川を渡らないこの地を所有地とさせてくださいと言う。

 ロトは羊や牛の群を飼い、たくさんの天幕を持っていたために目に麗しく見える地を選び取ったことで失敗した。多くの財産を持っていてもそれで豊かな人生とはならない。聖書は自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者は愚か者だと言う。モーセはガド族とルベン族にこう答えた。

6〜7あなたがたの兄弟たちは戦いに行くのに、あなたがたは、ここにとどまろうとするのか。どうしてあなたがたは、イスラエル人の意気をくじいて、主が彼らに与えた地へ渡らせないようにするのか。

 イスラエルには統一が必要である。幕屋を中心に宿営をしていたのにこの後、彼らは他の10部族と離れたことによって祭壇を築いたのが偶像礼拝をしていると誤解をされてしまうのだ。

 モーセは以前あった不従順のゆえに神の怒りが燃え上がり、1世代前の者がみな死に絶えてしまったことと同じようなことをしようとしていると言い、神に対しての背信の行為をすることがないようにと忠告する。

20〜22モーセは彼らに言った。「もしあなたがたがそのようにし、もし主の前に戦いのため武装をし、あなたがたがのうちの武装をした者がみな、主の前でヨルダンを渡り、ついに主がその敵を御前から追い払い、その地が主の前に征服され、その後あなたがたが帰って来るのであれば、あなたがたは主に対しても、イスラエルに対しても責任が解除される。そして、この地は主の前であなたがたの所有地となる。

 それでガド族とルベン族は「主があなたのしもべたちについて言われたとおりに、私たちはいたします。」と答えた。私たちが追い求めるものは金銭を愛することではなく、神の前に正しい歩みだ。

1テモテ6:12信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。

 私たちはまだこの世に置かれており、戦いがある。私たちに問いかけられていることは信仰に歩んで、信仰の勇士として勇敢に戦っているかだ。それは永遠のいのちをすでに与えられているのだからである。

 ガド族とルベン族はヤゼルの地とギルアデの地に留まろうとしたが、私たちが留まるところはイエスの内である。そこに根を張り、前に向かって進むことだ。なによりもイエスが羊飼いとして前に立ち、憩いの地に導かれるのだから。

 救われたことで満足せず、神に忠実でありたいと願う者だ。さらにすべてを神に希望を置き、この世の富でだけではなく、天にある祝福に報いに生きる者として生きるのだ。

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