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ダビデ

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1列王記2:11ダビデがイスラエルの王であった期間は四十年であった。ヘブロンで七年治め、エルサレムで三十三年治めた。

 ダビデに死ぬ日が近づいた。それで神の約束された息子ソロモンを後継者に立て、何をすべきかを伝える。

2〜4「私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。強く、男らしくありなさい。あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。そうすれば、主は私について語られた約束を果たしてくださろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、精神を尽くして、誠実をもってわたしの前を歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれない。』

 ダビデは神を自分の前に置き歩め。神が味方なら、また味方としていくなら間違うこともなく、神の最善を受けて進むことができる、強く、雄々しくあれということはパウロが言ったように弱さを誇ること。そこに働く神の力に信頼することだと、親として信仰を継承させていく。

 そのために神のことばに聞き、歩む。自分が何者であり、誰のものとされているかを確かにしていく。エジプトのヨセフがそうだったように神とともおられるから、自分も神とともにいるようにと。

 親は子どもの健全なる成長を願っているものだ。子どもはときに親の言うことが煩わしく、うるさいと感じて反抗したりして、ヤンチャしてしまうことがあるけれども、親を離れては立ち行かないことを知っている。私たちも神を父とする子どもとして、この親子関係の中で育まれ、生かされ、生きている。

2テモテ3:16〜17聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

 私たちは神の口から出る一つひとつのことばによって生きる。神のことばは私たちの知恵となって、私たちを諭し、導く。

 神のことばに聞き生きることが喜びだと。確かに〜してはならないということばが多くあるが、戒めは拘束するものではなく、それによって私たちが無益な者とならないため。

 聖書は私たちに必要なことすべてを教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益だと語る。今日、私たちのうちに語りかけ、私たちの立場を、間違いを教え正して下さると。父なる神は私たちがさらに神の子どもとして成長するために語られる。

1ペテロ1:23あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。

 私たちは人間の語ることばに励まされて、新しく生きることを始めたのではない。私たちを造られたお方のことばによって新しい歩みを始めさせていただいた、新しい歩みをする者とされた。神は私たちに対して愛をもって接してくださっている。それで喜び、感謝して今日を生きるのだ。 

 ダビデは自分が高齢になって、いよいよ王として政り事を行うことが困難になってきたにもかかわらず、後継者の指名をせずにいた。そのことが結果的にアドニヤが自分を王とすることになったのだ。その後継者は神によって選ばれていた。

1歴代誌22:9〜10見よ。あなたにひとりの子が生まれる。彼は穏やかな人になり、わたしは、彼に安息を与えて、回りのすべての敵に煩わされないようにする。彼の名がソロモンと呼ばれるのはそのためである。彼の世に、わたしはイスラエルに平和と平穏を与えよう。彼がわたしの名のために家を建てる。彼はわたしにとって子となり、わたしは彼にとって父となる。わたしはイスラエルの上に彼の王座をとこしえまでも堅く立てる。』

 そこで預言者ナタンが動く。そしてバト・シェバをダビデ王のもとに行かせて「あなたはこのはしために、必ずあなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私の王座に着く、と言って誓われたではありませんか。それなのに、なぜアドニヤが王となったのですか。」と言わせた。

 そこへ打ち合わせ通りにナタンが現れ「あなたはアドニヤが私の跡を継いで王となる。彼が私の王座に着くと仰せられましたか。」と問いかけられ、ダビデは一刻を争う事態が進行していることを理解し、神の約束に立ち返りバテ・シェバに言う。

1列王記1:29〜30王は誓って言った。「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。私がイスラエルの神、主にかけて、『必ず、あなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私に代わって王座に着く』と言ってあなたに誓ったとおり、きょう、必ずそのとおりにしよう。」

 このように言って早速、祭司ツァドクと預言者ナタン、ベナヤを呼び、ソロモンの王位就任式を執り行うように手配する。

33〜35「あなたがたの主君の家来たちを連れ、私の子ソロモンを私の雌騾馬に乗せ、彼を連れてギホンへ下って行きなさい。祭司ツァドクと預言者ナタンは、そこで彼に油をそそいでイスラエルの王としなさい。そうして、角笛を吹き鳴らし、『ソロモン王。ばんざい』と叫びなさい。それから、彼に従って上って来なさい。彼は来て、私の王座に着き、彼が私に代わって王となる。私は彼をイスラエルとユダの君主に任命した。」

 ダビデはいくら衰えたとはいっても、大事なことは覚えていた。それはダビデは神を離れては何もできないこと、いまあるは神の恵み、としていたからだ。そうなのだ。神の約束に信頼し、忘れてはならない。しっかり握って、そのときを心待ちしておく。たとえ忘れてもとき至れば聖霊が気づかせてくれるが。

39〜40祭司ツァドクは天幕の中から油の角を取って来て、油をソロモンにそそいだ。そうして彼らが角笛を吹き鳴らすと、民はこぞって、「ソロモン王。ばんざい」と叫んだ。民はみな、彼のあとに従って上って来た。民が笛を吹き鳴らしたが、大いに喜んで歌ったので、地がその声で裂けた。

 これによってアドニヤの企みは終わってしまった。私たちには神が持っているシナリオは分からない。それで自分の思いに従って過ごしてしまう。アドニヤはそれを良しとしてしまった。神が私たちの人生に関わって導いていてくれることに期待する、全体のうちに自分に何をされようとしているのかを見いだしていきたい。

自分の益に走るな!

 どの時代、地域でも、国に、会社に、団体に後継者問題が起こる。それが自薦であれ他薦であれ、そこには陰謀が張り巡らされ、また兄弟、家族の骨肉の争いがあったりする。

 ダビデは年を重ねて老人になっていた。そしてこのときに再び、血なまぐさい出来事が起ころうとしていた。息子の反乱である。

1列王記1:5〜10一方、ハギテの子アドニヤは、「私が王になろう」と言って、野心をいだき、戦車、騎兵、それに、自分の前を走る者五十人を手に入れた。―彼の父は存命中、「あなたはどうしてこんなことをしたのか」と言って、彼のことで心を痛めたことがなかった。そのうえ、彼は非常な美男子で、アブシャロムの次に生まれた子であった―彼はツェルヤの子ヨアブと祭司エブヤタルに相談をしたので、彼らはアドニヤを支持するようになった。しかし、祭司ツァドクとエホヤダの子ベナタと預言者ナタン、それにシムイとレイ、および、ダビデの勇士たちは、アドニヤにくみしなかった。アドニヤは、エン・ロゲルの近くにあるゾヘレテの石のそばで、羊、牛、肥えた家畜をいけにえとしてささげ、王の子らである自分の兄弟たちすべてと、王の家来であるユダのすべての人々とを招いた。しかし、預言者ナタンや、ベナヤ、それに勇士たちや、彼の兄弟ソロモンは招かなかった。

 アブシャロムも自分のために戦車と馬、それに自分の前を走る者五十人を手に入れて、父ダビデの地位を奪う行動を起こしていた。その結果、死を招くことに。それを目の当たりにしていた弟であったが、父が年老いたのを見て「私が王になろう」と野心を抱いた。アドニヤは神の選びを求めず、自ら選びに走った。

 アブラハムも自分の直系の子どもがいなかったゆえにそのことで苦しんだ。けれども神は約束とともに備えてくださっていた。ダビデにも後継者の約束がなされていた。

1歴代誌22:9見よ。あなたにひとりの子が生まれる。彼は穏やかな人になり、わたしは、彼に安息を与えて、回りのすべての敵に煩わされないようにする。彼の名がソロモンと呼ばれるのはそのためである。彼の世に、わたしはイスラエルに平和と平穏を与えよう。

 アドニヤの耳にはダビデが次期王の候補にソロモンを指名されるようだと届いていた。アドニヤにはあのバテ・シェバの息子ソロモンでは民の支持を受けることがない。私こそ父ダビデの正当な血筋だという自負がある。後に王位は私のものであるはずで、すべてのイスラエルは私が王となるのを期待していた、と言っている。

 そしてダビデの側近中の側近の二人を参謀として迎え入れる。ヨアブはトップがダメだと判断すると、平気で乗り換えることをする。エブヤタルはサウルによる一族の虐殺に、ただ一人助かってダビデのもとに逃げ帰り、それ以後、ダビデの祭司となった者。でも、国のためにというよりも自分の栄誉のために動く者だった。この二人がアドニヤの企みを諭し、加担しなければ起きなかったこと。

 自分の益に走る。これが私たち人間の姿なのだ。一人がそうなら全体も同じだ。だから他人を蹴落として勝ち上がることを良しとする社会となっている。それで争いごとが絶えない。人は自分の好きなように、思ったように生きたいのだ。

 だから、私たちはイエスを信じる前の生き方ではなく、神を離れてどこにも行けない者、生まれ変えられた者として、神の喜ばれる生き方を御霊に導かれて日々を生きて行く者でありたい。

 ダビデはいよいよ老齢になっていき、自分の行って来たことの清算をするかのようにイスラエルの人口を数えさせた。人は実績を気にする。銅像を、記念館を建てたり、右手のしたことを左手に告げたくなる生き物なのだ。私はこれだけのことをしてきた、と。

2サムエル24:2〜4王は側近の軍隊の長ヨアブに言った。「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録し、私に、民の数を知らせなさい。」すると、ヨアブは王に言った。「あなたの神、主が、この民を今より百倍も増してくださいますように。王さまが、親しくこれをご覧になりますように。ところで、王さまは、なぜ、このようなことを望まれるのですか。」

しかし王は、ヨアブと将校たちを説き伏せたので、ヨアブと将校たちは、王の前から去って、イスラエルの民を登録しに出かけた。


 ヨアブは信仰をもってダビデに問う。「私たちは多くなっているし、これからも多くなることは間違いないでしょう。なぜなら、神はそうしてくださっているではないですか。」と。けれどもダビデは聞かない。

 これまでもそうだが戦いはダビデの力で勝利したわけではなかった。すべてに神の御手がそうさせてくださったことなのだ。ダビデは思った。それはそれ、これはこれと。如何に多くの兵士を持っているかを周辺諸国に示し、戦意を削ぎ落とそうと。ヨアブが報告した人数はイスラエルに八十万、ユダに五十万の兵士の数だった。

10ダビデは、民を数えて後、良心のとがめを感じた。そこで、ダビデは主に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。」

 ダビデは姦淫を犯したとき遣わされたナタンによって悔い改めたことがあった。ここではガドが遣わされる前に、神を棚に上げて、出しゃばったことをしてしまったと悔い改め、神に立ち返っている。ここが良しとされるところ。そこに預言者ガドが遣わされ、ダビデに負うべき三つのことがある。そのうち一つを選べ。」と言われた。

 ダビデは三番目の「三日間、疫病がある」を選んだ。その結果、民のうちの七万人が死ぬことに。それを見てダビデは神に私がすべてのさばきを受けます、と懇願する。

17罪を犯したのは、この私です。私が悪いことをしたのです。この羊の群れがいったい何をしたというのでしょう。どうか、あなたの御手を、私と私の一家に下してください。

 神はあわれみのゆえにダビデに悔い改めの時をもたらされた。私たちもまた、生まれながらに神の怒りを受けるべき者だったが、あわれみのゆえに赦された。そのために御子イエスのいのちが差し出された。十字架の他に誇るべきものがない。

 その日、ガドは神のためにエブス人アラウナの打ち場に祭壇を築きなさいと言った。ダビデは「費用もかけずに、私の神に全焼のいけにえをささげたくない。神罰が民に及ばないようと願って。」と。そしてダビデは買い取った。そしてこのところに後に、ソロモンによって神殿が建てられることとなる。

25こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた、主が、この国の祈りに心を動かされたので、神罰はイスラエルに及ばないようになった。

 イエスは「耳のある者は聞け。」と何度となく言っている。私たちは神の語られることばを聞く者、そこにつながれている者、神の口から出る一つひとつのことばに生かされている者とされている。

2サムエル23:1〜5これはダビデの最後のことばである。エッサイの子ダビデの告げたことば。高くあげられた者、ヤコブの神に油そそがれた者の告げたことば。イスラエルの麗しい歌。「主の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある。イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らすようだ。』

 ここでは神が語り、仰せられた、とある。この世にある偶像の神々と呼ばれるものは口があっても語れない。そうなのだ、私たちの神は創造の初めから語るお方であり、初めであり、終わりであるお方。いつでも生きておられるお方である。

創世記1:3神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。

 神は仰せられた。また続けて神は仰せられた。こうして神のことばによって天地万物が創造された。神が語られるとき、それはむなしく天空に飛び散って、彼方に消え去ることにはならない。

イザヤ55:10〜11雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

 ここではダビデに仰せられた、語られた。神を恐れ、正しく民をさばき、治める者は闇に光を、一点の曇りもない澄み切った青空のように、塵の汚れを洗い流す雨が降った後のように、すべてを輝かしいものとする、希望と喜びをもたらすと。

 ダビデは多くの失敗をしてきた。けれどもダビデは神に叫び求めて、神がそのようにされることに信頼する信仰が強められていった。それでこう言う。ここにダビデの喜びがある。

5まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。

 ダビデは私は誰なのか、どこに所属しているのか、誰がともにいるのかを、また自分のいるべきところを知っていた。また、願う前にすべての必要を備え、神のみこころを求め祈るようにと育ててくれていることを知って神に信頼し、とどまっている。

 そのことは私たちにとっても大切なことだ。私たちの神は私たちのうちに語りかけ、成長させ、豊かな実りを結実させてくださる。だからこそ私たちはいつでも神の語りかける声を聞くのだ。

 ダビデとともに私たちの喜びはいつも神とともにいること、また未来永劫、いつまでも神とともにいる天の家に住まう、神の語られることばに聞き、与えられたいのちを喜び、楽しみ生きることだ。

詩篇27:4私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。

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