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おやじの好き勝手なつぶやき

神は備えたたもう

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 私たちは子どもの時から自分の人生は自分で考え、設計せよと言われて育ってきたし、そうしている。けれどもその計画は常に自分の益が中心。自分勝手な不完全なもの。アダムがそうだった。そろそろ神から離れて、自分の思いで生きようとして、失敗した。

(新共同訳)箴言16:9人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。
 
 私たちには今日これからのこと、明日のことは分からない。思い描いたようにならないし、エッと思うことが起こる。その度毎に練り直して、進めていく繰り返していく。だから私たちの人生には神のご計画が必要なのだと。
16:3あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。

 私たちの神は決して悪いようにはされないお方。神はこの世界に、私たち一人ひとりにご計画を持っている。神の思いは、私たちの思いとは異なる。その道は測りがたい。私たちには読めない先を知っている。だから自分に頼らず、神に頼る。

 パウロはイエスに砕かれ、用いられた。神は私たちの能力ではなくて、幼子のように親に、ご自身に頼ることを求められている。すでにイエス・キリストにつながった者として、自分を信じていく、などという道から離れ、羊飼いのいない羊ではなく、良き羊飼いのもとに憩い、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできるお方に信頼しきっていきたい。

 イエスは過越の祭の前に、父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、どこへ行こうとしているのか、と不安がる弟子たちに十字架にかかり、よみがえり、元いたところに帰られると語られた。

ヨハネ14:1〜3あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

 地上ではともにいることがなくなるが、見捨てず、孤児にせずという約束通り、あなたがたが住むところを用意する。いまの私たちもまた、例外ではない。その時はいつだか分からないが、時が満ちてイエスが迎えに来ると言う。

 聖書は人間は死んで終わりではない、死の先がどこだか分からないという世界ではなく、そこは死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。イエスがともにいる永遠の平安、喜びのところなのだと。

1テサロニケ4:13眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。


 それとともに、私たちはイエスにあって眠った人々とともにいることとなる。私たちがそれを待ち望んでいるように、彼らもまた、その時を待ち望んでいる。何という慰め、希望だろうか。

 神の定められたことの中で、私たちの救いは素晴らしいことである。御国の民、ご自身の子どもとされた。それだけではなく、神は私たちに最善を行ってくださると約束された。

ローマ8:28神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

 ここのところは多くの場合に、ひとり歩きして、どんな状況であっても、神が私のために良きことをするのだ、だから大丈夫、何事も心配しないで行こうではないか、と用いられている。もちろん神は私たちに最善をなしてくださっている。

 けれども、実は神は信じる私たちに思いもよらないこと、私たちに相応しくないこと、イエス・キリストの姿に似た者に変えてくださることなのだとパウロは言う。

29なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。

 イエスはいつも父と語り、みこころを知り、まったき信頼をもって、そのことで世から敵対されたが、示されたままに行動された。

 そして神はイエスを信じる者に、いますでにそのイエス・キリストに似た者へと変えられ続ける、そうされると言うのだ。神はこの約束を与えてくれている。神の栄光を現わすために。私たちもまた、イエスをさらに深く知り、みことばにより、歩み続けたい。

 聖書は言う。神の基準に達し、神の望まれることをそのままに行いことのできる義人はいない。善を行なう者はいない。ひとりもいないと。人の心は何よりも陰険だとも。

 けれども、私たちキリストにあって新しく造られた者は、神に造られたものとして歩む。良きわざは私たちから発するのではない。自分の思いではなくて、神が私たちの内に働いてことを行わせてくださるのだと言っている。神に造られたものとして歩む。

エペソ2:10私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。

 それは肉に従って歩まず、御霊に従って歩むためである。神の目に良き行いをすることは、自分で考え出すこと、自らの力による努力をして実現することではない。神の備えられたことだと。パウロは言っている。

 良い行いの動機は、キリストにあって罪は赦されたこと、神との平和を得たことの感謝の現れ。これまではその動機は自分が良い人に思われることだったが、いまは同じことであっても、動機がまったく変えられた。神が備えられた中に生きる。それが私たちの生かされている目的だから良いわざに歩もうとするのだと。

テトス2:14キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。

エレミヤ29:10まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。」

 イスラエルはバビロンに捕囚として連れて行かれた。けれども神はここでも出エジプトのときのように、備えられたご計画があることを知らせている。神は大き遠大なるご計画を持たれ、みこころのままに実現なさるお方だ。

11わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ。―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

 神のご計画はすべて、私たちが何だよ、と叫び、駄々っ子のようにそれは自分の好みじゃないと泣き叫ぶけれども、その中にあっても、それはわざわいなことではなく、神によって運ばれる喜ばしいことなのだと言っている。

1ペテロ1:21あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。


 神なき生だった私たちはいま、神に望みを置く者とされている。その神の備えられた望みはとこしへの望みで、私たちから離れ去ることがない約束だ。それでからこそ、あの失敗者の代表であったようなペテロが、このお方に信頼し、憩い、うちに志を立ててくださるこの神に望みを置くことだと励ましている。

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