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おやじの好き勝手なつぶやき

歩み

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マタイ28:20見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

ヨハネ14:18わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。

 イエスが言ってる声が聞こえますか。キリスト者とは神キリストとともに歩んでいる人のこと。そのことをより確かにすることを望まれている。

1テサロニケ5:10主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。

 イエスは私たちがこの世にあっても、永遠の先にも、ともに生きることを望んでいる。神キリストが喜ばれること。それは私たちが神とともにあること。

 いまは御霊がいつまでも私たちとともにおられ、助け導いている。

 さて、私たちはその声にどう応答するのでしょうか。「ともにいてくださることを感謝します。」で終わるのか「私もまた、あなたとともにある歩みをしていきます。」とするのか。

エペソ5:8〜9あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。

 私たちの以前の姿は神キリストから離れて生きていた。この世の支配者に属していた。それゆえに自己中心の生きかたをしていた。そのことを暗やみという。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。

 その闇の中に、光が輝いた。夜明けの朝日のように。イエスが「わたしとともに歩もう。」と来た。

 神は暗やみの中にうごめいていた私たちを闇の力の支配下から御子の支配下に移された。この御子のうちにあって、私たちは罪の赦しを得ている。神は大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいた私たちを救われた。それはただ恵みによる。

ヨハネ8:12わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。

 イエスの光は、私たちの足元を照らす光。この光を受けて前に進む。大切なことは光の結ぶ実のこと。それは自分の熱心ではなく、イエスにつながり、とどまることによってなされる、神の偉大な力の現れを受けて歩む。

 私たちが内なる人を強くしてくださるこのお方に信頼して、あらゆる霊的な知恵と理解力によって、何が神に喜ばれるのかを見分け、歩みに適用して行くことだと言っている。

エペソ5:15〜17そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。

 神とともに歩む人を賢い人と言っている。だからそのように歩んでいるかどうかについて、吟味しなさいと言っている。それは悪い時代にいるからだと。このときもいまも神から離れて、人は思うがままに生きているからだ。

 ゆえに、この世と調子を合わせてはならないのだ。私たちもまた、なにかと忙しく、のんびりしてたら、時代に置いてきぼりにされてしまうのではないかと、ついつい世の動きに流れて、まるで神キリストを知らない人のように、また神を見失った人のようになってしまう危険がある。

 この世は神なしでも人間が取り仕切ることができるとする世界。そしてこの世界はいつでも私たちの生活に影響を及ぼす。それでその影響に与してはならないと。

 それでその環境にいることを覚え、こころをいつでも主のみこころは何であるかに向け、導かれる御霊によって変えられなさいと言っている。

 私たちは神の恵みに生かされ、世の光として、神キリストを指し示すものとされている。確かにいろいろと困難があるのだが、逆にこの世に影響を及ぼす者とされて行きたい願う。

コロサイ2:8あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。

 イエス・キリストや聖書を攻撃する書物が多く登場して、なんとか人々の目を神キリストから引き離すようにしている。もしそれらがいい加減なものであったなら、どこかで廃れてしまったことだろう。けれども、2000年にも渡って依然と輝き続けている。

 また、いまの時代「◯◯のことば」という本が書店に並べられ、売られている。少し読んでみると、確かにと思うことばがあるのだが、誰にでもにも適用できるものではない。

 パウロは言う。それらは人間の考え、思い、知恵であって一時の励ましにはいいかもしれないが、永遠の喜びを得る真理ではない、空の空だから、むなしいのだと。

1:9どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。

 私たちキリスト者もまた、この世の間違った教えや、人々の言い伝えに振り回されることなく、真理でありいのちであるイエスをより深く知り、キリストにとどまって進みたい。

1:23ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。

 神はいつもイエスとともにおられ、イエスもまたいつも父なる神とともにいた。同じように私たちもイエスとともにいて、ともに歩むことの幸いを日々に味わうことなのだ。イエスとはインマヌエル(神ともにおられる。)と言う名であり、この祝福はいつでもあり、これが私たちの喜びの原動力となっている。イエスは言われる。

ヨハネ15:5わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

 あなたがたは以前あこの世の支配者に属して、悪い木から悪い実を結んでいたが、いまは良い木に接ぎ木され、良い実を結ぶ者となったのではないか、と。だから、後戻りすることがないように、わたしにとどまり、つながっているようにと言われる。

 幹につながっていてこそ、豊かな実を結ぶ。逆に言えば木が実を結ぶためには枝である私たちを通して働かれるので、それぞれが器官とさ、ふさわしい役割が与えられている。

 私たちは困難に遭うと、神が離れ見放していると思うことがあるし、神を忘れ、他の何かにすがってしまうことがある。けれども、その困難の中にあっても、神は私たちの味方で、どのような状況であってもともにいてくださる。だからわたしにつながり続けなさいと言われる。神キリストと結びつく歩みをすることで恵みを受ける。

 もちろん、神キリストがともに歩むことは、すべてをバラ色にすることではない。苦難があり、病気にもなる。けれども、苦しみの中にも、悲しみの中にも、病の中にも、死の先にも、楽しみの中にも、永遠に私たちとおられる。私たちを愛し、神キリストがとともにいてくださる、これは大きな慰めだ。

 だからその中で受けた信仰を継続し、神の愛にとどまり、またみことばにとどまり、みことばに照らされて恵みを、励ましを、慰めを、そして戒めを受け取っていくことだと言う。

箴言3:5〜6心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

 私たちに必要なのは自分でことを行うことではなく、神キリストがどんなことをしてくれたのかを知り、これからなにをしてくれるのかに期待し、神にお任せすることだと教えられる。

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