小さなつぼみの梅の木(3月3日撮影) |

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小さなつぼみの梅の木(3月3日撮影) |
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品川の(水の駅mixi日記より転載。)
http://img.mixi.net/img/emoji/38.gif70年代の小劇場は何処の劇団も手作りの作業で舞台を立ち上げていた。
役者は役者だけをやっていいれば済む劇団状態ではなかったのだ。経済的ににも人的にもそんな余裕はなかった。普段使っている稽古場を本番になる時はそこを劇場にするために、舞台の装置や客席を劇団員全員で大工さんのように道具を腰につけて働いた。赤坂の稽古場もその例にもれず公演の時はそんな感じだった。 ある公演の舞台と客席を3、4日かけて仕上げるわけだが、そんなある時2名のAとBが途中で今日は用事があるので早びけしますと早退した。 残った団員はその後2時間くらい仕事をして稽古場を引き上げて駅への帰り道、銭湯の前にさしかかると、早退したAとBがなんと銭湯からくつろいだ感じで手ぬぐいぶら下げて出てくるではないか、それを見た太田は怒ったね。「先に帰ったのは風呂に来る為だったのか」と「それでいいのか」「ええっ!!」「みんな働いていたんぞ!!」この時の太田は原理主義者的な太田の面目やくじょとした態度だった。彼は何につけ原則を破るものは許せなかったのだ。今でも小規模の劇団はこんなふうに劇を立ち上げているところがある。回顧趣味で書いているのではない。 |
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2月6日。(mixi品川の日記より転載。)
http://img.mixi.net/img/emoji/38.gif太田省吾も私品川も30代の前半だっただろう1970年頃だったろうか。
稽古帰りに何人かの劇団の仲間で安い居酒屋で飲んだ帰りに、新宿駅の東口から地下に降りたJRの改札の前あたりで(あの頃はまだ国鉄と言っていた)立ち話をしたのを覚えている。何故覚えているかというと、私にとって今も忘れられない言葉だから「俺がいつか歳をとって本を書けなくなる自分が怖い」と太田は言った。その頃の演劇界には錚々たる大先輩方がいて、戯曲を書いているが太田にとっては眼を見張るような新機軸な戯曲あるいは台本が無かったのだろう。 その頃太田の頭の中には劇作家・別役実に注目していたことは間違いない。 夜の新宿駅地下道の雑踏での立ち話が今でも鮮やかによみがえってくる。40年以上も前の情景だ。 太田省吾はもういない。 |
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