|
前回はアメリカの様子を書きましたがではヨーロッパはどうでしょう?(私は行ったことはありますが住んだことは無いのでこれはあくまで知識だけからのお話なので間違いがあればご指摘、ご容赦下さい)
一般的に、ヨーロッパは、社会民主主義的傾向が強く、(消費税や所得税が高いためか?)医療費も無料だったり極力安く押さえられています。国によっては医師は国家公務員扱いですが、収入は日本より上(生活水準で比較が難しい場合がありますが)のことが多いです(英国、仏、独などと比較して)。さらに、福祉が行き届いている国(北欧諸国)などは納める税金は半端ではありませんが(所得の7−8割?)生活していくに当たっての費用は格安(若しくは無料に近い)で、”ゆりかごから墓場まで”といったフレーズは、学校の社会でも習ったことを覚えておられる方も多いでしょう。
しかし、総じてこれらの国の場合は、病院は患者にあふれていて、待ち時間も長い、、、、といった面があります、そして医療政策としては、国としてはやはり赤字、、、で、採算性は取らない場合が多いようです。しかし、日本でも、3時間待ちの3分診療。病院経営は赤字です。例えば手術にしても即入院、即手術とは行かずに、入院待ちがあるケースも多いと思います。
総じて考えると、今の日本の医療は、ヨーロッパ型に近く一部アメリカ型といった制度です。しかし、(熱狂の中、高支持率を維持した)小泉改革では多くの政策をよりアメリカ型に舵を切るということが行われてきました。すなわち、それを国民が支持したわけですから、その結果も甘んじて受けなければならないのは国民です。郵政民営化も色々弊害がこれから出てくるでしょうけど、、、、政治結果と言うのはその選択をした国民が責任を負わなければならないのです。
(それが良いか悪いかは私はここでは論議しませんが)そのことは、肝に銘じる必要があります。
では、実際にはどのような医療制度がよいのでしょうか
個人的な意見として聞いていただければ幸いですが、私は国家が妙に口を社会はろくな社会ではないと考えています。霞ヶ関官僚は、自分たちの利権が確保されれば、自分たちの都合の良いようにしかしません。性善説を支持する私でさえ、この人種に関しては信用できません。
では、大昔のような原始社会でマンモスを狩猟していた時代から社会が出来たとしたら、、、何故社会(国家)は必要なのでしょうか?
1.集団のほうが安全だ(外敵から身を守る、狩猟捕獲に効率が良い)
2.個人では一度に何でも出来ない(分担制)
3.個人の力ではどうしようもないことでも集団だと出来る(1にも重複)
と言ったことでしょう。では、実際にはどんなことが上げられるでしょうか?今の社会を考えると、幾つかのことは国の関与が必要だと思います。
1.外交、国防、警察、裁判などの法律関連(外敵から身を守る、交渉する)
2.教育、社会的弱者の救済
3.医療、福祉
他にもあるかもしれませんが、この3点は多くの方の同意が得られると思います。
2および3に関しては、これらがあるからと言って何か生産性が上がると言うものではありません。これは、”セーフティーネット(社会としての安全装置)”であり、相互扶助の精神から来ています。すなわち、高齢になって働けなくなったら、社会が支えましょう!病気になった方を皆でお金を出し合って支えましょう。社会的弱者(働けない人など)は皆で支えあいましょう!!という考え方です。
ですから、収益をどうこう言うのは基本的に”間違った理屈”だということがご理解頂けると思います。障害者自立支援法という法律が、郵政選挙の熱狂の中、可決されました。実際の内容を見れば、、いかに常軌を逸した法律かが判るはずなのですが、、、ワイドショー化したニュース番組でも取り上げは僅かでした。障害者への目の向け方が、如何に配慮をかけているかを痛感しました。郵政選挙の際には、その刺客先生たちは、、、この法律さえ知りませんでした。ま、結局はこの程度の人間が政治家になるのですから、、、、何を期待するか?というのも無理な話なのかもしれません。勿論、これから勉強してもらうことは当たり前ですが、、、、これからではなく、このような社会の流れの中で、日の目が当たらない部分に配慮するのが政治だと思います。
話は脱線しかかりましたが、、、、これら3点に関しては、、、というよりこの3点こそ、国民から徴収された税金の多くを投入してしかるべき案件と言えます。
我々は、国に多くを求めてしまっては、成長はありません。何もしなくてもご飯が食べられると言う甘えは許されないのです、しかし、社会のひずみの中で、圧制のために(中世封建主義ではないですが、あえてこのような言葉を使わせていただきます)、不安定な労働や、低賃金に喘ぐ民衆に対しては、その圧制を開放する方向で政治に働きかけないといけません。ヨーロッパではそれが当然の権利として国民一人一人が持ち合わせています。
しかし、国民一人が全てなんでも出来るわけではありません。そして、何でも”採算性”、”収益性”という資本主義の尺度で判断できるわけではありません。
何がどう、税金を使われているかは、、、なかなか国民が判断できませんが、少なくとも不必要な特殊法人や、不要な産業を維持するために税金が投入され、、、さらに霞ヶ関官僚が天下りして億単位の退職金に化けるように、、、、毎日ビール飲みながらタクシーで帰宅できるように、、、、、国民は汗水垂らして働いているわけではありません。
国家として、最も必要な、最低限の政策に絞るなら、上記の三点に関しては少なくとも、全て税金で賄うべきだと私は考えます。
|