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心が折れたあの日
私は20歳の時横浜に住んでいましたが、その時に、PTLクラブという福音番組で救われました。テレビを見た後、祈ったのを思い出します。そこから紹介された教会に行きました。そこは福音的で御言葉が語られました。水のバプテスマを受けた後、4カ月して故郷の鹿児島に帰りました。そこで同じ教団の
教会に行きました。しかし何かが違いました。伝道は熱心に行われていました。地域に密着して福音新聞も独自に製作し、地域の企業と連携しスポンサーになってもらっていました。最初は救われて1年も経っていなかったので何が何だか分かりませんでした。暫く経って、ようやく何が違うと感じていたのかが分かって来ました。御言葉がストレートに語られ、解き明かされる事がなかったのです。ある時教団の修養会が有りました。きっと御言葉が語られると期待に胸を膨らませ集いました。しかしほとんど御言葉が解き明かされる事が有りませんでした。 「見よ。その日が来る。――神である主の御告げ。――その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。」 アモス 8: 11 [新改訳] 私は御言葉に渇いて祈り始めました。苦しくて、苦しくてたまりませんでした。胸が張り裂けそうでした。「主よ御言葉を聞かせて下さい。」約3年間耐えましたがもう限界でした。「主よ助けて下さい!あなたの御言葉を聞かせて下さい!」申し訳なかったのは、いつの間にか教会批判をしていた事でした。自 分が正しくみんなが間違っているという図式が、自分の中で出来上がっていました。今でも同じ状況に置かれたら、その教会から離れるしか選択肢はないと思います。しかし私も深く傷つき、多くの人々を傷つけてしまった事は、悔い改めました。そして今でもその事を考えると胸が痛みます。その事をきっかけと して牧師はその教会を去りました。また、ある教会役員の方は、精神病が再発しました。礼拝の人数も減ったそうです。そこから違う教団に移りましたが、そこの牧師と一緒に謝罪しに行きました。激しく落ち込み、自分は謝る資格がないと思いました。出来ればこの世から、自分の存在を消してしまいたい、とさ え思いました。一体何がどうなっているのか分からず、混乱していました。それが分かり始めるまで多くの時間がかかりました。沢山の涙と、叫びと、苦痛の中を通りました。 しかしここから教えられた貴重な学びが有りました。それは「恵み」です。後からこの事が鮮明に分るようになりました。と言うより主が教えて下さったのです。 「律法がはいって来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」 ローマ 5: 20 [新改訳] |
回顧録
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お証感謝します。
いわゆる信仰書の類、パン種入が多くなっていることを感じます。アモスのこの聖句は、最近特に思わされる御言葉です。
2009/6/27(土) 午前 4:39 [ g_topspeed ]
<実に、主のことばを聞くことのききんである。アモス8: 11 [新改訳]
<罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。ローマ 5: 20 [新改訳]
お証し感謝いたします☆アーメン
2009/6/27(土) 午前 8:16
鳩さん 御言葉の飢饉も主が許されて起こっているので、私の対応も含めて、大きな失敗で人に迷惑と心配をかけてしましましたが、そんな中で沢山の、学びがありました。主に感謝!
2009/6/27(土) 午前 11:04
workwondersさん 私の過ちを反面教師にして頂くと、嬉しいです。
2009/6/27(土) 午前 11:06
ジョンさんは、いろいろな体験をお持ちなのですね。
私は聖霊に飢え乾いて、福音派を去らざるを得ませんでした。
私の場合は、その際に、福音派の教会の牧師さんから、カリスマ派に対する批判的な話をいろいろ聞かされました。
その牧師さんは、自分は個人の祈りの中で異言を語るのに、説教の中ではカリスマ的なことに触れたことは一度もありませんでした。
聖書や神ご自身に従うよりも、教団の方針を重んじたということだと理解しています。
わからなくはありませんが、私はそういう道は歩みたくありません。
2009/6/27(土) 午後 6:37 [ psa*m8*3* ]
ダビデさん もそう言う事があったんですね。
>聖書や神ご自身に従うよりも、教団の方針を重んじたという
>ことだと理解しています。
私が属していたところも、残念でしたがそうでした。
2009/6/28(日) 午前 7:08