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主の愛にいこう・・・元気が出た聖書の言葉 8 「主は仰せられた。『まことに彼らはわたしの民、偽りのない子たちだ。』と。こうして、主は彼らの救い主になられた。 9 彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。 10 しかし、彼らは逆らい、主の聖なる御霊を痛ませたので、主は彼らの敵となり、みずから彼らと戦われた。 11 そのとき、主の民は、いにしえのモーセの日を思い出した。『羊の群れの牧者たちとともに、彼らを海から上らせた方は、どこにおられるのか。その中に主の聖なる御霊を置かれた方は、どこにおられるのか。 12 その輝かしい御腕をモーセの右に進ませ、彼らの前で水を分け、永遠の名を成し、 13 荒野の中を行く馬のように、つまずくことなく彼らに深みの底を歩ませた方は、どこにおられるのか。 14 家畜が谷に下るように、主の御霊が彼らをいこわせた。』このようにして、あなたは、あなたの民を導き、あなたの輝かしい御名をあげられたのです。」 イザヤ 63:8〜14 [新改訳] この御言葉で、言葉ではいい表せない程大きな励ましと慰めを与えられた時がありました。主の愛の迫りを感じ胸が締め付けられる程の神の愛を頂いた箇所です。8,9節で救い主となられた主が、愛を沢山注いで下さったにもかかわらず、その後逆らいます。 私も幾度となく主を悲しませた事でしょう。そんな私に主は、悔い改めの道を残して下さっていました。 逆らった者でさえ、14節でいこわせた主、このお方の愛に触れられ言いようもない力が与えられたのです。自分の人生を振り返ると、主に従った事より逆らってしまった事が多いように思います。勿論自分な りに一生懸命頑張って信仰していました。しかしどれだけ頑張っても平安どころか、焦りと苦しみの連続だったのです。しかも主に従っていたと思い込んでいましたが、放蕩息子の兄でしかなかったのです。自 分の決めた事をクリアしていただけだったのです。そんな私の為にも主はいこいを用意して下さっていま した。いつも主の恵みが私たちを待ち伏せしています。マリアのように主の御もとにいこい、ただ御足を抱いて御言葉を聞きたいと願います。いつも主が共におられるので、それが可能です。ハレルヤ! |
元気が出た聖書の言葉
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主の創造の御業をほめたたえます。どんなに主の愛を受けていても、そっぽを向いてしまう人間の精密さに驚くばかりです。それほどまでに人間は完全に創造されていますね。そのような自由意識をもった人間が主を見上げて主を賛美している姿を見ると、主は感激して溢れんばかりの恵みを注ぐのでしょうね。
2009/7/11(土) 午後 0:06 [ syasho ]
syashoさん 主の創造の御業は偉大ですね。人間の思いをはるかに超えていますね。自分の歩みを振り返ると主の恵みの大きさに、主を褒め称えずにはおれません。
2009/7/11(土) 午後 3:39