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今日の聖書 63:9 彼らのすべての悩みのとき、主も悩まれて、そのみ前の使をもって彼らを救い、その愛とあわれみとによって彼らをあがない、いにしえの日、つねに彼らをもたげ、彼らを携えられた。 63:10 ところが彼らはそむいてその聖なる霊を憂えさせたので、主はひるがえって彼らの敵となり、みずから彼らと戦われた。 63:11 その時、民はいにしえのモーセの日を思い出して言った、「その群れの牧者を、海から携えあげた者はどこにいるか。彼らの中に聖なる霊をおいた者はどこにいるか。 63:12 栄光のかいなをモーセの右に行かせ、彼らの前に水を二つに分けて、みずから、とこしえの名をつくり、 63:13 彼らを導いて、馬が野を走るように、つまずくことなく淵を通らせた者はどこにいるか。 63:14 谷にくだる家畜のように、主の霊は彼らをいこわせられた。このように、あなたはおのれの民を導いてみずから栄光の名をつくられた」。 イザヤ書 63:9〜14 [ 口語訳 ] 「彼らが苦しむ時には、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって、主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。 イザヤ書 63:9 [ 新改訳 ] 私達は多くの場合、主の愛の御手に気付かないでいます。おそらく、私達のために伸ばされている主の愛の御手の、ほんの一部でも気が付いたら、あたかも気が狂ってしまったかのように、我を忘れて、無我夢中で主にお仕えするに違いないでしょう。 主の愛が、私を激しく襲って来るのを感じ、主の愛の圧倒的な大きさの前に、ただその場に座っていることしか出来ないでしょう。これこそ私達が、主にお仕えするためのエネルギー源です。無尽蔵に注がれて来る主の愛のエネルギーが、私達をあらゆる奉仕に向かわせてくれるのです。 4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。 4:11 愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。 ?鵯 ヨハネ4:10〜11 [ 口語訳 ] |
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アーメン そうです
読ませて頂いて 主の圧倒的な愛がいつまでも私達とある確信を改めて感じました

その愛が私をおそって来ると立ちすくみ涙が止まりません
ありがとうございます
おもわず 突然コメントすみません
2011/9/11(日) 午後 10:10 [ やも ]
とても不思議です。私も昨日同じようなことをおもわされました。
息子の幼稚園説明会で、母子分離で、少しの時間息子は初めて一人でした。教室に戻ると、小さな椅子に姿勢良く、小さな息子が座っていました。私の姿をみると、ものすごい勢いで私のほうに駆け寄り、抱きかかえるとしがみついて、顔をうずめて声をころすように泣いていました。でも数分後には安堵感に満たされて、とても幸せそうにみえました。その後の息子は今までみたこともないくらい、先生の話をしっかり聞いて、お遊戯やお絵かきを楽しそうに一生懸命やっていました。その姿をみて、私も主に素直に真剣にすがりしがみつくなら、平安に満たされ、喜んでどんなことでもさせていただけるのだろうと思いました。
2011/9/11(日) 午後 11:32 [ pon*o*fi*h1125 ]
主の愛に触られ、感動することは、愛に溢れておられる創造主なる神が、その愛を1番側でヒシヒシと、まずは人に感じ取って欲しいのでは?と思わされました。「主よ。ただあなたの愛を感謝します。もっとあなたの愛の中に留まることが出来るように助けて下さい。」そ言う思いです。
2011/9/14(水) 午後 4:25
pon*o*fi*h1125さん. 主が、お子さんとの幼稚園での母子関係を通して、神様と自分自身に置き替えて考えられるようにして下さったたんだな〜と感じました。そこから一歩いっぽ子供が親の愛によって成長するように、父親である神様は私達にも愛に在って成長するように願っっていると、強く感じます。(^_^)
2011/9/14(水) 午後 4:39
イザヤ63:9はとても大切な箇所です。
何かうまくいかないとき、「あぁ、このとき主も悩まれている」と思い、心強くなります。
究極的には、主の悩みにより、イエスさまがこられたことを思えば、主の限りない愛を感じる箇所です。
2011/9/14(水) 午後 7:27
すすめ さん コメントありがとうございます。イザヤ署63:9では、肉体という弱さを身にまといながら、一歩一歩確かに歩み、引き上げて下さるイエス様の力強さを感じます。 いつ読んでも励ましと慰めを頂けます。
2011/9/19(月) 午後 9:51