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キリストと日々歩む楽しさをお分かちします。

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律法からの解放

律法からの解放
    エレベーター信仰からの解放・・・4
    恵みが人生を変える・・・5


 救われてから6年位たった時、神学校に入るために鹿児島から

東京へ引っ越した。そこで恵みの信仰に初めてふれた。超教派の神学校

で今まで出会う事のなかった人々にお会いした。信仰を振り子に例えると

右(律法主義)に振れていた人が、恵みの真理(ど真ん中)にふれて逆の左(放縦)

に振れるのは当然と言えば当然である。現在のキリスト教会は回復の過程にあ

る。「新しいぶどう酒は新しい皮袋へ」で例えるなら、ぶどう酒はソフト面。皮

袋はハード面である。恵みの真理はソフト面ではもっとも重要な真理ではない

かと考えている。特に熱心な教会では有りがちな律法主義を今回は取り上げ

たいと思う。恵みの真理にふれ始めた当時、主が働かれているのを感じつつも、」

まさか自分が律法主義だとは思いもしなかった。自分の姿に気付き始めるとそ

こからの解放が始まる。問題は私達自身が律法主義ではないと思っている

事である。この真理を知った後も、肉は律法主義か放縦かどちらかに走りやす

いものである。恵みの真理に出会い、律法主義とは自分自身の事ではないかと

思い始めてから解放が始まった。その当時の私の手には2冊の目に見えない本

があった。1冊は「すべきことリスト」もう一冊は「してはいけないことリス

ト」である。それはまるでやり残した仕事の書類が机の上に山になっているよ

うだった。この当時の私は手帳マニアだったので目に見えるリストもあった。

「やるべきこと」のリストを日々作り変えチェックしていた。15分刻みの時

間表で目標の生活を決め、優先順位ごとに色鉛筆で塗り分け管理していた。出

来ると喜びに包まれ、出来ないと何処までも落ち込むのかと思うほど落ち込だ。

やるべきことリストを少し紹介したい。1、ディボーション(主との交わり)

2、祈り(聖書的祈りのマニュアルを用いて)3、聖書通読(聖書全体を知る

ため)4、聖句の暗唱(御言葉の備え)6、献金 7、集会出席 8、伝道(具

体的に祈り行動する) 9、奉仕等々・・であった。しかもこれらのリストは

学びをすると更新され新たな追加がされていった。

 してはいけないことをした時には当然悔い改めた。しかし聖書はここから解

放されたと宣言している。

ローマ人への手紙 3: 28 [新改訳]
「人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。」
ロ-マ 6: 14
「というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。」
ロ-マ 7: 1 〜 6
「それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか。――私は律法を知っている人々に言っているのです。――
夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。
ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。
私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。
私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。
しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。



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礼拝は何曜日?

明日は、日曜礼拝がありません。通常の礼拝が、土曜日になります。曜日にこだわりが無いので以前、東松山でも土曜日の夜に、礼拝を1年以上行っていました。また、日曜日行なう必要がある時には、土曜日と日曜日に礼拝をする時も、ありました。
その時に集う人達の、ニーズに合わせて集いやすい日にしています。勿論そのやり方に反対する方々いるのも知っています。安息日を守るようにと言う教えを、最近広めている方々がいるのも聞きました。しかし、以前 ユダヤ教の家庭に生まれた教師の方が、礼拝の為の集まりを、土曜日でも、日曜日てもなく、金曜日、また他の日にしたりする時もあると、メッセージテープで言っていました。私は今の聖書理解では、曜日にこだわらなくても良いのでは?と考えています。


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罪からの解放
エレベーター信仰からの解放・・・3
恵みが人生を変える・・・4


キリストを信じて1年ぐらいたった頃のことですが、祈りが

出来なかったり、聖書通読よりも信仰書に夢中になっていたこと

があった。他にも罪があり、何度悔改めても直らなかった。だん

だん信仰生活に疲れてきた。クリスチャンにならなければ、

こんな苦しい想いをしなくて済んだのに、と考えるようになって

いた。そこで私は、クリスチャンにならなかった方が良かったと思い

お別れの祈りをした。

「天のお父様、短い間でしたけどお世話になりました。

もうこれ以上苦しむのはいやです。信仰生活がこんなに

辛いとは思いませんでした。これなら信仰しない方がましです。

さようなら」

と言った瞬間に言いようもない恐れがやって来た。それですぐに

今の祈りのキャンセルをお願いした。

「主よ私はやっぱりあなたなしでは、生きていけません。悔い改めます。」

しかし問題は解決していません。解決を祈りながら聖書を読みました。

するとローマ人への手紙8章1〜2節が目に止まった。

「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決し
てありません。 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と
死の原理から、あなたを解放したからです。」

特に1節の「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決して

ありません。」解放されつつも一つの疑問が出て来ました。はたしてこん

な私はキリスト・イエスにあるのかという問題でした。それで続けて祈り

つつ聖書を探しました。すると ?鵯 コリント1章30節に目が釘づけになり

ました。

「しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、
私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。」

コリントの教会は当時大きな問題があったにもかかわらずパウロは

あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるとキッパリと

言いきってくれています。この時の開放感を今でも覚えています。

罪からの解放は私たちの努力ではなく、創造主なる神が完成

して下さったのです。ハレルヤ!




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明日の礼拝のご案内

礼拝 さいたま市での礼拝

明日は、午後6時30分から埼玉県さいたま市にある貸し会場で礼拝を行います。

詳しい場所は、下記へお問い合わせ下さい。

higasimatuyamakyoukai@yahoo.co.jp
電話 : 0493-24-5223

内容は、賛美と聖書の学びになっています。

会員制度は、有りませんので
どなたでもご参加自由です。
参加費は、有りません。

牧師はおりますが、先生と呼びません。みんな兄弟姉妹、神の家族です。



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エレベーター信仰からの解放・・・2
恵みが人生を変える・・・3

私たちは礼拝をする時、祈る時、聖書を読む時、どうだろう。

ある時は堂々と神の前に近づいたり、ある時はこんな自分は礼拝する資格がな

いと考えたりした経験はないだろうか?

私達が神に近づく方法はひとつである。それは次の聖書の箇所に書いている。

「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、
大胆にまことの聖所にはいることができるのです。」 新改訳 ヘブル10:19

聖書を読んだり、祈ったり、聖会に出席したり、メッセージを聞いたり、信仰

書を読んだりすると信仰が強くなったような感覚を持つ。しかし何かあると落

ち込んだり、失望の中に留まってしまう。その原因の1つは自分を根拠にして

神に近づく事にある。私たちを神に近づけるのはイエスの血だけである。これ

はイエスの行って下さった恵みの御業による。私たちの行いではない。勿論、

罪を犯したら悔い改める事は当然必要である。しかし私たちが神に近づけるのは

私たちの素晴らしい行いが原因ではないという事である。良い行いが神に近づ

けるのではない。また罪を犯したから神に近づけないのでもない。ただイエス

の血だけが神に近づく方法なのである。この事が自分の事として理解出来る

と、信仰のアップ・ダウンが少なくなる。イエスの血によって神に近づく事は

恵みの出来事である。イエスの血によって神に近づく事は神の御業を信頼する

事であり、神の栄光につながっていく。あなたはどうだろう。イエスの血によ

って神に近づいているだろうか?近づくために頑張っていないだろうか?その

必要はない。なぜならイエス様が十字架の贖いを頑張って下さったからである。




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