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霊的祝福の秘訣
ある時、メッセージでKさんが、こう語ってくれました。霊の子ども達を見たいなら、交わりが必要です。と語られました。男女が出会い、愛し合い、結婚し、交わり、子供が出来るように、霊の子供たちは、主との霊的な交わりによって生まれるのです。と語られたのです。そう言われて思い出すのは、歴史的なリバイバルです。ウェールズのリバイバルは、ごく普通おばあちゃん達の熱心な祈りから始まりました。これは、まさに主との霊的な交わりです。そしてある時、主を求めて人々が押し寄せ、教会堂の外に入り切れない人達が溢れていたそうです。
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礼拝
明日は、午前10時30分から埼玉県比企郡 にある貸し会場で礼拝を行います。詳しい場所
は会場からHPやブログで、案内しないように言われています。メールかお電話でお問い合わせ下さい。内容は、賛美と聖書の学びとお交わり(コーヒーを飲みながら楽しい会話のひと時) になっています。 会員制度は、有りませんので どなたでもご参加自由です。 参加費は、有りません。 献金の袋を回す事も有りません。 心から、ささげたい方が自由にささげられるように箱だけが置いてあります。 牧師はおりますが、先生と呼びません。みんな兄弟姉妹、神の家族です。
近隣の駅 東武東上線 東松山駅から送迎します。遠慮なくお伝え下さい。
どうぞお気軽にお越し下さい。 |
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新約の群・家の教会のルーツは、アメリカ、テキサス州ウェイコに現わされた長老派グレン・ユーインがエペソ人の手紙4章に書いてあることは今でも有効であると信じ、ひたすら聖霊の現われを求め、新約聖書の教会の模範に従うなら必ず同じ結果を見ることが出来ると教え続けました。しかしその教えを受け入れられない人々は教会を去り、ついに6人だけになってしまいました。それでも彼は諦めませんでした。 1946年神の栄光の訪れから始まった。異言を語り、幻を見、預言を受けたのです。奇跡が起こり始め、新しい人々が教会に集まって来ました。多くは伝統的な教団に属し何らかの理由で現状に不満を覚えた人たちであった。彼らは飢え渇いた人達であった。ある人は突然夜中に起こされ、テキサス州の小さな町に行き求めているものを受け取りなさいと示され、聖霊の強い促しに従ってやって来た人々もいました。グレン・ユーインはいつも「聖い歩みをしなさい。そして新約聖書の模範に従うのです。そうすれば新約聖書に記されている結果を体験できるでしょう。」と語りました。 [使徒的教会の到来/マルコーシュ/P74〜75抜粋] |
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教会成長。救われた頃の私は考えもしなかったテーマであった。 それから6年ほどたった後日本で教会成長した教授陣、講師陣を集めた 神学校に入った。教授になる資格が、信徒 200人以上の教会の牧師及び 牧会経験の有る方というものだった。当然教授になる人は限られている。 キリスト教関係の本や雑誌、新聞等のメディアに名の知られている方々 ばかりであった。神に用いられている器であったので、その証は興味深い ものばかりで、とても恵まれ毎日がまるで聖会のようであった。 しかしそんな素晴らしい所で学んだ後、暫くして教会成長に疑問を持つように なった。本当に神は教会成長を望んでおられるのだろうか?この答は聖書の あらゆるところから御心だと理解出来る。だがそのプロセスにおいて、また形態 において、御言葉の適用において等々、次々に疑問がわいた。時には聖書を調べ 時には主に求め、時には牧師に質問し、時には本を読みあさった。いったい 神の求める教会とは、何だろうと何時も思うようになった。 そして今この新約の群・家の教会というところに辿りついた。新しい皮袋 だが、聖書そのままの真理の回復を願っている群れである。組織化されてないので メンバーシップ制度はない。またイベントの連続、奉仕の連続で疲れ果てていた 過去を反省し、極力イベントは少なくし第一の事を第一に出来る環境作りも心掛 けて行きたい。また教えにおいては、神の御言葉は調和がとれていて矛盾しないと 言うことを学んでいる。主に心から感謝している。 |
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それゆえ、万軍の主はこう仰せられると、彼らに告げよ。万軍の主は仰せられる、わたしに帰れ、そうすれば、わたしもあなたがたに帰ろうと、万軍の主は仰せられる。 あなたがたの先祖たちのようであってはならない。先の預言者たちは、彼らにむかって叫んで言った、『万軍の主はこう仰せられる、悪い道を離れ、悪いおこないを捨てて帰れ』と。しかし彼らは聞きいれず、耳をわたしに傾けなかったと主は言われる。 (ゼカリヤ書 1:3, 4 JA1955)
ここで、主は、私に帰れと言われている。この時、帰る必要があることを自覚しなければならない。現状に満足していたり、帰る必要を覚えなければ、帰らない。それは、お腹が減らないと食べないのと同じです。だから、よく飢え乾きの必要が語られが、ここでも、飢え乾きが秘訣なのです。
主に対する飢え乾き、御言葉に対する飢え乾き、義に対する飢え乾き、聖さに対する飢え乾きが必要なのです。飢え乾きが来るとそれが、満たされる。主に対する飢え乾きを覚え、主を求めて行きたい。 |



