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信仰のモチベーション
私の以前信仰は、肩に力が入り、脂ぎっていました。
成功したい。その想いでいっぱいでした。その頃の成功とは、教会に沢山の人を集めることであり、立派な会堂を建て、優れた組織を造り、セルを機能させ、優れた伝道プログラムを造り実行することでした。(これらが全て悪い訳ではありません。問題は動機でありプロセスです。)幾人かの人々を導く事が出来ましたが、全然満足がありませんでした。それは、思い描くものと現実が違っていたからでした。今考えると、キリストを利用して成り上がりたいと思っていたに過ぎなかったと思います。厄介だったのは、良い動機が混ざっていたからでした。しかし、キリストを利用した自己実現でした。また、そういう人は以外と多いかも知れないと思います。平く言うと、信仰の名の下に、有名になりたい。お金持ちになりたい。注目されたい。また自分の思い通りの人生にしたい。これらは、正にパリサイ人、律法学者が持っていたスピリットであり、イエス様の中には、一切無かったスピリットです。パリサイ人のパン種は、偽善サドカイ人のパン種は、世俗主義ですが、共通するものがあると思います。それは、宗教を利用した自己実現です。今、教会に、すなわち、自分自身に、この様なパン種があるなら、すぐさま捨てる必要があると思います。サタンは、ここからいつも目をそらそうとします。 私たちは、自己実現ではなく、神の御心を実現して行きたいと思います。 それが、イエス・キリストのスピリットです。 |
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