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明日は、日曜礼拝がありません。通常の礼拝が、土曜日になります。曜日にこだわりが無いので以前、東松山でも土曜日の夜に、礼拝を1年以上行っていました。また、日曜日行なう必要がある時には、土曜日と日曜日に礼拝をする時も、ありました。 その時に集う人達の、ニーズに合わせて集いやすい日にしています。勿論そのやり方に反対する方々いるのも知っています。安息日を守るようにと言う教えを、最近広めている方々がいるのも聞きました。しかし、以前 ユダヤ教の家庭に生まれた教師の方が、礼拝の為の集まりを、土曜日でも、日曜日てもなく、金曜日、また他の日にしたりする時もあると、メッセージテープで言っていました。私は今の聖書理解では、曜日にこだわらなくても良いのでは?と考えています。 |
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2013年07月13日
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罪からの解放 エレベーター信仰からの解放・・・3 恵みが人生を変える・・・4 キリストを信じて1年ぐらいたった頃のことですが、祈りが 出来なかったり、聖書通読よりも信仰書に夢中になっていたこと があった。他にも罪があり、何度悔改めても直らなかった。だん だん信仰生活に疲れてきた。クリスチャンにならなければ、 こんな苦しい想いをしなくて済んだのに、と考えるようになって いた。そこで私は、クリスチャンにならなかった方が良かったと思い お別れの祈りをした。 「天のお父様、短い間でしたけどお世話になりました。 もうこれ以上苦しむのはいやです。信仰生活がこんなに 辛いとは思いませんでした。これなら信仰しない方がましです。 さようなら」 と言った瞬間に言いようもない恐れがやって来た。それですぐに 今の祈りのキャンセルをお願いした。 「主よ私はやっぱりあなたなしでは、生きていけません。悔い改めます。」 しかし問題は解決していません。解決を祈りながら聖書を読みました。 するとローマ人への手紙8章1〜2節が目に止まった。 「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決し てありません。 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と 死の原理から、あなたを解放したからです。」 特に1節の「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決して ありません。」解放されつつも一つの疑問が出て来ました。はたしてこん な私はキリスト・イエスにあるのかという問題でした。それで続けて祈り つつ聖書を探しました。すると ?鵯 コリント1章30節に目が釘づけになり ました。 「しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、 私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。」 コリントの教会は当時大きな問題があったにもかかわらずパウロは あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるとキッパリと 言いきってくれています。この時の開放感を今でも覚えています。 罪からの解放は私たちの努力ではなく、創造主なる神が完成 して下さったのです。ハレルヤ! |
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