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12:43 こうして彼らはその日、大いなる犠牲をささげて喜んだ。神が彼らを大いに喜び楽しませられたからである。女子供までも喜んだ。それでエルサレムの喜びの声は遠くまで聞えた。 口語訳 ネヘミヤ12:43 主の私達に対する願い?それは、神の子どもとされた私達が、喜び楽しんで欲しいというのが、基本な願いである。悲しんだり、苦しんだり、怒ったり、憎んだり、妬んだり、恨んだりして欲しくない。なぜらな見ていられないからである。我が子が喜び楽しんでいると、こちらまで自然とニコニコしてくる。また悲しんでいると、その原因を取り除く努力しようとする。それは、親が子に対する愛の故である。父なる神も同じように愛の故に、私達子供に喜び楽しんでほしいのである。そこには豊かな安息があり、主への信頼がある。最初に人が造られた後で、置かれたエデンには、歓喜、平地という意味がある。
ハレルヤ‼
今日も主と共に喜び楽しんで行きたい。まわりの状況が、たとえそれを許さなくても、何故なら今はエデンは私達の中にあるから。
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明日は、午後3時から埼玉県比企郡 にある貸し会場で礼拝を行います。詳しい場所
は会場から、案内しないように言われています。メールかお電話でお問い合わせ下さい。内容は、賛美と聖書の学びとお交わり(コーヒーを飲みながら楽しい会話のひと時) になっています。 会員制度は、有りませんので どなたでもご参加自由です。 参加費は、有りません。 献金の袋を回す事も有りません。 心から、ささげたい方が自由にささげられるように箱だけが置いてあります。 牧師はおりますが、先生と呼びません。みんな兄弟姉妹、神の家族です。 どうぞお気軽にお越し下さい。 |
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イエス・キリストは、私たちを愛している。 イエス・キリストは、私たち(全ての人間)を愛しています。 この事を、聞くとある人は、宗教かと思うかもしれません。 私も、最初そう思いました。しかし、聖書では、イエス・キリストは、 今も生きておられ、信じる者の内に確かに実在されるお方なのです。 そして、多くの人の人生を変えてこられました。聖書に出てくる沢山の 人物を始め、歴史に登場した人々等その人たちの名前を挙げるときりがないぐらいです。 「イエス・キリストこの名の他に救いはない。」と新約聖書の使徒行伝4章12節に書いてあり ます。 この方を信じるなら、確実に私たちの人生はこのお方によって変えられます。 なぜなら、この方こそ唯一真の神だからです。この方は、聖書によると、私たちを 愛しているとはっきり記されています。その愛は、言葉だけではなく、「イエス・キリスト が十字架で私たち全ての人間の罪の為に死なれ、死んで葬られ、三日目に復活しました。」 ここに神の愛があらわされ、聖書の預言が実現したのです。 この事は、人間が考え出した事ではありません。聖書を読むとその事が分かります。 私たちの犯してきた罪が重くても、軽くても関係有りません。聖書が語る罪は、私たちを、 造られた、唯一の神であり、お父さんである方から背を向けて歩くことです。ですから、全ての人は 罪びとであり、このお方からの罪からの救いを必要としています。 参照 聖書ローマ人への手紙3章23節 救いの道 イエス・キリストは言われました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。 わたしを通してでなければ、父(創造主なる神)のみもとに来ることはありません。」聖書ヨハネによる 福音書14章6節 多くの道の一つではなく、唯一の道なのです。 救いの方法 「主の御名を呼び求めるものは、みな救われる。」 聖書 使徒行伝2章21節 「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリスト名によって バプテスマを受けなさい。」 聖書 使徒行伝2章38節 悔い改めるとは、自分が罪人であることを認め180度方向転換することである。そして、イエスを主であり救い主である事を信じる事です。 祈ってみましょう この方イエス・キリストは、生きておられるのでこの方に向かって、話してみましょう。 キリストを受け入れる祈り 主イエス様、私はあなたを必要としています。あなたが、私の罪を背負って十字架で死んで下さったことを感謝します。今あなたを私の罪からの救い主、神として心にお迎えします。 私の全ての罪を赦し永遠のいのちを与えてくださりありがとうございます。 私の心の王座で、私の人生を導き、あなたの光の道を歩ませてください。私をあなたが望んでおられるような者に変えてください。 アーメン |
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食べる物は重要
最近ダイエットを、真剣に始めました。と言ってもまだ3日目ですが_
以前テレビの実験で、一ヶ月間カップラーメンで過ごした大学生が、身体を壊した話しを聞いた事がありますが、余りにも当然な話です。そんな極端なところまで行かなくても、食生活が原因で、色々な病気になっているのを聞きます。レコーディングダイエットを始めました。 なぜ始めたかと言いますと、これを、実践した友人がいたのを思い出したからでした。以前、礼拝に来ている友人が夫婦で15kg減量に成功したのです。見た目にも明らかに違うので、痩せたね〜。と声を掛けずにおられないぐらいでした。そこで、興味があったので根掘り葉掘り聞きました。それが、役に立ちました。レコーディングダイエットとは、ご存知の方も多いと思いますが、ノートに食べた物とカロリーを付けるというものです。そうすると、何を食べるのか、どれだけ食べるのか、注意するようになります。まだ3日目なので大きい事は言えませんが、^ ^ 食べる事を大切にするようになりました。 それと同じように、霊的にも何を食べるのかが、重要だと思わされています。美味しからと言って何でも食べいると後で大変な事になる可能性もあります。体もバランスの良い食事が重要ですが、霊的にも同様です。アンバランスな食事ばかりすると、どこかでそのツケがまわって来ます。
では、何を食べるのか、やはり聖書そのものを食べるのが一番重要だと思います。現代は、色々な流行りの教えがあり、混ざり物という添加物がたっぷり入った教えもあります。
それに対して、私達は、あまりにも無批判過ぎます。12使徒の時代にもいました。偽兄弟、偽預言者、偽教師は今もいます。実をみたらハッキリ分かるものから、分かりづらく、そうとう吟味が必要なものまで様々です。そんな偽教師達が与える霊的食物は、口に甘く腹に苦いのです。美味しくても身体には良くありません。食べない方が良い?いいえ食べてはダメです。病気になります。心も身体も死に向います。食べ物には、気を付けたいと思わされています。 |
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この間の日曜日は、昨年から続いている黙示録の講解メッセージの最後22章の二回目でした。今回も、たっぷり1時39分間でした。いつもだいたい2時間平均ですから今回は、短い方でした。いずれにしても素晴らしいみ言葉の時で、あっという間でした。今回も私にとってタイムリーなみ言葉でした。
最初に、Kさんはこう言われました。聖書の中で最初の2章と最後の2章は、罪が書かれていない。神が直接支配しておられる。そして黙示録22章は神の栄光が満ちている。
「22:17 御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。」
また、最後の方で17節では次のように語られました。
黙示録 22章 17節
このみ言葉は、聞くものは、来たりませとい言いなさいと、命じられています。準備の出来た人は、とは言っていません。素直に「主よ来て下さい。」と言いたいと、心から思いました。
「主よ来て下さい。」 |



