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み言葉の飢饉 8:11 主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。 8:12 彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。 8:13 その日には美しいおとめも、若い男もかわきのために気を失う。 8:14 かのサマリヤのアシマをさして誓い、『ダンよ、あなたの神は生きている』と言い、また『ベエルシバの道は生きている』と言う者どもは必ず倒れる。再び起きあがることはない」。 口語訳 アモス8:11 ~ 14 今の時代はみ言葉の飢饉の時代かも知れない。今は黙示録のラオデキヤの時代と言われる。ラオデキヤとは、民主主義という意味がある。民の意見が尊重される。神の意見より、人の意見が尊重されるとそこで、み言葉の飢饉が始まる。しかも、ラオデキヤの教会は、何も不自由がない。全てのものがあると思い込んでいる。今の時代も、今までの教えの蓄積があり、確立された神学がある。多くの書籍があり、ネットを通してさらに学びも出来る。間違っているとすぐに、批判される。20年前までは、熱心と言われたものが、今はカルトと言われる。それは、良いことでもある。聖書が示していない方法で教会を建て上げると、多くの人々が壊れて行く。主のみ言葉のを聞かないと、自分の言葉、サタンの言葉を聞く、それは、み言葉の飢饉である。しかも一番の問題は、それに気付いていないということである。そう言う私も、気付かせて下さいと、祈りつつ主を求めて行きたい思う。 |
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