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キリストとの出会い・・・3・・・準備期間 6歳のわたしは、交通事故から1ヶ月後精密検査も終わりようやく退院出来た。 父親に連れられ鹿児島から父の実家に近い名古屋に引っ越しした。そこは父が 働く工場の寮で6畳一間の広さだったと思う。兄弟3人だったのに、いきなり 1人になりとても淋しかったのを覚えている。 それから間もなく小学校に入学した。暫くの間は友達も出来、楽しい毎日で あったが、母に会いたくて我慢出来なくなってきた。そこで毎日のように 父にせがんだ。「お父さんお母さんに会いたいよ。お願いだよ、お母さんに会わせてよ。」 そこで父は数ヶ月後、鹿児島に連れて帰ってくれた。帰って母に会うなり私は 父にこう言った。「お父さん。今まで僕の事、お前は俺の宝だと言ったのに 嘘だ!僕は全然大事にされなかった。」すると父は母に「お前がこの言葉を言わせたな。」 と言って母に怒った。父は父なりに一生懸命働き私を養ってくれたのは分かっていた。 宝の様に大切にしてくれているのは、分かっていた。心の中ではお父さんありがとうと 言う気持ちもあった。しかし、寂しかったのでつい嘘をついてしまった。始めて自分の 嫌な面、汚い内面をハッキリ自覚させられた瞬間であった。自分の寂しさを解決するため には父さえも裏切る卑劣さを自覚させられたのは、今思うと感謝にたえない。なぜなら これがなかったら私はキリストなしで大丈夫になっていたかも知れない。それを思うとゾッとする。 |
キリストとの出会い
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両親の別居が決まり、私一人父に付いて名古屋に行くことになった。6歳の坊やには少し荷の重い決断だった。しかし、その当時は結構その気になり浮かれていた。ほとんど何も知らない街に行く不安よりも期待の方が大きく、なぜかワクワクしたのを覚えている。しかしそのワクワク感が吹き飛ばされるまでさほど時間は掛からなかった。 父の車に荷物を運び始めた。確かスバル360という(てんとう虫を思わせる丸い車体)車だったと思う。家から車まで100メートルぐらいはあったが、車は道路の反対側に止めてあったので道路を横断して荷物を運んでいた。あと少しで運び終わろうとしていたその時目覚まし時計を手に持ち道路を渡る前に右を見た。そうすると白いライトバンが見えたが、遠くにいた。左を見た何も来ていなかった。次に右を見たかどうかは覚えていない。しかし、そこはライトバンには緩やかな下り坂で、スピードの出やすい所だった。私は行けると思い真っ直ぐ前を向いて走り出した。突然バンと鈍い音と共に道路に投げ出された。持っていた目覚まし時計が転げ落ちた。ああ!車と衝突したんだと思いつつ、なぜがそれを拾う為に必死に手を伸ばした。 車で病院に運ばれた。その途中耳から血ではない液状のものがだらっと流れてきた。それを見た人がああ!駄目だねこりゃとつぶやいた。そしてその人はさらに、どうして危ないかを事細かに説明しはじめた。薄れゆく意識の中でその言葉は、はっきりと記憶に残った。僕は死んじゃうのかなと初めて死を身近に感じた。けれども、1か月程の入院で退院出来た。精密検査の結果どこも異常なかった。 今思うとこの体験は初めて死を身近に感じたという点で、死んでからどうなるのか?死後の世界はあるのか?などとこの後そんな思いにくれるきっかけになったのではと思う。 |
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名古屋生まれの鹿児島育ちの私。といっても名古屋は父の実家の近くで、生まれてから2年程までい |




