|
宗教ではなくキリスト信仰
キリスト教は、元々宗教と意味でした。しかし、イエス様は、ユダヤ教から派生した新たなキリスト教を起こそうと考えたのではありません。勿論、周りの人々はそう考えた人もいたでしょう。
人それぞれ教会に持ってるイメージがあると思いますが、以外とそのイメージと違ったりします。私は、キリストを信じる前は、キリスト教に対して警戒心がありました。教会に一歩足を踏み入れたら、無理矢理、洗礼を受けさせるのではないか?とか、一旦入ったら二度と抜けれないのでは?とか、カルト的なイメージがありました。しかし、紹介された教会に行って見ると、そんな事はなく、とても親切であたたかく迎えてくれました。
実は、今のキリスト教とイエス様がおられたころとでは、だいふ違うのではないかと思います。いかに後から土着の宗教が混ざってしまったかという事です。キリスト信仰がキリスト教になっていきました。代表的なものは、クリスマスでしょう。
[ よろしければ ][ 下の文字を1日1クリックお願いします。] ↓ ↓ ↓ にほんブログ村 プロテスタント |
キリスト道
[ リスト | 詳細 ]
|
新約聖書の教会と現在の教会はなぜ違うのか? なぜ新約聖書の教会と現在私達が見聞きする教会と違うのか?教会に行きはじめた時、もしかすると同じ疑問を持った人がいたのではないでしょうか? その答えはあまりにも簡単かも知れません。答えは新約聖書の教会がやったようにやっていないからで す。しかし現在ある教会を否定している訳では有りません。ただ現在教会は主の主権により回復の過程にあると信じています。またこの事を書く目的は、兄弟姉妹に聖書を調べ祈り考えて頂きたいと願っているからです。決して教会や牧師を批判したり、無益な議論を目的とはしていません。基本的にキリストに従 う方からは、どなたからでも学び合う事が出来ると考えています。自分は正しく、他の教会は間違っていると言う姿勢はサタンに足元をすくわれる事になるので危険だと考えています。 ルターから始まった宗教改革は完結していません。今も続いています。しかしそれと同時にサタンも策略 をめぐらしキリスト者に疑いや混乱、恐れ、不安などを与えその働きを止めようとしています。しかしそれにもかかわらず、主の主権の働きは進められるのです。 ではどのようにキリストに従うのでしょうか?答えは簡単です。キリストの元に来て重荷をおろし休む事 です。実は私たちの働きの中には、キリストの名の元にやっているだけで、肉の働きが結構多くあります。いやほとんど肉の働きかも知れません。このまま続けているとガラテヤ書5章の肉の現われを見るのも時間の問題です。今、その幾つかをもう見ているでしょう。現在私たちの住む日本にある熱心な教会 は、あまりにも忙しすぎます。忙しすぎてキリストとのリラックスした楽しい交わりも、後回しになりがちです。まずキリストと共に休む必要があるのではないでしょうか?わたしも依然ほとんど休みなく、睡眠時間も4〜5時間で、キリストの為に天に宝を積む事だと思い伝道や奉仕を頑張って来ました。しかしい つも心の中に平安がなく満足が有りませんでした。賛美リーダー、路傍伝道、トラクト配布、個人伝道、青年会の奉仕、PAの奉仕、メッセージテープの録音と約20か所へ発送、神学校の授業、警備員の仕事、イベントの準備と開催、2か月に1回祈祷会でのメッセージの準備、祈り、聖書通読、等々挙げたらきりが ないほど、沢山のやる事が有りました。何かが間違っていると感じながらも、それが何か分かりませんでした。しかし最も必要な事はキリストの元に来て重荷をおろし、休む事です。そしてキリストから学ぶのです。そこから真のキリストの働きが始まります。 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」 マタイ11:28〜29 新改訳 |
|
キリスト道 新しいシリーズを、気ままに更新したいと思います。 このシリーズではキリストの真の道について考えてみたいと思います。 初代教会時代のキリスト者達は、この道の者と言われていました。 それでこのシリーズは、キリスト道にしたいと思います。 キリストは当時、パリサイ人や律法学者達の律法主義と伝統 (儀式主義、形式主義)と戦っていました。 これらの戦いは、2000年前だけではなく今も生き続けています。 勿論これを書いている私も例外では有りません。 時折立ち止まり、律法主義、伝統に従ってないかを注意深く 振り返る必要を感じています。律法主義、伝統を愛するか、それとも キリストを愛するか、いつも問われていると思います。なぜなら キリストに従う時にいのちに溢れるからです。 「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」ヨハネの福音書14章6節 新改訳 (2009年4月22日分転載) |
|
今日の聖書 12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、 12:2 また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。 伝道の書 12 : 1 〜 2 [口語訳 ] この聖書の箇所は、 今から27年前、1984年に聖書を読み始めた頃何度も教えて頂いた言葉のひとつです。この当時約1週間で、無料で頂いた新約聖書を読み、とても喜びに溢れていたのを、今でも昨日のことのように、思い出します。そして旧約聖書も読みたくて、読みたくて仕方がなくなり教会ですぐに購入読み始めました。旧約聖書の方は、半年かかって通読しました。それは興奮の連続でした。その時は、あたかも神ご自身がわたしのすぐそばにいて下さり、直接私に聖書の言葉を語り明かして下さっているような そんな素晴らしい感覚でした。ドラマチェックというか、エキサイティングな時間に包まれていました。ある時は、聖書の文字そのものが飛び出して私の口入ってくるような感覚におそわれ美味しい食べ物ようでした。 またある時は、頭のテッペンから足のつま先まで身体中に電気が走るようなビリビリと痺れような感覚を感じ、感動が体を覆いました。そう言うような感覚は、当然のことながらみ言葉から与えられる感動、喜び、平安、罪の自覚と悔い改めに結びついていきました。 若い日に、そんな素晴らしい体験が出来たことは、かけがえの無いものでした。今でも、そこが原点ですし、この聖書との出会い。私を造って下さったお方とイエス様との出会い。この出会いは、私にとって人生最高の出会いでした。イエス様は、私の人生を根柢から造り変えて下さったのです。 (((o(*゚▽゚*)o))) ハレルヤ‼ |
|
癒す時がある 3:1 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。 3:2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、 3:3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、 伝道の者 3 : 1 〜 3 [ 口語訳 ] この聖書の言葉は、私の心に安堵を与えてくれるものです。一切の否定的な言葉や思いを打ち消して「癒す時がある。」と力強く信仰の宣言として、私の内側で鳴り響いて来ます。み言葉は、私の魂を救う力があると実感するひと時です。 1:21 だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。 ヤコブの手紙 1 : 21 [ 口語訳 ] (⌒▽⌒) ハレルヤ‼ [ よろしければ ]
[ 下の文字を1日1クリックお願いします。] ↓ ↓ ↓ [にほんブログ村 キリスト教] Ping代理送信方法 (代理機能) https://ping.blogmura.com/xmlrpc/hgg42k7blnyp |







