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箴言 21:30〜31

今日の聖書箇所

21:30 主に向かっては知恵も悟りも、計りごとも、なんの役にも立たない。 
21:31 戦いの日のために馬を備える、しかし勝利は主による。

箴言21:30〜31  [ 口語訳  ]


  箴言のこの箇所は、とても痛快に、スッキリと私の心を切り分けてくれます。宗教と信仰を切り分け、ハッキリと現してくれます。

  宗教とは、人間の側の努力で神に近づく行為のことです。  
人は、人の側から天と地を造られたまことの神に近づくことは出来ません。
   神に近づくとは、神とご性質( 性格 )が似て行くということを意味しています。そしてこの行為を宗教と呼びます。そして人間は、この宗教が大好きです。

  人間の側からのあらゆる努力を惜しみません。知恵、悟り、計りごとを尽くします。

    箴言21:31 で現されている日々の戦い。また最後の罪と死との戦いでも主が勝利をとって下さいます。



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祈りは聞かれる

祈りは聞かれる

 今年に入ってKさんがメッセージの中で「祈りは聞かれているでしょうか?」と皆に質問を投げかけられました。さらに「イエス様の祈りは100パーセント聞かれました。私達は祈りが聞かれないのが当たり前になっていないでしょうか?」ドキッとしました。さらに「祈りが聞かれないと言う事は異常な状態

なのです。」と続けられました。
確かにその通りだと思います。単なる妥協した信仰生活であったら、余り意味がない。祈りが聞かれていないとすれば、何か原因があるはずです。「悔い改めていない罪。悔い改めたけれど、罪から離れていな

い。この世と妥協して罪に対して鈍くなっているか、無感覚になっている。恵みと言いながらその実、自分の肉に寛容過ぎるだけであるとか。」色々あると思います。イエス様も弟子達に信じて祈れば何でも聞かれる。と言われました。

「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」 マタイ21:22 

私達は言い訳ばかりを繰り返すのはもうやめて、本気で主に立ち返る事がまず必要です。肉が十字架につけられた事を認め、ヨハネの福音書15章にあるように主に留まり続けるならば、必ず実を結ぶのです。今日私たちキリスト者に必要なのはイエス様との深い交わりです。結果だけを追い求めると、野心に騙さ

れます。働きの結果は横に置き、主を追い求めて行く。そこから全てが始まります。働きを追っかけるのはやめ、主に留まりましょう。自分が働くと自分に栄光が返ります。主に留まり安息すると主が働かれます。主が栄光をお受けになります。信じて祈るなら必ず聞かれます。そうでないなら、罪があるか、間違

った祈りをしているか、主から離れているかのいずれかです。私達はもう目を覚ます時がすぐそこに来ています。バビロンのスピリットから離れ、ラオデキヤの教会の時代にある今私達は熱心に悔い改めましょう。主ご自身に本当に教会の頭、私たちの主になって頂きましょう。 


*この記事は特定の誰かを、非難する事が目的では有りません。私自身もこの事を真剣に受け止め、主に悔い改めて行かなければならないひとりに過ぎません。


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新約聖書の教会と現在の教会はなぜ違うのか?
 

なぜ新約聖書の教会と現在私達が見聞きする教会と違うのか?教会に行きはじめた時、もしかすると同じ疑問を持った人がいたのではないでしょうか?
その答えはあまりにも簡単かも知れません。答えは新約聖書の教会がやったようにやっていないからで

す。しかし現在ある教会を否定している訳では有りません。ただ現在教会は主の主権により回復の過程にあると信じています。またこの事を書く目的は、兄弟姉妹に聖書を調べ祈り考えて頂きたいと願っているからです。決して教会や牧師を批判したり、無益な議論を目的とはしていません。基本的にキリストに従

う方からは、どなたからでも学び合う事が出来ると考えています。自分は正しく、他の教会は間違っていると言う姿勢はサタンに足元をすくわれる事になるので危険だと考えています。
ルターから始まった宗教改革は完結していません。今も続いています。しかしそれと同時にサタンも策略

をめぐらしキリスト者に疑いや混乱、恐れ、不安などを与えその働きを止めようとしています。しかしそれにもかかわらず、主の主権の働きは進められるのです。
ではどのようにキリストに従うのでしょうか?答えは簡単です。キリストの元に来て重荷をおろし休む事

です。実は私たちの働きの中には、キリストの名の元にやっているだけで、肉の働きが結構多くあります。いやほとんど肉の働きかも知れません。このまま続けているとガラテヤ書5章の肉の現われを見るのも時間の問題です。今、その幾つかをもう見ているでしょう。現在私たちの住む日本にある熱心な教会

は、あまりにも忙しすぎます。忙しすぎてキリストとのリラックスした楽しい交わりも、後回しになりがちです。まずキリストと共に休む必要があるのではないでしょうか?わたしも依然ほとんど休みなく、睡眠時間も4〜5時間で、キリストの為に天に宝を積む事だと思い伝道や奉仕を頑張って来ました。しかしい

つも心の中に平安がなく満足が有りませんでした。賛美リーダー、路傍伝道、トラクト配布、個人伝道、青年会の奉仕、PAの奉仕、メッセージテープの録音と約20か所へ発送、神学校の授業、警備員の仕事、イベントの準備と開催、2か月に1回祈祷会でのメッセージの準備、祈り、聖書通読、等々挙げたらきりが

ないほど、沢山のやる事が有りました。何かが間違っていると感じながらも、それが何か分かりませんでした。しかし最も必要な事はキリストの元に来て重荷をおろし、休む事です。そしてキリストから学ぶのです。そこから真のキリストの働きが始まります。


「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」
                                        マタイ11:28〜29 新改訳


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新しいシリーズを、気ままに更新したいと思います。
このシリーズではキリストの真の道について考えてみたいと思います。
初代教会時代のキリスト者達は、この道の者と言われていました。

それでこのシリーズは、キリスト道にしたいと思います。
キリストは当時、パリサイ人や律法学者達の律法主義と伝統
(儀式主義、形式主義)と戦っていました。

これらの戦いは、2000年前だけではなく今も生き続けています。
勿論これを書いている私も例外では有りません。
時折立ち止まり、律法主義、伝統に従ってないかを注意深く

振り返る必要を感じています。律法主義、伝統を愛するか、それとも
キリストを愛するか、いつも問われていると思います。なぜなら
キリストに従う時にいのちに溢れるからです。


「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」ヨハネの福音書14章6節 新改訳


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