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祈りとその動機
(昨日の礼拝メッセージを、少しお分かちしたいと思います。)
6:5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。
彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好き
だからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の
報いを受け取っているのです。
6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、
戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、
隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
6:7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返しては
いけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、
あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられ
るからです。
6:9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があが
められますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行な
われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめの
ある人たちを赦しました。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕
6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを
赦してくださいます。
6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの
罪をお赦しになりません。
マタイの福音書6:5〜15 [新改訳]
イエス様はここで祈り方を教えて下さっています。
まず5節〜8節で本題に入る前に、祈る時の動機を教えて
下さっています。なぜなら当時の宗教家達が誤った動機で
祈っていたからです。彼らの心は本来祈りなら創造主なる神に
心が向いているはずでしたが、人に心が向いていました。
人からの関心を買うため、人に認められるため、いかに自分達が
信仰深く、霊的であるかを印象づけようと躍起になっていました。
しかしこれは当時の宗教家達だけの問題ではありません。
今日のキリスト教会の中、私たちの中にもいつしか忍び込む
可能性のある事柄です。20年近く前のことですが、私はいかに自分が
祈りに時間を費やしているかを知ってもらうために
祈りの時間を会話の中に入れました。その当時は気付きませんでしたが、
いかに自分が長時間祈り、霊的であるかを印象づけようとしていました。
祈りは神様との会話であり、交わりです。ですから言いかえるなら
祈りは、神様とのデートとも言えます。デートは誰にも邪魔されたくないと
思います。デート中に他の異性に心を向けていたら相手は心穏やかではないで
しょう。それと同じように、神様とのデートで他の人を意識するのはとても
滑稽なことなのです。
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