キリストと共に歩くのはとても楽しい

キリストと日々歩む楽しさをお分かちします。

木曜の祈り会

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信仰による義・・・創世記15章


15:1 これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。
「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」

15:5 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数える
ことができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
15:6 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

創世記15章1、5〜6節 [新改訳]


 アブラムと神との関係は少しずつ築かれて行きました。
そして、ここではついに聖書を貫く重要な真理が示されたのでした。

「信仰による義」この真理こそ律法以前に与えられ新約時代も
一貫して教えられている真理です。

パウロもガラテヤ人への手紙でこのところを引用して語っています。


「しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエス
を信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たち
もキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、
キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ない
によって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」

ガラテヤ 2:章16節 [新改訳]


 ここで重要な事は救われた時だけでなく、その後の
歩みも「信仰による義」が重要だという事です。

ある人達は救われるまでは信仰による義を強調しますが
救われたとたん行いを強く強調し、「キリストの弟子となる

為には」と言います。行いは大切ですが
私達の思いを行いに焦点をあて始めると、信仰から
それて行く可能性が高くなります。

 私達の焦点はキリストです。そしてキリストにある
ところの信仰です。アブラムが神の御言葉を聞いて

主を信じたように私達もまず何よりも信じる事が
先決です。

行いはその後に必ずついて来ます。
するとその行いは自分自身から出たものでなく
神から出たものであることが明らかになります。





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信仰によって勝利する・・・創世記14章


14:11 そこで、彼らはソドムとゴモラの全財産と食糧全部を奪って行った。
14:12 彼らはまた、アブラムのおいのロトとその財産をも奪い去った。ロトはソドムに住んでいた。
14:13 ひとりの逃亡者が、ヘブル人アブラムのところに来て、そのことを告げた。アブラムはエモリ人マムレの樫の木のところに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの親類で、彼らはアブラムと盟約を結んでいた。
14:14 アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。
14:15 夜になって、彼と奴隷たちは、彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。
14:16 そして、彼はすべての財産を取り戻し、また親類の者ロトとその財産、それにまた、女たちや人々をも取り戻した。
14:17 こうして、アブラムがケドルラオメルと、彼といっしょにいた王たちとを打ち破って帰って後、ソドムの王は、王の谷と言われるシャベの谷まで、彼を迎えに出て来た。
14:18 また、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。
14:19 彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。
14:20 あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。
創世記14章11〜20節 [ 新改訳 ]


 昨日ここからアブラムの信仰による行動を学ばせて頂きました。
王国の連合軍に挑んで行ったアブラムですが、彼が連れて行ったしもべ達は

当然牧畜が専門です。前の章でそのように書いています。
そんなアブラムとしもべ達が、なぜ勝てたのか?それは信仰です。

アブラムに与えられた信仰が、彼としもべ達を導いたのでした。
現実を客観的に正しく分析するなら、王たちの連合軍は戦のつわもの達なので

当然戦わない方が賢明です。万が一戦うとしても、他の王たちと連合を組んで
やるのが妥当だと思われます。しかしアブラムは信仰によって一致している

しもべ達と戦いました。しかしそれが、とてつもない勝利を生みだしたのでした。
信仰は時として常識でみると馬鹿げた行いと見える事があります。しかし主のGOサインが御言葉により

確認出来たなら、信仰による冒険も必要とされています。
勝利の後のアブラムを見るならば、彼が自分の人生を主に委ねていたのが分かります。

私もアブラムのような歩みをして行きたいと心から願います。



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人が変わるために必要なこと・・・創世記13章


13:14 「ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。
13:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
13:16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。
13:17 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」
13:18 そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。」

創世記13:14〜18[新改訳]


アブラムは12章まで、不従順があり、嘘がありました。主が『私が示す地に行きなさい』と言われたにもかかわらず、途中で飢饉が激しくなるとエジプトに下りました。

また自分の身の危険を感じると、自分の妻に願って嘘をつきました。
しかし主は彼を御言葉によって変え続けておられました。13章を見るとこれまでしたように
彼は祭壇を築き礼拝を奉げていました。礼拝の真のかたちは献身です。


「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」

ローマ12:1[新改訳]


神は私達の何かではなく私達自身が欲しいのです。その為に神ご自身が持っておられる最高のお方であるイエス様をお与えになりました。十字架にその愛が現れています。


「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
ローマ 5: 8 [新改訳]


「また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」

エペソ 5: 2 [新改訳]

真の神への礼拝がアブラムを変えて行きました。甥のロトに優先して住む場所を決めさせました。これは彼が主に自分の人生を委ねた結果にほかなりません。その後主が示した地カナンに住みました。ロトと別
れてから主の御言葉を頂きました。

その直後に彼はまた祭壇を築きました。おそらくすぐに礼拝を奉げたと思われます。
アブラムは、これからの人生に対して素晴らしい約束の御言葉を頂きました。

その直後彼がした事が礼拝です。主の御言葉を信じつつ、その実現に対しては全てを委ねました。御言葉を信じる事。主に自分の道を委ねる事。今回、アブラムから学ぶ事が出来ると思います。


「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

箴言   3: 6 [新改訳]


「人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。」

箴言 5: 21 [新改訳]


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創世記11章・・・木曜日の祈り会


昨日の祈り会は創世記11章を読み、そこから学び互いに分かち合いました。

11:4 「そのうちに彼らは言うようになった。『さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。』
11:5 そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。
11:6 主は仰せになった。『彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。
11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。』
11:8 こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。」
                        [新改訳] 創世記11章4節〜9節

バベル(バビロン)という言葉は創世記でも出てきて、黙示録

でも出て来ます。この世の力がそこにあり、働いています。

このバビロンのスピリットは、今もこの世にも働き

教会の中にも働いています。そこには悪しき一致があります。

中央集権が組み込まれており、一箇所に多くの人を集めようとし

自分たちの名を上げようとします。名声、出世、金銭を求めて行く思い、

それらが残念ながら、教会の中にも働いているのを身近に見て来ました。

いくら救霊の熱い思いがあっても野心が混ざっていると

きよい実が結ばれる事はありません。

主は使徒行伝でも迫害が起こる事を許されクリスチャン達は

散らされて福音が広がって行きました。

もしかすると私たちは、今まで逆の事をして来たのかも知れません。

主の御心に従って行きたいと願っています。



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木曜日の祈り会


 昨日は木曜日の聖書の学びと交わりと祈りの時を持ちました。
いつもと違ってキャンプの後でしたのでキャンプの証と、今回キャンプ

に行けなかった方々の為に、東松山でも礼拝がありました。その時は
妻が証をしてくれましたが、その話を分ち合ったりしました。

キャンプは主がひとつにして下さって、とても素晴らしいものとなりました。
キャンプの帰りにはロバート・ユーインさんが、日本に対して与えられた

預言を思い出しました。(この預言は以下の記事に書いてあります。)
   ↓   ↓   ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/jesus3john/49635591.html 日本の教会へのメッセージ・・・8

 内容は、日本のリバイバルが北海道から起こされるというものでした。
帰りの車で、Kさんとその事を話しながら

今主に対する期待感が増し加わりワクワクしています。
具体的に私達の計画がある訳では有りませんが、主ご自身のご計画を

感じます。本当のリバイバル(信仰復興)は、
人間の計画や意図の中から生まれません。

主の時に主がご自身の主権をもってお働きになります。
人の熱心な働きは主のお働きの邪魔になっても役には立ちません。

人にはただ安息と主への信頼が必要です。
ただ言われた事を忠実にするだけです。

主の御業の目撃者になりたいと強く願います。
リバイバル(信仰復興)は、まず私達の内側から始まります。

主よどうぞお始め下さいと、我らの内側で
あなたの奇跡の御業を起こして下さいそう心から願います。

主よ来て下さい マラナタ!



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