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なぜキリスト教会に多くの教団・教派があるのか? 先日電話で教会のホームページとブログについて 問い合わせがありました。 その中で私たちの教会がどこの教団教派に属しているのか? とのご質問もありました。 その方の言われるには、教団教派を聞くとどういった流れの 中にある教会かが、ハッキリ分かるということです。 確かに、それはその通りだと思いました。私も教団教派で ある程度その教会に対してイメージ出来ると思います。 しかし、その質問に少し困りました。なぜかと言いますと 私たちの教会は、どこの教団教派にも属しておらず「新約の群れ・家の教会」 と言ってはいますが、教団ではありません。では教団・教派とは 何か?どうしてキリスト教会に多くの教団・教派があるのか? このことについて簡単に載せたいと思います。 キリスト教会の歴史の中で世界中のキリスト教会は、それぞれ 聖書に元々あった真理の回復を見て来ました。ルーテル派・改革派・ 長老派は、聖書の権威と信仰による義認、万人祭司を回復しました。 バプテスト派は全浸礼(全身を水の中に入れて洗礼をする)を回復 しました。メソジスト・ホーリネス派は、クリスチャン生活における 聖さの必要性を回復しました。ペンテコステ派は、聖霊による満たし 、証の力、癒しの教えを回復しました。細かく挙げると切りがない 程ですが、キリスト教会の歴史に神の御手の働きを見ることが出来ます。 これらのことから分かるのは、キリスト教会に教派があるのは、聖書の 真理の回復の過程からであったといえます。それぞれの教団・教派 によって聖書の強調点が違います。 |
新しいぶどう酒は新しい皮袋へ
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新約の群・家の教会のルーツ 新約の群れ なぜ「新約の群」なのかと言いますと、新約聖書の教えは現在も続いていると 信じています。5役者(ごえきしゃ)と呼ばれる、使徒、預言者、伝道者、牧師、 教師の働きや、その他の賜物、等の真理を回復して下さると信じているクリスチャ ン達を総称して「新約教会」と言います。それには教団・教派に属する場合もあり ますし、そうでない場合もあります。 家の教会 私たちは、家々で集まったり、貸し会場を借りて礼拝しています。そういった こともあって家の教会と呼んでいます。決して会堂での礼拝を否定している訳では ありません。集まり易く、始めやすいので家々で礼拝をしています。Kさんが巡回 している所には、会堂をもっている教会もあります。今現時点で必要があれば別です が、礼拝はどちらにも固執しないことが、大切ではないかと思います。 新約の群・家の教会のルーツ それでは、私たちの教会である新約の群れ・家の教会のルーツを探って 行きたいと思います。 はじまりは、アメリカの長老教会の長老をしていた故グレン・ユーイン という長老と、数人の教会の方々で聖霊のバプテスマの体験をしたことに、は じまります。そのころ同じアメリカのカンザス州トペカにおいて、使徒の働き と同じ現象(聖霊のバプテスマ)を、体験した人々が起こされた時期です。 グレン・ユーインさんも同じ体験をしましたが、教会から追放されました。 なぜなら長老派の教会では、聖霊のバプテスマを否定し、使徒の働きのような ことは、現在は起こらないと教えていたからです。それからグレン・ユーインは アメリカ、テキサス州、ウェーコ市にて「ウェーコ・チャーチ」で教会形成 をはじめました。 その時彼は一つの決意を固めていました。「伝統的な教え、流行りの教え を参考にしない。聖書だけをテキストとして神ご自身に教えて頂く」と。 ここから多くの神の僕が育てられ遣わされて行きました。その一人に グレン・ユーインの息子である故ロバート・ユーインという方に神様から 与えられた、「セブン・キー・トゥルース」「7つの鍵の真理」があります。 現在、家の教会を巡回しているKさんは、神学校を卒業され10年間牧会した 後、ロバート・ユーインさんの弟子として聖書を学んで来られました。 そして今主がお働き下さってKさんは、北海道、茨城県、埼玉県、愛知県、 石川県、大阪府、京都府、兵庫県、を巡回し多くの方々がイエス様を信じ救われ 洗礼を受け、聖霊のバプテスマを受けています。病が癒され、心の病からも 解放されています。主の御名を賛美します。 ウェーコ・チャーチの信仰の立場は、教団教派は神の導きによって設立された ものとし他教派の働きを尊重しています。そう言う意味からも私たちの教会は 何々派とは言っていません。また教会員制度はなくすべて神の前の自由意思に 委ねられています。献金もかごや袋を廻すことはせずに、各自の意思で献金箱に 奉げます。(イエス・キリスト東松山教会の場合)また月定献金などの袋などは、 使わず無記名で奉げられています。 それはひとり一人が目に見えない物も、見ておられる神が知っておられるという 解釈の中にいます。教理は聖書信仰にたち、「神の恵み」が強調されております。 聖霊のバプテスマは、求める方々に主が与えて下さっています。 また牧師を「先生」と呼ばない。「クリスマスを祝わない」こともユニークさの ひとつだと思います。 |
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教会の回復・・・日本の教会へのメッセージ・・・7 ロバート・ユーインさんに聞く [ 最終回 ] [ 恵みの雨1988年 11月 ] 日本のリバイバルにおいてもギデオンの時のように少ない器しか残されないかもしれません。それらの 人々に対して、彼らの奉仕の報酬のような形で群衆を与えるのです。このようなことが、主が何年か前に ある人に与えた夢なのです。その真の教会が真に建て上げられる鍵は、神の秩序に従って教会を建て上げ ることです。 私はあるとき、預言的な幻を見ました。その中では川が北海道から日本中を通っていってアジアに豊かに 注がれていました。10日くらい後にカリフォルニアにいたある兄弟が同じような幻を見ました。その場合 は光が北海道から日本を通り過ぎてアジアに広がっていったそうです。中国の西部に関する幻もあって、 そのあたりの川が枯れてしまうのですが、ところが再び川の水が満たされていくというものであって、そ の地におけるリバイバルを言っています。チベットに対する幻もあって、そこもやはり川の水が枯れてい る。ところが突然水が一気にわき出てそれがいろいろなところに飛び散っていくという幻で、これは2、3 年前に与えられたものです。 私たちも用いられていきます。私たちが主の主権をはっきりと認めるときに、教会の回復が我々を通して 起こり、その回復はさらに周囲へと広がっていきます。 |
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教会の回復・・・日本の教会へのメッセージ・・・6 ロバート・ユーインさんに聞く [ 恵みの雨 1988年 11月号 ] 記者:「日本のクリスチャンに、さらにメッセージをいただけませんか。」 ロバート: 何年か前にある人にはっきりとした夢が与えられました。ある時すばらしい恵みが注がれ、日本の人が一夜にして大勢救われてくる、というものです。 そのようなわざが日本で起きる時には、神様から召された人々が必要です。ところがその時に、ギデオンに最初たくさんの人がついていたにもかかわらず除々に減って300人になったことと同様のことが言えるのです。 もし日本で300人の働き人が残った場合は、1人1人が独自の御心のポジションを持つことになり、そういう人が働き人として立ってくるでしょう。このことが起こるのは世界中の教会が回復する時です。 もしそれらの人々が神様の召しにとどまっているなら、ヨハネ5・17――19の原則に従うことになります。 「イエスは彼らに答えられた。『わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。』このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。そこで、イエスは彼らに答えて言われた。 『まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。』」(ヨハネ5・17――19) この原則に従い、神様の訪れに伴って行動することが求められます。ギデオンの譬えのなかで、ギデオンは、「私が行なう通りにあなたがたも行なうように」と求めています。ここでギデオンをイエス・キリストにおきかえて考えることができます。 「そして、彼は300人を3隊に分け、全員の手に角笛とからつぼとを持たせ、そのつぼの中にたいまつを入れさせた。それから、彼らに言った。 『私を見て、あなたがたも同じようにしなければならない。見よ。私が陣営の端に着いたら、私がするように、あなたがたもそうしなければならない。私と、私といっしょにいる者がみな、角笛を吹いたなら、あなたがたもまた、全陣営の周りで角笛を吹き鳴らし、〈主のためだ。ギデオンのためだ。〉と言わなければならない。』 ギデオンと、彼といっしょにいた100人の者が、真夜中の夜番の始まる時、陣営の端に着いた。ちょうどその時、番兵の交替をしたばかりであった。それで、彼らは角笛を吹き鳴らし、その手に持っていたつぼを打ち壊した。3隊の者が角笛を吹き鳴らして、つぼを打ち砕き、それから左手にたいまつを堅く握り、右手に吹き鳴らす角笛を堅く握って、『主の剣、 ギデオンの剣だ。』と叫び、それぞれ陣営の周囲の持ち場に着いたので、陣営の者はみな走り出し、大声をあげて逃げた。300人が角笛を吹き鳴らしている間に、主は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた。それで陣営はツェレラのほうのベテ・ハシタや、タバテの近くのアベル・メホラの端まで逃げた。」(士師記7・16――22) そういう働き人たちは神からのメッセージを持っています。御言葉の剣を持っているのです。これはちょうどエペソの6章の霊の剣と同じです。ここでの御言葉はレーマを意味します。ですから霊的な奉仕が役に立ってきます。神様が教会を建て上げる鍵は、右の箇所につぼが壊され、たいまつの火がともると書かれているように、日本に霊的な光が輝くことなのです。 「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかにされるためです。」(?鵺 コリント4:7) |
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教会の回復・・日本の教会へのメッセージ・・5 ロバート・ユーインさんに聞く [ 恵みの雨1988年 11月号 インタビューに答える ] 記者:「捕囚後のイスラエルと比較してどういうことが言えるのですか。」 ロバート: 今日の日本の教会が回復するには7つのステップを踏むと思われます。 バビロンというのは宗教的な困難を意味していて、カナンの地に行くということは、初めの愛に立ち返るということです。第1のステップは宗教的混乱から初めの愛に立ち返ることであり、それはカナンの地に来ることによってなされます。 第2のステップは、エズラ記3・2でエズラが祭壇を築いたことから知る事ができます。 この祭壇は十字架を意味しています。 「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」(ガラテヤ6・14) 祭壇というのは十字架、あるいは弟子となることを意味しています。祭壇を築くことは要するに、献身してイエス・キリストの弟子になり、この世から自分を分離することなのです。 第3のステップは、教会が権威を行使することです。 「建築師たちが主の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出てきた。」(エズラ3・10) ここに書いてある建築師たちとは、中心的には5つの賜物、つまり使徒・預言者・伝道者・牧師・教師を意味しています。規定によってとあるのは、権威を行使できる人というのは規定を守る人だからです。そういう意味で、教会において、神から与えられた権威を行使していくことが第3のステップです。イエス・キリストがパリサイ人に対して権威をもって語られたように、教会も権威を携えてそれを行使しなければならないのです。 第4のステップは、教会が聖められるために主が敵の攻撃を許されるということです。この段階において教会は主に自分自身を探っていただかなければなりません。 第5のステップは、教会が建て上げられていくことです。 「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」(�ペテロ2・5) 教会が建て上げられていく時には、生ける石として新しい人々が教会に来なくてはなりません。改宗したり救われたりして、新しい人が来なくてはなりません。教会を建て上げるために人々が集められる、人が集まり教会が建て上げられる、これが第5番目のステップです。 「そこで、シュアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちも彼らといっしょにいて、彼らを助けた。」(エズラ5・2) 「ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言によって、これを建てて成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、また、クロスと、ダリヨスと、ペルシヤの王アルタシャスタの命令によって、これを建て終えた。」(エズラ6・14) 第6のステップは、教会を美しくすることです。エズラはこのために遣わされました。 第7のステップは、神の栄光と教会との関係が回復されることです。 |





