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なぜキリスト教会に多くの教団・教派があるのか? 先日電話で教会のホームページとブログについて 問い合わせがありました。 その中で私たちの教会がどこの教団教派に属しているのか? とのご質問もありました。 その方の言われるには、教団教派を聞くとどういった流れの 中にある教会かが、ハッキリ分かるということです。 確かに、それはその通りだと思いました。私も教団教派で ある程度その教会に対してイメージ出来ると思います。 しかし、その質問に少し困りました。なぜかと言いますと 私たちの教会は、どこの教団教派にも属しておらず「新約の群れ・家の教会」 と言ってはいますが、教団ではありません。では教団・教派とは 何か?どうしてキリスト教会に多くの教団・教派があるのか? このことについて簡単に載せたいと思います。 キリスト教会の歴史の中で世界中のキリスト教会は、それぞれ 聖書に元々あった真理の回復を見て来ました。ルーテル派・改革派・ 長老派は、聖書の権威と信仰による義認、万人祭司を回復しました。 バプテスト派は全浸礼(全身を水の中に入れて洗礼をする)を回復 しました。メソジスト・ホーリネス派は、クリスチャン生活における 聖さの必要性を回復しました。ペンテコステ派は、聖霊による満たし 、証の力、癒しの教えを回復しました。細かく挙げると切りがない 程ですが、キリスト教会の歴史に神の御手の働きを見ることが出来ます。 これらのことから分かるのは、キリスト教会に教派があるのは、聖書の 真理の回復の過程からであったといえます。それぞれの教団・教派 によって聖書の強調点が違います。私たちの教会はどこの教団・教派にも 属していませんが、明日は、「新約の群れ・家の教会」どのような流れに あるかのルーツを見て行きたいと思います。 |
新しいぶどう酒は新しい皮袋へ
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先生と呼ばれることについて 「広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。 しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかな く、あなたがたはみな兄弟だからです。」 マタイ 23: 7〜8 [新改訳] 私たちの群では、牧師を「先生」と呼びません。 根拠は上記の御言葉にあるように、イエス様が直接、先生と呼ばれては いけませんと語られたからです。 また聖書の中で、イエス様の弟子達は先生と呼び合っていませんでした。 またある箇所では、パウロが先輩ペテロのことをケパと呼び捨てにしています。 だからと言ってペテロのことを軽くみているわけではなくそれが普通だったのです。 先生と言う呼びかたは、呼ぶ方よりも、呼ばれる方に明らかに変化を生じさせます。 私が救われ、最初に紹介されて行った教会は、とてもフレンドリーな教会でした。 数カ月し、故郷に引っ越して同じ教団の教会に行きました。 そこでは、もっとフレンドリーで友達のように接して下さる牧師がおり、感激した のを覚えています。ある日そんな牧師にある青年が、先生と呼ばないで「○○さん」 と呼び始めました。始めは牧師もニコニコして答えていましたがそのうちに 少し微妙な空気が流れ始めました。そしてついに牧師が声を荒らげて大声で 言いました。「先生と言いなさい。」その場にいた皆が一瞬で凍りつきました。 その時私は何かが違うような感じを受けました。 またある時は、教会で今まで兄弟と呼ばれていた方が任命式の後いきなり 「先生おめでとうございます。」と言われている姿を見て、とても違和感を覚えました。 その後、私に起きて来た願いが、聖書でイエス様が言われたとおりにしたいと言う ことでした。今私達が属している群では、「先生」と呼ばれていません。 この流れは、アメリカのテキサス州の小さな町ウェイコから始まりました。 神はグレン・ユーインという方を、使徒としておたてになり次に ロバート・ユーインを使徒としておたてになりました。そしてその弟子である 日本人のKさんという方に出会い「先生と呼ばない」群だったのです。 神は、この小さな者の願いも忘れずに聞いて下さったのです。ハレルヤ! 「先生と呼ばれない」と言うことは新しい皮袋のひとつですが、 そのスタートは、「聖書そのままの教会を求めて」でした。 みんなが神の家族で兄弟姉妹であって誰も「先生と呼ばれてはいけません。」 とイエス様が命じられたことは決して小さなことではないと感じています。 実は私自身以前は、十数年間「牧師先生」と牧師を呼び続けた者でした。 * この記事は特定の方を、批判するために書いたものではありません。私自身の 体験を分かりやすくするために、具体的にあったことを書かせてもらいました。 「このことについての クリスチャン新聞の記事」 |
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新約の群れ・家の教会 |
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牧師会
新約の群の牧師会が今日ありました。とても良いお交わりが出来ました。
少しこの流れをご紹介したいと思います。私達の流れは教団ではなく、組織化されてもいない。 家の教会には会員制度もない。ただひたすら、新約聖書通りの教会を目指している。 先生とは呼ばず、ロバート・ユーインさんに主が与えて下さった、セブン・キー・トゥルース(7つの鍵の真理)を学んでいる。 実は救われた頃こんな祈りをしたのを今でも覚えている。 「主よどうして今、教会は聖書通りでないのでしょうか?聖書通りの教会を見たいのです。」 主は聖書の型に従っていく教会をこの時代、回復しようと願っている。 この流れにいる事を主に感謝しています。 私自身は主が祈りに答えられたと感謝しています。 |
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教会の回復・・・日本の教会へのメッセージ・・・8 ロバート・ユーインさんに聞く [ 最終回 ] [ 恵みの雨1988年 11月 ] 日本のリバイバルにおいてもギデオンの時のように少ない器しか残されないかもしれません。それらの 人々に対して、彼らの奉仕の報酬のような形で群衆を与えるのです。このようなことが、主が何年か前に ある人に与えた夢なのです。その真の教会が真に建て上げられる鍵は、神の秩序に従って教会を建て上げ ることです。 私はあるとき、預言的な幻を見ました。その中では川が北海道から日本中を通っていってアジアに豊かに 注がれていました。10日くらい後にカリフォルニアにいたある兄弟が同じような幻を見ました。その場合 は光が北海道から日本を通り過ぎてアジアに広がっていったそうです。中国の西部に関する幻もあって、 そのあたりの川が枯れてしまうのですが、ところが再び川の水が満たされていくというものであって、そ の地におけるリバイバルを言っています。チベットに対する幻もあって、そこもやはり川の水が枯れてい る。ところが突然水が一気にわき出てそれがいろいろなところに飛び散っていくという幻で、これは2、3 年前に与えられたものです。 私たちも用いられていきます。私たちが主の主権をはっきりと認めるときに、教会の回復が我々を通して 起こり、その回復はさらに周囲へと広がっていきます。 |


