|
教会の回復・・・日本の教会へのメッセージ・・・1 ロバート・ユーインさんに聞く [ 恵みの雨 1988年11月号 インタビューに答える ] はじめに ロバート・ユーインさんは米国テキサス州ウエイコに住む。 1926年生まれの62歳であるが、今日も世界を駆け巡り、イエス・キリストの しもべとして奉仕を続けている。(2001年に天に召される) 彼とそのミッションの宣教活動は目ざましく、共産圏にも根をはっている。 ルーマニアの300以上の地下教会が彼のミッションの流れの中にあり、ブルガリア の約5000人と言われる地下の福音的クリスチャンのほとんどが彼のミッションの影 響下にある。ソ連・ハンガリー・東ドイツにも宣教の扉を開いている。共産圏以外で はスイス・オーストリア・イスラエルに独自の宣教を行ない、教会形成の働きをなし ている。 ロバートさんはケニアのマウマウ族の長老でもある。酋長をはじめ6家族を救いに導 いて、白人では恐らく初めての地位についた。ロバートさんたちの伝道方法は、その 時その場で主が示された方法を行なうというもので、常に不思議なしるしと奇跡が伴 っている。また、中南米ではグアテマラ最大の教会、メキシコ最大の教会を指導して いる。彼の宣教活動は伝道し弟子化していくにとどまらず、地方教会の形成を指導し、 なおかつその成長を監督していくというものである。 またロバートさんはアメリカのイエス革命の時代に『キャンパス・フェロシップ』誌 を発行して論陣を張ったことや、ゴスペルソング「大いなる主」の作曲者としても知 られている。 このインタビューは、ロバートさんが20年前から指導・監督するメキシコの「リト ル・フロック・チャーチ」(小さな群れ教会)のゲストハウスで、日本の『恵みの雨』 読者のために特別に時間を割いてなされた。 |
新しいぶどう酒は新しい皮袋へ
[ リスト | 詳細 ]
|
荒野に道を砂漠に川を 今年の3月で埼玉県東松山市に来て丸8年になりますが どうして埼玉県東松山市に来るようになったかを証したいと 思います。 『祈りの中で東松山市への導き』 はじまりは、2000年秋、大阪にある大阪グレースチャーチ集会後のことでした。 ノブさん(M牧師)とハルミさん(M牧師夫人)から、「お話しがあります。」 と言われました。その内容は、大阪グレースチャーチでともに働きをしていきま せんか?サポートもします、というものでした。 それまで、10年近く献身者として過ごしてきた者にとっては、とても嬉しかっ たのですが、大きな責任も感じ、このことのために真剣に祈らねば と思いました。 そこで、これからの歩みについて、深野緑地公園の近くで夜、幾日か祈りました。 そこでいただいた御言葉が2つありました。 「見よ。わたしは新しいことをする。今、もうそれが起ころうとしている。 あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を 設ける。」イザヤ43章13節と、イザヤ54章1〜17節です。 この2つの御言葉で、主が新しいところに導いてくださっているのを感じました。 そして、どこに導いて下さっているのですか?と祈って日本地図を見ていると、 関東のほうに重荷と導きを受けました。 さらに導きを求めていると、賛美が与えられました。 「あなたは、喜びをもち、やすらかに導かれ、山と丘は喜び歌い、野にある木が手 を打つ。」イザヤ55章12節にあるこの賛美を歌いながら、目に飛び込んできたのが、 東松山市でした。 名前の中に松と山という文字があり、この地域は近くに100メートル位の山々や、 また丘がある地域でした。ここは主が導いて下さったと確信しました。 『貯金もなく、信仰によって踏み出し…』 実はこのとき貯金はありませんでした。 ですから、引っ越しする約半年前の間にできる限り貯めようとしましたが、別に必要 があり、貯まりませんでした。 引っ越しの1ヶ月前、お金の無いまま、家を探しに行きました。東松山の不動産会社 で、「お金はありますか?」と聞かれ、天のお父さんは、あふれる富を持っておられるの で、「はい。」と答えました。次に、「仕事は決まっていますか?」と聞かれ、「いいえ。」と 答えました。それで、東松山で、教会を始めようとしていると言いました。そこの社長さんは、「そんな人に誰も貸してくれませんよ。」と言いましたが、 「でも、1人だけあなたみたいな人に貸す人がいます。」と言い、別の不動産会社を紹介して下さいました。そこでも同じことを言いました。 そうしたら、大家さんと交渉してくださり、OKが出ました。 『主は備えて下さる方』 家の必要、引っ越し費用、当座の生活費などが全て与えられました。 兄弟姉妹の愛と、主は アドナイ・イルエ (備えて下さるお方)であることを体験 しました。主の御名をほめたたえます。シャローム |
|
新しい礼拝のスタイル 昨日は礼拝でのメッセージの準備の祈りをしている時 御言葉が与えられなかった。こういう時は無理やり聖書の話しを しても油注ぎがないので、導きを求めた。 そして分かち合いにすることになった。最初お茶を飲みながら お交わりをし、(近況報告、雑談、最近思っていること等)、聖餐式、子供の賛美、 プレイズ&ワーシップでの賛美の時を持った。その後いつもはメッセージだが 今回は、最近主から教えられた事などを自由に話し合う時をもった。 とても素晴らしい時だった。牧者であってもひとりの兄弟であることには 違いはない。そういう意味で、他の兄弟姉妹を通して主から学ぶという事はとても大切 だと思う。私たちの集まりは「○○先生」とは呼ばないが、ひとりがいつも 教えると、事実上先生になってしまう危険性大である。そういう意味でも 分かち合いで兄弟姉妹に、主が働かれていることを聞くのは嬉しい。 ひとつだけお分ちしたい。それはK兄の周りで最近おこったことだった。 K兄のおじさんが病院に入院していると聞き、余りお付き合いがなかったので、 お見舞いに行こうか、どうしようか迷ったそうだ。そうこうしている内に、 おじさんが亡くなったことを聞いて福音を伝えれば良かったと、主の前で後悔し祈った というのです。高校1年の娘は、その夜その話が耳から離れないと言った。 私が聞き返すと、最近イエス様のことを伝えたいと思っている友達に対して、 その思いが強くなったようだった。主に感謝! |
|
教会成長・・・5 バビロンのスピリット キリスト教会に悪いパン種として度々やって来るのがこのバビロンの スピリットである。このスピリットの由来は、創世記11章1節〜9節に出てくる バベル(バビロン)の町である。 バベルの意味は混乱である。敵の攻撃を受けキリスト教会は、度々混乱して来た。 混乱した原因は、一致した野望にある。一つ心となって名を上げようとしたのである。 私が以前お仕えしていた教会は二十数年前までは教会成長で名をはせていた。福音番組に出演し、クリスチャン新聞に載り、恵みの雨という雑誌に連載し、本にも載り、出版もした。多くの牧師、リーダー達がその教会を訪れた。ある牧師はその教会でこうつぶやいたそうだ「負けた〜。」 その教会にどんどん人を集めた。その教会で年に一度聖会があり多い時は3000人が集まった。これは超教派の集まりではない。一つのグループの出来事である。20年余りの内に急激に成長した教会だった。 最も教会に勢いのあったある日、アメリカから預言者達が来て按手聖会がもたれた。そこでこう語られた。「これからあなたは長〜く暗いトンネルの中を通ります。しかしやがてそのトンネルも終わりが来ます。行く手に光が見えて来ます。」というような内容だった。2人の預言者がほぼ同じ内容の事を語った。この預言は間もなく実現し始めた。 長く暗い孤独の中を通り、人々から非難中傷を受け、ある兄弟からは「働いたらどうですか?世の中で働いて下さい。給料貰い過ぎでは?」などと言われたりした。落胆と憎しみが交差する日々。新聞の求人広告を見るようになった。(実際6カ月程市場で働かれた。)牧師をやめようかと何度も思ったそうだ。その牧師が主任の座を降りて悔い改め、私たちにこう語り始めた。「私は教会成長の旗のもと良かれと思ってやって来ましたが、それは私の野心でした。名誉欲でした。」と皆の前で認めました。それから少しずつ変わられました。以前は近寄り難い雰囲気でしたが、今では近寄りやすくなっておられ、久しぶりに会う人はビックリされるそうです。この方は一か所に人々を集めるのに夢中になった人です。しかし神には不可能は有りません。人を創り変えて下さいます。時間をかけても取り扱い成長させて下さるのです。 バビロンのスピリットそれは私自身の肉にある心の態度です。それを発見したら悔い改め主に立ち返りたいと心から願います。教会成長それは私たち一人ひとりの成長だと思います。そして誰よりも私たち子供の成長を願っているのは父親である神ご自身です。 「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」新改訳 ピリピ1:6 *[ 今回で教会成長は終わり次回から、教会の回復を始めようと思っています。]* |
|
教会成長・・・4 ウェイコの教会が成長にともなって大勢の人々が集まる場所を必要としていました。 そこでグレン・ユーイングはアメリカではもっともポピュラーな成長した教会が持つ ような会堂を思い描いて、祈り主の導きを求めました。 すると主はこう答えました。「ガリラヤ湖は大きくなるだろうか?川からガリラヤ湖 に流れそれをまた川に流している。私の教会もそうあって欲しい。」そこでグレンは、 思いが変えられウェイコの流れが決定した瞬間だった。それから古いキャンプ場を購入 した。そこを訪ねた牧師たちは空港から、そこに行き着くまで何か所も巨大な看板の教会 案内を見てあ!これか!と何度も思い、その都度違っていた。結局目的地のウェイコの 教会は古いキャンプ場の跡地だったという。 ウェイコの教会はあまり有名でないのはなぜでしょう、と質問した人がいた。質問され た牧師はこう答えた「それは立派な建物がなかったのが一つの原因でしょう。もう一つは どんどん流し出したので、教会自体の人数も巨大には、ならなかったからだと言えます。」 まさに主の与えて下さった御声に従った結果だと思う。私はここに、これからの教会の目指 す姿があるのではないかと考えている。これぞ教会成長だと思っている。 |


