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教会成長・・・3 多くの人々がウェイコで新しいビジョンを受け取り、主に仕えるために出て行きました。現代の教会が遣わすようにではなく、信仰と召命以外は何も持たずに出て行ったのです。神がすべてを備えて下さり、働きのために扉を開いてくださると信じていました。世界中に出て行き、教会を開拓し夢に見ていたことを実際に行い始めたのです。その後、数年間のうちに何百もの教会が設立されました。小さい教会ばかりでしたが、新約聖書の型に従う教会でした。互いにつながりを結ぶことは教団の始まりであり、新約聖書の型に反すると考えていたので、ひとつひとつの教会は独立して働きを進めていました。ときどき、ウェイコかバージニア州にあるニュー・カビナント教会に集まり神が世界で働かれている様子を聞くために聖会を開きました。神の御霊がロシアにおいても扉を開き、力強く働かれていることを聞き、インドやメキシコで奇跡的ないやしは起こり、大勢の人々がキリストに立ち帰っていることを耳にしました。現在ではこのウェイコを源流とする働きがアメリカ合衆国と世界のあちらこちらに散在しています。日本にも3つの流れで入って来ました。 |
新しいぶどう酒は新しい皮袋へ
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教会成長・・・2 新約の群・家の教会のルーツは、アメリカ、テキサス州ウェイコに現わされた長老派グレン・ユーインがエペソ人の手紙4章に書いてあることは今でも有効であると信じ、ひたすら聖霊の現われを求め、新約聖書の教会の模範に従うなら必ず同じ結果を見ることが出来ると教え続けました。しかしその教えを受け入れられない人々は教会を去り、ついに6人だけになってしまいました。それでも彼は諦めませんでした。 1946年神の栄光の訪れから始まった。異言を語り、幻を見、預言を受けたのです。奇跡が起こり始め、新しい人々が教会に集まって来ました。多くは伝統的な教団に属し何らかの理由で現状に不満を覚えた人たちであった。彼らは飢え渇いた人達であった。ある人は突然夜中に起こされ、テキサス州の小さな町に行き求めているものを受け取りなさいと示され、聖霊の強い促しに従ってやって来た人々もいました。グレン・ユーインはいつも「聖い歩みをしなさい。そして新約聖書の模範に従うのです。そうすれば新約聖書に記されている結果を体験できるでしょう。」と語りました。 [使徒的教会の到来/マルコーシュ/P74〜75抜粋] 下のテキストにクリックお願いします。 ↓ ↓ ↓ |
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教会成長・・・1 教会成長。救われた頃の私は考えもしなかったテーマであった。 それから6年ほどたった後日本で教会成長した教授陣、講師陣を集めた 神学校に入った。教授になる資格が、信徒 200人以上の教会の牧師及び 牧会経験の有る方というものだった。当然教授になる人は限られている。 キリスト教関係の本や雑誌、新聞等のメディアに名の知られている方々 ばかりであった。神に用いられている器であったので、その証は興味深い ものばかりで、とても恵まれ毎日がまるで聖会のようであった。 しかしそんな素晴らしい所で学んだ後、暫くして教会成長に疑問を持つように なった。本当に神は教会成長を望んでおられるのだろうか?この答は聖書の あらゆるところから御心だと理解出来る。だがそのプロセスにおいて、また形態 において、御言葉の適用において等々、次々に疑問がわいた。時には聖書を調べ 時には主に求め、時には牧師に質問し、時には本を読みあさった。いったい 神の求める教会とは、何だろうと何時も思うようになった。 そして今この新約の群・家の教会というところに辿りついた。新しい皮袋 だが、聖書そのままの真理の回復を願っている群れである。組織化されてないので メンバーシップ制度はない。またイベントの連続、奉仕の連続で疲れ果てていた 過去を反省し、極力イベントは少なくし第一の事を第一に出来る環境作りも心掛 けて行きたい。また教えにおいては、神の御言葉は調和がとれていて矛盾しないと 言うことを学んでいる。主に心から感謝している。 |
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イエス革命 かつて1960年代の後半頃からアメリカのカルフォルニアの沿岸でイエス革命と呼ばれたリバイバルがあった。正確にいうと今も続いている。ヒッピー達が大勢救われてきた。かなり聖書(初代教会)に近い働きである。聖書をストレートに教え、聖霊の働きが顕著にある。教派主義に走らず、教会成長している。 特徴はそれだけではない。献金は箱を置いているだけで集めない。開拓する兄弟がいる時は、祈って主の促しを感じる人は誰でも、何人でも開拓に参加して良いという。 また、初期のメンバーは、ヒッピーが多かったので学歴のない人たちも多かった。そんな彼らを主は喜んで用いて下さった。 *参考(収穫の時代/チャック・スミス/プリズム社) 今の日本にもこのイエス革命のような教会の伝統の壁を乗り越え、聖書に回帰する働きが主によって起こされ始めているのではないだろうか。 |
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家の教会 |



