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暗やみから光を創造される神 31:1 「その時、――主の御告げ。――わたしはイスラエル のすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。」 31:2 主はこう仰せられる。「剣を免れて生き残った民は荒野 で恵みを得た。イスラエルよ。出て行って休みを得よ。」 31:3 主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、 わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、 誠実を尽くし続けた。 31:4 おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、 あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、 喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。 31:5 再びあなたはサマリヤの山々にぶどう畑を作り、 植える者たちは植えて、その実を食べることができる。 31:6 エフライムの山では見張る者たちが、『さあ、シオン に上って、私たちの神、主のもとに行こう。』と呼ばわる 日が来るからだ。」 エレミヤ31:2〜6 [新改訳] ここ暫く、教会の不祥事や疑惑が多く報告され ていますが、主が働かれる前は、いっそう暗やみの 支配が続くように思われることがあります。 天地創造の時もそうでした。やみが大いなる水の上に ありましたが、すぐに創造主なる神の創造の業がなされました。 日本も今、色々な分野で揺さぶられています。 それは、やみが大いなる水の上にあった時に似ています。 主が、創造の時に「光よ。あれ。」と創造されたように 主が、この日本を顧みて下さり「光よ。あれ。」と言って 霊的世界の再創造して下さると信じます。ハレルヤ! 1:1 初めに、神が天と地を創造した。 1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる 水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。 1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。 すると光ができた。 創世記1:1〜3 [新改訳] |
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聖書が示す人間関係の回復 「6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、 主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、 天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」 聖書 エペソ6:12 [新改訳]
この聖書の箇所から恵みを頂いたのでお分かちします。
この世の中でもっとも私達が格闘するのは、人間関係ではないでしょうか?夫婦、親子、兄弟、師弟、ご近所、学校、職場 、趣味の集まり、等々私たちは生きていく上で人間関係を持たずに 生きて行くことは出来ません。ある調査では職場で退職の原因の トップは、人間関係だということです。 聖書でイエス様はこう言われています。 「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって 平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみが ある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。 ヨハネの福音書16:33 [口語訳] そこでこの聖書の箇所が視点を変えてくれます。 「私たちの格闘は血肉に対するものではなく」と書いています。 私たちのこの世での格闘さまざまな戦いは、血肉(人間)に対する ものではないことを明らかにしてくれています。 勿論人間の中には罪があるので、それぞれの問題でおのおの悔い改め が必要です。しかし私たちの思いが人に向いている時には、創造的な信仰が 働きません。 その思いを変えて、私たちの戦いの相手が人ではなく、悪魔とその手下の悪霊 たちであるという聖書の視点に立つ時に解放の入口に立っています。 すなわち、敵ではない人を問題にすることを止め、悔い改めて、かえって 人を祝福し、祈ることを主が望んでおられます。 その時私たちの内側に解放がやって来ます。 6:27 しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう 言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を 行ないなさい。 6:28 あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者 のために祈りなさい。 6:29 あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。 上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。 6:30 すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り 戻してはいけません。 6:31 自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。 6:32 自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良い ところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。 6:33 自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、 あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じ ことをしています。 6:34 返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、 あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り 返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。 6:35 ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、 返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなた がたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の 子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人 にも、あわれみ深いからです。 6:36 あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、 あわれみ深くしなさい。 6:37 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。 人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められ ません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。 6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は 量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、 ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量 りで、自分も量り返してもらうからです。」 |
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聖書・・・マタイの福音書1章23節 1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。) マタイ1:23[ 新改訳 ] それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。 そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。 イザヤ 7: 14 [新改訳] 主は、罪で汚れた人のところに喜んで来られました。それは人の罪を解決するためでした。 その罪を解決するために、今も信じる私達とともにいて、日々助けて下さいます。 罪を解決するために、主は「いつもともにいます。」という約束をして下さいました。 約束の通りに、主イエスは世の終わりまで私たちとともにいて下さいます。 罪を解決する方法も大切ですがそれ以上に必要なのは 罪を解決するお方の存在です。イエス・キリストがともにおられる。 これ以上に平安が与えられ、力づけられる言葉はありません。 見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイ 28: 20 [新改訳] |
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聖書・・・マタイの福音書1章18節〜22節 1:18 「イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフ の妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって 身重になったことがわかった。 1:19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、 内密に去らせようと決めた。 1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。 「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っ ているものは聖霊によるのです。 1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、 ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」 1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就する ためであった。」 新改訳 マタイ1:18〜22 イエス・キリストの誕生は聖霊によってが、始まりでした。イエス・キリストの福音 を聞いて信じる私達の誕生も聖霊によると書いてあります。 始めは、正しい人であった夫のヨセフでさえその事に気付きませんでした。 イエス・キリストは、生まれながらの人間自身の力では知る事が出来ない事を示しています。 イエス・キリストに在って新しく生まれる人たちの特徴をここから知る事が出来ます。 キリストを信じていない人が、私達クリスチャンの事を真の意味で理解出来ない のは当然であると、ここから知る事が出来ます。 しかし人には出来ない事も、神には出来ます。聖霊の働きを主に期待して行きましょう。 主は預言された事をことごとく成就する為に行動されていました。 ここでキリストが来られた最も重要な目的が書かれています。それは ご自分の民をその罪から救う方として来られたという事です。 これは1度救い主として受け入れただけに留まりません。 それ以降も日々キリストのように変えられていく過程において、 日々犯してしまう自分の罪を認め悔い改める必要があります。そこで 主イエスは、今でも私達を日々罪から救って下さるのです。 ですから悔い改めた罪は全て罪責感に縛りつけられる事はありません。 すでにそこから解放されている、というのが霊的な真理です。 8:1 「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定めら れることは決してありません。 8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、 罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」 新改訳 ローマ8:1〜2 |
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聖書・・・マタイの福音書1章1節〜17節 1:1 「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。 1:2 アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、 1:3 ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、パレスにエスロンが生まれ、エスロンにアラムが生まれ、 1:4 アラムにアミナダブが生まれ、アミナダブにナアソンが生まれ、ナアソンにサルモンが生まれ、 1:5 サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが 生まれ、オベデにエッサイが生まれ、 1:6 エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、 1:7 ソロモンにレハベアムが生まれ、レハベアムにアビヤが生まれ、アビヤにアサが生まれ、 1:8 アサにヨサパテが生まれ、ヨサパテにヨラムが生まれ、ヨラムにウジヤが生まれ、 1:9 ウジヤにヨタムが生まれ、ヨタムにアハズが生まれ、アハズにヒゼキヤが生まれ、 1:10 ヒゼキヤにマナセが生まれ、マナセにアモンが生まれ、アモンにヨシヤが生まれ、 1:11 ヨシヤに、バビロン移住のころエコニヤとその兄弟たちが生まれた。 1:12 バビロン移住の後、エコニヤにサラテルが生まれ、サラテルにゾロバベルが生まれ、 1:13 ゾロバベルにアビウデが生まれ、アビウデにエリヤキムが生まれ、エリヤキムにアゾルが生まれ、 1:14 アゾルにサドクが生まれ、サドクにアキムが生まれ、アキムにエリウデが生まれ、 1:15 エリウデにエレアザルが生まれ、エレアザルにマタンが生まれ、マタンにヤコブが生まれ、 1:16 ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。 1:17 それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。」 新改訳 マタイの福音書1:1〜14 マタイの福音書から与えられた恵みを、ほんの少しおすそわけしたいと思います。 ここには沢山の恵みが溢れています。その1つは、救い主の系図に一見ふさわしくないと思われる人々が登場している事です。 人の目には、どんな大きな罪であっても、小さな罪であってもこの系図に入れられた事は主のご計画であり、恵みと憐みの結果であるという事を示しています。 そして恵みによって救われた私達も目に見えない系図がキリスト以降今も続いており、キリストの福音を信じた私達もただ主のご計画と恵み、憐れみによりその系図の中に入れられているのです。 ハレルヤ! |



