キリストと共に歩くのはとても楽しい

キリストと日々歩む楽しさをお分かちします。

ディボーション

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ディボーション・・・詩篇68:11〜23 

重荷をになって下さる主

神様の一言で敵は逃げ惑います。
いかに神様の前で敵が無力であるかが示されているのです。

19節「ほむべきかな。日々、私たちのために重荷をに
なわれる主。私たちの救いであられる神。セラ」

主は、日々私の重荷をになって下さいます。
私たちの救いであられる神です。
この事を思うだけでも心がすっかり軽くなります。
日々の私たちの重荷がいかに私たちの心を重くしているかがよく分かります。

日々の重荷はある。自分の重荷、家族の重荷、地域の重荷
仕事とそれに関わる重荷です。
仕事は毎日しなければならない重荷です。
教会。教会の兄弟姉妹に対する重荷がある。
これらの重荷を主に全てお委ねしよう。
主が荷ってくださるのだから。
    ハレルヤ!

11:28 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
                   [ 新改訳 ]マタイの福音書11:28〜30


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ディボーション・・・ホセア書4:1〜6

知識がないと滅ぼされる 4:6

4:1 「イスラエル人よ。主のことばを聞け。主はこの地に住む者と言い争われる。この地には真実がな
  く、誠実がなく、神を知ることもないからだ。
4:2 ただ、のろいと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。
4:3 それゆえ、この地は喪に服し、ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さ  えも絶え果てる。
4:4 だれもとがめてはならない。だれも責めてはならない。しかし祭司よ。わたしはあなたをなじる。
4:5 あなたは昼つまずき、預言者もまた、あなたとともに夜つまずく。わたしはあなたの母を滅ぼす。
4:6 わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わ  たしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよ    う。」


1〜3節 神を知ることのない地、罪に満ちた地、そこに主のさばきが下される。

4〜6節
罪の中にある人々をとがめたり責めたりするのではなく
祭司、預言者がなじられつまずく。

知識がないために滅ぼされる民 知識を退けたので、その退けた人が主
から退けられた。それは、知識は神の教え、御言葉の知識、主を知ること、

聖書を知ること、この知識を退けるということは、主ご自身を知らないとい
う事に等しいのである。だから神の教えを忘れたので、あなたの子を忘れよう
と言われる。

<ここから教えられた事>

この地、この世、全世界、全アジア、全日本は、罪に満ちている。
その為クリスチャンは祭司の働きを求められている。

それはまず御言葉を読み、御言葉に聞く(聴く)という事である。
それは自分主体の聖書の読み方から、御言葉主体の聖書の読み方への転換です。


何よりも先ず、私達自身が主ご自身に信頼し留まる事に尽きるのです。私達が主に留
時に主ご自身がいのちの泉となり私達の内からいのちを湧き出させて下さる。そして主
栄光をお受けになるのです。


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聖書が示す幸せの条件・・・詩篇1篇1〜3節


「1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」

この世の幸福の考え方と、聖書の考え方とは違う。
聖書は罪から遠ざかりその関係を断つ人が、まず幸せだと言っている。

この幸いな人とは、イエスの事である。そしてイエスを信じて彼を内側にお迎えした人の事である。その人は主の教えを喜びとするのである。それはイエスのいのちが働きだすからです。イエスを信じ内側にお

迎えした人とそうでない人と何が違うのか?
いのちが違う。イエスが私達の内側に来られ全く新しくなっている。新しい歩みが始まったのである。も

しその真理の上に心安らかに歩み始めるなら、信仰がキリストと共に働き始め全く違う歩みが始まる。実を結ぶ歩みである。それは人間的な成功を遥かに超えた神の御心を歩む道である。世の基準ではなく聖書にある神の基準で歩いて行きたいと心からそう願います。


「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」 ローマ  6: 4 [新改訳]


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列王記 第二 1章9節〜14節

1:9 そこで、アハズヤは五十人隊の長を、その部下五十人とともにエリヤのところに遣わした。彼がエリヤのところに上って行くと、そのとき、エリヤは山の頂にすわっていた。彼はエリヤに、「神の人よ。王のお告げです。降りて来てください。」と言った。

1:10 エリヤはその五十人隊の長に答えて言った。「もし、私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたと、あなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から火が下って来て、彼と、その部下五十人を焼き尽くした。

1:11 王はまた、もうひとりの五十人隊の長を、その部下五十人とともにエリヤのところに遣わした。彼はエリヤに答えて言った。「神の人よ。王がこう申しております。急いで降りて来てください。」

1:12 エリヤは彼らに答えて言った。「もし、私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたと、あなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から神の火が下って来て、彼と、その部下五十人を焼き尽くした。

1:13 王はまた、第三の五十人隊の長と、その部下五十人を遣わした。この三人目の五十人隊の長は上って行き、エリヤの前にひざまずき、懇願して言った。「神の人よ。どうか私のいのちと、このあなたのしもべ五十人のいのちとをお助けください。

1:14 ご承知のように、天から火が下って来て、先のふたりの五十人隊の長と、彼らの部下五十人ずつとを、焼き尽くしてしまいました。今、私のいのちはお助けください。」

ディボーションの箇所を読みながら、過去の出来事を思い出しました。
キリストを信じて3年程たった頃の事です。当時22歳だったと思います。鹿児島でクリスチャンが経営する客席数86席のファミリーレストランに、勤め始めた頃です。それまで私は畑違いの仕事の経験しか

なく、飲食店は初めてでした。そこで私と同じ年齢のUさんという人がいました。彼は調理学校を卒業し、某有名チェーンのファミリーレストランで3年程修行をしてから、私とほぼ同期でそのレストランに入って来たのでした。

彼は事あるごとに、私を見下して言いました。「ジョンは何の経験もない。調理学校に行っていないし、実践の経験もない。フライパンひとつ、まともに振れない彼はいったい何!?」
言われる度にじっと耐えていました。数ヵ月我慢しましたが、とうとう限界が来ました。仕事が終わり夜

11時30分頃、自転車で家に帰る途中あまり頭に来て爆発しそうでした。その日も散々言われたのです。怒りが頂点です。ムシャクシャした気持ちを少しでも抑えようと、普段はあまり口にしない缶コーヒーを飲みました。しかし怒りはいっこうに治まりません。橋の欄干に、おもいっきり縦方向に、飲み干し

た缶をぶつけました。手が痛くてたまりません。怒りと痛みの中で主に言いました。
「主よ日頃の彼の言動はどうでしょうか?あんまりではないでしょうか?私はあなたの子ですよ。今彼に天から火を下して彼を滅ぼして下さい。」そう思わず祈っていました。それは祈りではなく、もう呪で

す。そうすると静かで優しく細い主の声が聞こえました。
「私はあなたの為に十字架にかかって死んだ。それと同じように、私は彼の為にも十字架にかかって死んだ。私はあなたを愛している。私は彼も愛している。私と一緒に彼を愛して欲しい。」

ナント人の思いと神の思いは違う事でしょう。神の愛に圧倒されその波に押し流されました。私の氷のような冷え切った心は、温かい主の愛で溶かされてしまいました。


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ディボーション  イザヤ書34章16節


今日はディボーションをして思わされた事をお分ちしたいと思います。

「主の書物を調べて読め。これらのもののうちどれも失われていない。
それぞれ自分の連れ合いを欠くものはいない。それは、主の口がこれを
命じ、主の御霊が、これらを集めたからである。」                

イザヤ 34:16  [ 新改訳 ]

主の書物、聖書の教えは必ず同じ様な御言葉が複数存在します。
神は愛である。神は義であるなどの神の属性(ご性質)から、教理に至るまで重要な
真理には必ず連れ合いがある筈です。

文脈を無視してひとつの御言葉で、教理をつくりあげる事は出来ません。
それは非常に危険な事です。聖書がさほど強調していな事を強調してしまう事も
危うさを覚えます。

「それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢
い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、」

エペソ 4:14 [ 新改訳 ]

ここでは異端の事ではなく正統とされているキリスト教会での事です。具体的な
言及は避けたいと思いますが、キリスト教会はここ何十年かの間に沢山の教えが
出て来ましたが、ハッキリ言えることは聖書のテーマがキリストなので、テーマ
からいつの間にかそれて、自分の事にいつも焦点が合うような教えは、危険性大でしょう。


「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。
その聖書が、わたしについて証言しているのです。」 ヨハネ  5: 39 [ 新改訳 ]


これからも様々な教えが出てくると思いますが、キリストから目を離さないで行
きたいと願ってやみません。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせず
に十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。                             
ヘブル  12: 2 [新改訳 ]


(*個人的に神様から与えられる御言葉は、これらに該当しません。)


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