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ディボーション

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詩篇126篇1〜6節、ディボーション

主はシオンの捕らわれ人を(帰還、復興)帰される時、すなわち教会の人々をリバイバルする時、私達は夢を見ている者のようであった。
その時の喜びは、ただ嬉しいとか、ニコニコしているとか、言うのではない。口が笑い満たされ、舌は喜びの叫びで満たされた。ただ単なる一時的な喜びや笑いではなく、満たされた、というのである。主は私達のためにこのように大いなることをされる。


さあ、主に期待しよう。主を待ち望もう。
今から後、かつてなく、今まで聞きもせず、これからも無いほどの大雨がこの地に訪れるからだ。それは、主が選ばれるキリスト教会から始まる。大いなる収穫の時を、私達はこの終わりの時に迎えようとしている。

<祈り>
ハレルヤ!主よ期待します。ただ、あなたに期待します。あなたの御力が現され、御心がなされ、御国の訪れを見ることが出来るように、私達を導いて下さい。あなたが遣わすところにどこにでも、喜びながら行けるように、助け導いて下さい。


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神は愛なり ケータイ投稿記事

神は愛なり。この聖書の言葉で何度助けられたか分からない。私がイエス・キリストを、信じたきっかけもこの聖書の言葉だった。この言葉に神の愛が凝縮されている。
john

詩篇23篇3節

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    詩篇23篇3節 「 主は私を義の道に導かれる。」

 主は、私達を常に正しい道に導かれるお方である。しかし、私達が

正しい道に導かれる前に魂が生き返る必要がある。まず魂を生き返らせ

それから義の道に導かれる。2節では緑の牧場に伏させ、いこいの

水のほとりに導かれるとある。主が羊飼いとしてまず最初にされることは

私達に十分な休息と、必要な飲み物、食物などの実際的な必要も与えて下さる

ということである。主の導きを得ると、まずそこで私達は休む事が出来る。

いや、主は私達に休んで欲しいのである。創世記2章2節、神は7日目に全てのわざ

を終えて休まれた。

 義の道は、私達の生来の力で歩める道ではない。到底人間の力で達成不可能な

道なのである。それはキリストしか歩めない道。だから私達の内に主が信じた時

来られたのである。私達は、ただただこのお方に信頼して、安心してお任せすれば

良いのである。「創世記2章2節、神は全てのわざを完成されたこの完成された

わざの中に私達のこれからの歩みも含まれている。これぞ、驚くばかりのキリストの恵み!!

 

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            父なる神の親心 創世記26章12節〜22節

 神の御言葉によりゲラルの地に留まったイサクだったが、自分の弱さの故にうそをついた。

アビメレク王に問い詰められ、言い訳し謝罪なし?しかし、私がイサクでも似たような結果

だったと思う。きっとその後イサクはガッカリしたのではないだろうか?彼には励ましが必要

だったと思う。12節にこの地の種を蒔き100倍の収穫を見た。羊の群れや、牛の群れ、

多くのしもべたちを持った。この事がどんなに励ましになったことだろうか。

                神の目的

 しかし、この祝福は神の最終の目的はない。これらのあふれるばかりの祝福の後の試み。

それを乗り越える時に与えられる成長こそ、神の最終の目的の一つであった。

 祝福の後、ねたみの為にペリシテ人に井戸の穴を土で埋められる。アビメレク王からは

この地から出て行くように言われる。新しく住んだ所では井戸の為に度々争いが起こる。

三度目の井戸でやっと争わずにすむ、自分たちの落ち着き先を見つけた。

 当時の井戸は今の時代で考えると、水道が止まったどころではなかったと思う。

ライフライン全てが使えないのと同じではないだろうか?井戸がないのは即、死活問題

ではなかっただろうか?しかもこんなに度々試練が続くとイサクのリーダーシップにまで

疑問を持ち始め士気が下がることも考えられる。

                試練の目的

 これらの事は、イサクにとって大変な試練だった。この試練に耐えられるように、あらかじめ

祝福が与えられていた。そしてこの試練を通過したあと、彼は神の意図どうり成長していた。

26節で初めてイサクは祭壇を築いた。そこで主の御名によって祈った。

神に自分の心を向けたのだった。これこそ神の願いであった。

私たちの人生にも主は成長を願い、介入して下さっている。私たちの心が主に向けられるようにと。

 

主の見えない御手

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               主の見えない御手

 今日のディボーションは、創世記26:6〜11です。

創世記26章に入って国に飢饉があった。その時に主が現れてイサクに3節で

あなたはこの国に留まりなさいと語られました。そして、アブラハムのゆえに

祝福を約束されました。

 主の御言葉を信じてゲラル地に留まったイサクでしたがこの地で大失態を犯しました。

妻のリベカが美しいゆえに、この土地の人々が自分を殺すのではないかと思ったのであった。

しかし、アビメレク王がイサクがリベカに愛撫しているのを見て二人が夫婦だと気づいた。

ここに、「見えざる主の御手を見る」直接神は語り掛けていないが、イサクの失敗を助けて下

さっている。罪が小さいうちに助けられたのである。

 なんと、明確な悔い改めも載っていないが12節ではイサクはこの地に種を蒔きその年に

100倍の収穫を見た。主が彼を祝福したのがその理由である。

 イサクのしたことは主の言葉をただ信じてその地の留まっただけであった。彼は見えない

主の御手に助けられ、主の恵みと憐れみの中で、主の祝福の目撃者となったのである。

                                 主は素晴らしい!

 


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