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イエス・キリストは、私たちを愛している。 イエス・キリストは、私たち(全ての人間)を愛しています。 この事を、聞くとある人は、宗教かと思うかもしれません。 私も、最初そう思いました。しかし、聖書では、イエス・キリストは、 今も生きておられ、信じる者の内に確かに実在されるお方なのです。 そして、多くの人の人生を変えてこられました。聖書に出てくる沢山の 人物を始め、歴史に登場した人々等その人たちの名前を挙げるときりがないぐらいです。 「イエス・キリストこの名の他に救いはない。」と新約聖書の使徒行伝4章12節に書いてあり ます。 この方を信じるなら、確実に私たちの人生はこのお方によって変えられます。 なぜなら、この方こそ唯一真の神だからです。この方は、聖書によると、私たちを 愛しているとはっきり記されています。その愛は、言葉だけではなく、「イエス・キリスト が十字架で私たち全ての人間の罪の為に死なれ、死んで葬られ、三日目に復活しました。」 ここに神の愛があらわされ、聖書の預言が実現したのです。 この事は、人間が考え出した事ではありません。聖書を読むとその事が分かります。 私たちの犯してきた罪が重くても、軽くても関係有りません。聖書が語る罪は、私たちを、 造られた、唯一の神であり、お父さんである方から背を向けて歩くことです。ですから、全ての人は 罪びとであり、このお方からの罪からの救いを必要としています。 参照 聖書ローマ人への手紙3章23節 救いの道 イエス・キリストは言われました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。 わたしを通してでなければ、父(創造主なる神)のみもとに来ることはありません。」聖書ヨハネによる 福音書14章6節 多くの道の一つではなく、唯一の道なのです。 救いの方法 「主の御名を呼び求めるものは、みな救われる。」 聖書 使徒行伝2章21節 「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリスト名によって バプテスマを受けなさい。」 聖書 使徒行伝2章38節 悔い改めるとは、自分が罪人であることを認め180度方向転換することである。そして、イエスを主であり救い主である事を信じる事です。 祈ってみましょう この方イエス・キリストは、生きておられるのでこの方に向かって、話してみましょう。 キリストを受け入れる祈り 主イエス様、私はあなたを必要としています。あなたが、私の罪を背負って十字架で死んで下さったことを感謝します。今あなたを私の罪からの救い主、神として心にお迎えします。 私の全ての罪を赦し永遠のいのちを与えてくださりありがとうございます。 私の心の王座で、私の人生を導き、あなたの光の道を歩ませてください。私をあなたが望んでおられるような者に変えてください。 アーメン |
メッセージ
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この間の日曜日は、昨年から続いている黙示録の講解メッセージの最後22章の二回目でした。今回も、たっぷり1時39分間でした。いつもだいたい2時間平均ですから今回は、短い方でした。いずれにしても素晴らしいみ言葉の時で、あっという間でした。今回も私にとってタイムリーなみ言葉でした。
最初に、Kさんはこう言われました。聖書の中で最初の2章と最後の2章は、罪が書かれていない。神が直接支配しておられる。そして黙示録22章は神の栄光が満ちている。
「22:17 御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。」
また、最後の方で17節では次のように語られました。
黙示録 22章 17節
このみ言葉は、聞くものは、来たりませとい言いなさいと、命じられています。準備の出来た人は、とは言っていません。素直に「主よ来て下さい。」と言いたいと、心から思いました。
「主よ来て下さい。」 |
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神の救いの御計画
世界のキリスト教会の中の2つの潮流があります。
アルミニアニズムとカルヴィニズムの2つです。
アルミニウス主義は、人の行い、意思を強調します。救いを失う可能性に言及します。
カルバン主義は、神主権と選びにより、恵みによる救いが与えらたら救いを失わない。と言う立場です。 2:8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 2:9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。 口語訳 エペソ 2:8 ~ 9
現代のキリスト教会は、色々です。以前私が所属していた教会は、そのグループでは有名で人数も大勢いました。
しかし、救いの確信が無いのです。(ご本人から直接聞きました。) 何故?何百人も導いているのに、どうして?メッセージをする方は、いわゆる世の中で言うカリスマ的な方で、花もあり魅力のある方てす。
またある有名な大教会牧師は、私は救われているのか?本当に天国に行けるか分からないと心の内を親しい牧師に吐露したそうです。
そして、私たちの根幹を揺るがしかねない重大な問題です。以前は尊敬していた方々だったのでとても残念です。
皆さん「あなたは救われています。」と語っている牧師が内心、「俺は天国に行けるか分からないな?」と思っている。
カルバン主義は、義認について語りアルミニウス主義は、聖化について語っています。これは、笑えないジョークでわないのです。本当にあったことです。 この方は、長年1度救われても救いを失う可能性があると信じていました。 他にも、そう信じて自分は天国に行けないかも知れないと思っている方が、沢山いました。 それだけでなく、どれだけ良い行いをすれば良いのか?あの罪で地獄に行くかも?と苦しんでいる方々もいました。 私たちの立場は、両方とも真理であると信じています。アルミニウス主義もカルバン主義も両方聖書的バックアップのみ言葉あります。 救いは失いません。何故なら神の恵みで与えられたからです。そこには、いささかも人の行いが入る余地がないのです。しかし、聖化は神の恵みとの協力が人に必要です。キリストのように変えられる人。そうでない人がいます。 これは、故 ロバート・ユーインさんが語っておられ、その弟子のKさんを通して学んでいます。 これらのことを、より良く理解する為には、霊・魂・体 セブン・キー・トゥルース 救いの真理を学ぶことが助けになりました。 この出会いを主に感謝! Yahooブログ |
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エズラ記6章 「6:8 わたしはまた命を下し、神のこの宮を建てることについて、あなたがたがこれらのユダヤ人の長老たちになすべき事を示す。王の財産、すなわち川向こうの州から納めるみつぎの中から、その費用をじゅうぶんそれらの人々に与えて、その工事を滞らないようにせよ。 6:9 またその必要とするもの、すなわち天の神にささげる燔祭の子牛、雄羊および小羊ならびに麦、塩、酒、油などエルサレムにいる祭司たちの求めにしたがって、日々怠りなく彼らに与え、 6:10 彼らにこうばしい犠牲を天の神にささげさせ、王と王子たちの長寿を祈らせよ。 6:11 わたしはまた命を下す。だれでもこの命ずる所を改める者があるならば、その家の梁は抜き取られ、彼はその上にくぎづけにされ、その家はまた、これがために汚物の山とされるであろう。 6:12 これを改めようとする者、あるいはエルサレムにある神のこの宮を滅ぼそうとして手を出す王あるいは民は、かしこにその名をとどめられる神よ、願わくはこれを倒されるように。われダリヨスは命を下す。心してこれを行え」。 6:13 ダリヨス王がこう言い送ったので、川向こうの州の知事タテナイおよびセタル・ボズナイとその同僚たちは心してこれを行った。 」 口語訳 エズラ記6章 8 ~ 13節
この所から見ると、おそらくダリヨス王は、全能の神を信じていたのでは?と思われる。ダニエルを通して、その幻の解き明かしや、目の前で、獅子の穴に投げ込まれて、一晩中主が獅子から守られた事を通して全能の神を信じたと思われる。
けれども、もっとも大切な事は、これらの出来事は、全能の神から始まったと言う事である。ダニエル達は、素晴らしい信仰者ではあるが、主に従う1人のしもべである。ダニエルの背後祈り、シャデラク、メシャク、アベデネゴ達の祈りがあったの言うまでもない。彼らの祈が、王に信仰を与え、王を動かし、国を動かし、神殿を復興させた。
物事が私達主導で始まる時、人の目、世の中の目では大成功でも、神の目には大失敗である。
「3:16 あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。 神の宮とは、今は私達の事である。 3:17 もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。 」 口語訳 第一コリント 6:16 ~ 17 「1:6 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。 」 口語訳 ビリピ 1:6 今、神の宮は私達の内にありそのその復興は、主から始まり、主が完成される。 私達のする事は、この主に信頼し、ただお従いするだけである。ハレルヤ! Yahooブログ |
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赦し
昨日、妻と赦しについて話し合いました。
妻が言うには、一度は誰でもローマ人7章の「あー私は何と言う惨めな人間なのだろうか」という体験が、必要だというのです。私も同感です。赦しは、自分の力では無理です。それを知る必要があると思います。 18:23 それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。 18:24 決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。 18:25 しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。 18:26 そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。 18:27 僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。 18:28 その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。 18:29 そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。 18:30 しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。 18:31 その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。 18:32 そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。 18:33 わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。 18:34 そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。 18:35 あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。 口語訳 マタイの福音書18:23 ~ 35 ここには、赦さないと獄吏に引きわたされるという忠告がされています。
獄吏とは、社会的な死であったり、精神が破壊されたり、などを意味すると思われます。
勿論、皆がみんないっぺんに、獄吏に行く訳ではないでしょう。しかし最終段階まで行くと獄吏に行き、赦すまでは、そこから出て来れないのです。 私は、クリスチャンになってすぐ赦すように、迫りを受けた人が何人かいました。 その内2人は、父親でした。 生みの父と、母が再婚した父でした。 赦そうとした時に、自分がどんなに父親を憎んでいたかが分かりました。 主に、腹の内を洗いざらい打ち分けました。こんな酷いことをされた。あんな酷いこと をされたなど、打ち分けました。すると自分で手に終えません。 思わず、うめきました。 「主よ助けて下さい。」
しばらくしたら、静かなみ声が聞こえました。
「私は十字架で、あなたの罪の為に死んだ。今でも同じ愛であなたを愛している。同じように、あなたの父親の為にも十字架で死んだ。それは、彼も同じように愛しているからだ。あなたも、私と一緒に彼を愛してくれないか?」 もうその声を聞いた後、私は 、声を上げてしばらく泣き続けました。 私の、固かった氷のような冷たい心は、主の愛によって溶かされ、温かくなりました。 主の介入によって 赦すことが出来たのです。 主は、赦しの現場でも生きて働かれるお方です。 ハレルヤ! |




