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どうしたら人と上手くやっていけるのか? 人間関係で悩んでいる人は多い。私も度々悩んだ。しかし、20歳の時に聖書に出会い明るい光が差し 込んだ。聖書は、答えを与えている。それは他の人を、「ありのままで受け入れる」ことだ。人それぞれの個性を受け入れ認め合うこと。オンリーワンの人生とはそこからきている。しかし、それが良いと認めようとしても出来ないのはいったい何故なんだろう。(もちろんナンバーワンの人生が良いと考える人もいるでしょう。)その理由は、自分の力でやろうとしているからに他ならない。 解決: 解決はまず、自分自身がありのままで受け入れられている体験をする事だ。その体験は生きておられるキリストに向き合う時に与えられている。その時に聖書が祈りが必要になってくる。宗教の罠に入らないように注意していただきたい。宗教は「何か」を常に要求する。真のキリスト信仰は、まずやすらぐことだと教えてくれる。そしてそこにとどまるように勧めるのである。 勧め: さあこのキリストにどんなに愛されているか。ありのまま受け入れられているかを知れば知るはど、ありのまま他の人も受け入れられていくのを実感するだろう。 キリストに出会って欲しい。聖書を読み祈り(キリストとの話し合い)出会いを体験してください。 |
はじめの一歩
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あなたは私の目に高価で尊い 命は大切だ! どうして、大切なのだろう。 わたしたち人間は、たった一人しか存在しない。だから大切でかけがえのない存在なのである。 あなたという存在は、今まで過去にいなかった。現在、世界中を捜しても同じ人はいない。また、 未来にも同じである。どんな時代にも、どの国に行っても同じ人はいないのである。 限定一人 あなたは、たった一人しかいない。一般的には数が少なければ少ないほど貴重になるものである。 だから、聖書ではここで「私の目にはあなたは高価で尊い。」と語りかけているのである。限定一人 であり失われたら取り戻しようがない。 変わりはいない。どこにもいない。 スペアーはない。他の誰かであなたの変わりは出来ないのである。決してあなたは、自分で自分の命を絶ってはいけない。他の人の命も絶ってはいけない。命の変わりはどこにもない。 君は愛されるために生まれたんだ。 あなたが、高価で尊い理由がもう一つある。神(創造主)が人間を創った目的それが、人を愛するという事である。人は、愛されるために生まれたのである。誰が、何と言ってもあなたは、愛される価値のある存在なのである。なぜなら、全宇宙を創り全ての生物を存在させているお方が語っているからである。 |
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人は、なぜ生きているのだろうか? こんなことを考えた人は多いと思う。しかし、答えを見つけた人はどれぐらいいるだろうか? この質問には答えはないと言う人もいる。でも、本当にそうだろうか、答えは一人一人違う? はっきりと答えの書いてある本がある。それは、約3600年前に書き始められ2000年前に書き終えられた物です。時代を超えて人々の人生を変え続け、生きる希望と目的を与え続けてきました。 その本とは、聖書です。聖書はそこに出てくる人々の事が、良い事、悪い事含めて全て赤裸々に書いてあります。そこから分かる事は、神(唯一の私たちを創られた神)は人を創られた意味での真の親であり、その親は子供(全ての人間)がかわいくて、かわいくて、しょうがないと言う事です。まるでこう語りかけているようです。「生まれてきてくれてありがとう。」 「君は、愛されるために生まれてきたんだよ。必要だからそこにいるんだよ。」 神は、愛する対象として私たち人を創られた。だから、人はみな愛される価値がある。いなくてよい人なんて一人もいない。 人の生きる目的その第一は、私たちが愛されており、愛するために生きていると言うことです。 聖書は言う 「神は愛です。」 |
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素顔のままでいいよ 僕が子供の頃の話しだが、母親から「お前は内弁慶だね」とよく言われた。ある時近所で母が立ち話ししていたが、そこに割り込んで機関銃のように止めどもなく話し続けていたら、母が「お願いだから1分でいいから黙ってて」と言った。 でもある時は、家に見知らぬ人が来ると、ずーっと黙っていたので母が「お前は借りてきた猫みたいだね。まるでお葬式でもあったようだよ」と言った。 小さいながらどうして同じように出来ないのかなと思った。いったいどっちが本当の自分なの?後で分かった、どちらも本当の自分だったんだって事が。 でも自分を出せないのは、嫌われる事、拒絶される事が恐かった事に気が付いた。すると少し楽になった。そんな自分が滑稽に思えた。するともう少し楽になった。 素顔のままの自分を受け入れる事が出来ると、楽になるんだなとホットした。 それには、素顔のままで変わらず愛する方が必要だ、その方こそキリストである。聖書で「キリストは、昨日も、今日も、いつまでも変わることがない」とある。 |
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キリストの愛とは? 僕の父は、酒飲みだった。とても弱い父でその弱さと戦っているようだった。仕事を色々変えた。給料袋を封を切らずに持って帰ってきた事がなかった。給料日は、そのまま酒飲みに行った。 それで母は、困ってキャバレーに働きに行った。それがもとで同級生にからかわれた。僕は、母に懇願した。「お願いだから違う仕事してくれない?お願いだよ。もう馬鹿にされたくないよ。」しかし母は、「手に職のない母さんには、これくらいしかする仕事がないんだよ。最初は、酒を飲めずトイレで、泣きながら吐いたんだ。今は酒も強くなって、ちゃんとお客さんも接客出来るし、よく指名されるのよ(笑)」と言った。 それを聞いたら僕は何も言えなかった。ただ、母がかわいそうだった。当時、小学生の僕の夢は、そんな母に早く楽させてあげる事だった。でもその夢は、僕が17歳の時終わった。母は脳内出血で倒れて一週間後に死んだ。あっけなかったが、実感がわかなかった。今にも「ただいま」と帰ってきそうな気がして仕方がなかった。(父と母は早くに別居していた。後で離婚し母はしばらくして、再婚した。)後に風の便りで父もその1年後亡くなっていた事を聞いた。 僕は心の中でもう僕の事を本当の意味で親身になって愛してくれる人はいないんだと思った。だけど、そんな事はもちろん誰にも言えなかった。自己中だとは思われたくないし、そんな自分は誰にも見せられないと思ってた。 でも、人はだれでも愛されたいし無条件で受け入れて欲しい、そんな願望をもっている。自分の事を理解してくれる人を探している。僕も探していた。それに気づいてたのは、ず〜っとあとのことだった。僕を無条件で愛してくれる方がいるのを知った。聖書に現されている方イエス・キリストである。 |





