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キャンプから帰って来ました。
キャンプから帰って来ました。今回はやはりお交わりが充実していました。夜遅くまでキリストを中心としたお交わりが出来ました。「新約の群・家の教会という名称になったのですか?」という質問が出て、
Kさんが答えて下さいました。これは名称という訳ではなく、新約聖書通りの教会を願っている事が説明されました。新約聖書通りの教会は私たちの願いでも有りますが、それ以上にキリストご自身の願いであると思います。これらの交わりを通して、心に喜びと平安が留まっているのを覚えました。またメッセージではKさんが「7つの神の山」という学びをして下さいました。このキャンプを主に感謝してます。 |
はじめの一歩
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アブラハムとイサク [ メッセージアウトライン ] 創世記17:17、18:12〜15,21:1〜5 イサク [ 彼は笑う ] と言う意味 ◇ アブラハムもサラも不信仰の故に笑いました。 ◇ しかし神はその笑いを、信仰の笑いに変えて下さいました。 ◇ 神の恵みは人の不信仰も飲み込んでしまいます。 ◇ イエス・キリストの十字架の贖いこそ、神の恵みの極みであり 罪人が神に立ち帰るなら、その不信仰を飲み込んで下さるのです。 1、アブラハムとサラの子供を宿す力が無くなるのを待たれたように、神は私たちの力が尽きるのをいつも待っておられます。人の側の望みが尽きた時に、神の御業が現わされます。 2、アブラハムとサラにイサク(彼は笑う)を与え喜びを増し加えて下さったように、私たちにひとり子イエスをお与えになり、信仰に溢れた笑いを与えて下さいました。 |
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新たに始まった木曜日の集会 新たに木曜日不定期に集会を始めた。祈り会&静思の時と でも言ったら良いだろうか?午後7時に600円で借りれる防 音室の場所に集まった。そこでまず、賛美した。今回はオ ール聖歌を歌った。礼拝ではプレイズ&ワーシップ主体な ので久しぶりに聖歌だけも良いものだ。とても信仰が励ま された。次に創世記1章を1節づつ輪読した。その後15分位 の時間をとって、個々に主から御言葉を聞く時をもった。 そして主から御言葉を通して教えられた事を分かち合った。 共通していた事があった。それは29節〜30節の主が食物を 与えるという箇所である。特に30節の後半は「いのちの息 のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。 そのようになった。」主が必要を与えて下さると一致した。 私はとても励まされ勇気づけられた。これは主が与えて下 さっている御言葉だと実感した。その後祈りの時をもった。 素晴らしい霊的なリフレッシュが与えられ主に感謝した。 |
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教会の回復・・・日本の教会へのメッセージ・・・4 ロバート・ユーインさんに聞く [ 恵みの雨 1988年 11月号 インタビューに答える ] 新約教会という教え イギリスからやって来られたその方がこのような話をされました。そして、その方を通して、神様が預言 を語り、「この集会の中にどもりの人が1人いる。しかし、主はこの人を今ここでいやしたい」と言われ ました。19歳までどもりであった私は、集会の前の方に進み出て、手を置いて祈ってもらったのです。す るとそのとき、どもりが完全にいやされてしまい、それ以来どもることはなくなってしまいました。 私はこの人の教えによって、「新約教会」という概念に目が開かれていったのです。 神様は教会の中に聖霊の賜物を注いで働きを起こすだけではなくて、若い人たちを訓練するために世界中 に派遣していきました。 このとき私は、世界中の教会を助けていく働きに将来携わるようになる、というビジョンを与えられまし た。事実主は、私を助けるためのチームや同労者を起こしてくださり、私が様々な教会と関わり、助けて いく道を開いてくださったのです。今にいたるまで、このときのビジョンは開かれ、進み続けています。 (編注、「新約教会」とは、新約聖書の原理によって使徒・預言者・伝道者・牧師・教師を立てた教会を 指す一般的な名称。特定の教会や教派を意味しない。) |
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神の愛・・・3 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのち を持つためである。」 新改訳 ヨハネ3:16 今まで幾度となく神の愛を示して下さいと祈り求めてきた。 ある時父なる神に、あなたの愛をもっとわたしに教えて下さいと 祈った。すると父なる神は語りかけて下さった。(その時ちょうど長女 が生まれて間もない時であった。) 父なる神 : 「あなたの娘は可愛いか?」 わたし : 「はい主よ、とても可愛いです。」 父なる神 : 「では、その娘をだれか他の人の為に捧げられるか?」 わたし : 「主よ、娘を捧げるぐらいでしたら自分が死んだ方がましです。」 父なる神 : 「私はひとり子なるイエスを捧げた。それ程全人類を愛している。」 この一言で神の愛をまた教えていただきました。この時、ヨハネの福音書3章16節が よりリアルに迫って来たのです。 |


