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今私は保育士として特別支援にかかわっている。
配慮の必要な子や、障害のある子に対する保育です。 今は特別支援の枠は広く、一見普通の子の範囲に入る状態でも、場面場面での適応力などから支援対象になっている子もいます。 特別支援には色んな文献があり、今主流なのが、違いを受け止め、適応させるのではなく、こちらが配慮して環境を設定する。保育にもそれを取り入れています。 クラス全体で同じ理念を共有しているつもりでも、扱う人の個性や考え、心で、対応が大きく異なります。 同じ理念を共有しているはずの私とクラス担任では、対応に大きな違いが出て、クラス担任に合わせようと心がけている私には苦痛な事もあります。 極端な話し、私は本当に相手(子ども)に愛情があれば、どんな子育てでも良いと思っています。 本当に愛情があれば、間違った範囲には及ばないと考えているからです。 しかし、方法論優先で心がそこにない場合は、同じ対応をしたところで結果は変わってきます。 心が入らなければ、良かれと思った対応ですら、子どもに生きることはありません。 大人と違って、子どもは敏感に愛情を感じて、それを返してくれます。 子どもと関わっていますが、大人も結局は同じだと感じました。 カルト問題の支援も同じです。 教理が間違っているから、正しい教理を学べば、正しい信仰の姿勢を勉強すれば、カルト思考から解放されるか? 私は否だと思います。 実際に全く考え方の違う支援者の支援の仕方や支援を受けてる人の様子をネットなりで観察してきました。 心がない支援者に捕まってしまった人は、なんてかわいそうなんだろうと胸が詰まって苦しくなります。 心が入らない支援とは、一見、支援が必要な人(クライアント)にとって心地よい空間をつくり、そこがやっと得られた安全基地だと思わせる。 方法論や知識の量で他に専門的な人ははいないと信頼させる。 この時点で、カルトでマインドコントロールされた人は、簡単に信じ、ついていくでしょう。 問題はその後です。 どんな人でも違いがあり、理解の仕方も理解出来る角度も違います。 同じ角度でしか話が出来ない人(特にマインドコントロール被害者などのクライアント)の為に、支援者は別の角度からも理解してもらえるように、周りに働きかけるべきだと思います。またクライアントにも同じです。 ですが、私が問題とみている支援者は、支援者の意に従う人であれば、どんなに人格的に問題があっても、犯罪を犯してない限り、大丈夫だと太鼓判を押し、フォローに回す。 しかし、反対に意にそぐわない他の支援者に対しては、あまり勧めないとクライアントの不安を煽り離れさせる。 そうやって、支援者に依存させて、クライアントにとって本来の回復には繋がらない対応しかしない。結局支援者のイエスかノーに従う人間を作り出す。 カルト被害での場合においては、私は再マインドだとよんでいます。 聖書だって、扱う人の心一つで曲解する。 どんなに良い方法でも、扱う人が悪ければ、それは悪用にしかならない。 これは、実際に働きながら、見たり、聞いたり、感じた事です。 知識は実際の行動を通して経験となり、知恵となると、実感しています。 被害者(クライアント)にとって本当に必要な事は、その人それぞれに応じた支援であり、病状の良し悪しに関わらず、自立を促し、自由に考えられる広い視野に気付くこと。 「自立」とだけきくと、ひとりで生きると思う人もいるかもしれないけど、自立とは、精神的にも生活面でもまずは「自分の足で立つ」こと。 それらを手助けするのが、本当の支援であり、それは本当に愛がなければ出来ないことだと思います。 愛があるのとないのでは、結果に大きく差が出るでしょう。 私のある友達は、色んな事がありましたが、精神的な症状が今年から出ることなく、薬も全く飲まなくなったとのこと。 今は、祖母の身の回りのお世話をしながら家事を頑張っているそうです。 時々連絡してなかったからと気遣ってメールをしてくれます。 今までは逆だったし、苦しい時しか連絡なかったのに、彼女の回復と心遣いに嬉しい限りです。 ここ1ヶ月、個人的に苦しい中も通りましたけど、それも必要な事だったと実感しました。 ここ最近の一つスッキリです。 |

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ゆうこさん、「博士論文」か何かを書く準備みたいなことをしているんですか?
2011/8/21(日) 午後 4:52 [ 池城安敏 ]
池城さん、こんばんは。いや、準備も何も…。
仕事がほぼ手一杯です。少ない中でも教会問題には声を出していかなきゃいけないとは思っています。
どうしてそう思われたのでしょうか?
2011/8/21(日) 午後 11:35 [ ユコンブ ]
あまりにもカッコイイから。単純にそう思いました。
2011/8/21(日) 午後 11:50 [ 池城安敏 ]
せっかくお褒めいただいているのに、申し訳ないです。
書いた後も何度も読み返してて、やっぱり言葉足らずなところがあったり、もっと突っ込んで書きたいと思っている部分もあるのですが、今は携帯しかネット環境がないので、大事な所まで省略してまとめてしまう癖がついているようです。
多分伝えたい事の半分も伝わっていないと思います。
ですが、少しでも伝わってくれたらそれでありがたいです。
編集しようとすると半分消えてしまったりと面倒くさいので、そのままにしています。
補足はコメント等で出来ればと考えています。
2011/8/23(火) 午後 1:45 [ ユコンブ ]
ゆうこさんの次のブログ記事を、今先ほど、ザッと読んでみました。ゆうこさんは、教会音楽を結構やってきたんですね。
私は、聖歌隊で歌うだけですが、教会音楽の手ほどきは、岳籐豪希先生(故人。東京藝術大学教官。聖書宣教会・教会音楽舎教師)から受けました。
教会が同じ、東京聖書教会(東京都目黒区八雲2-9-7)でしたので。
その後、私がいのちのことば社に就職した(1995年4月)のをきっかけに、岳籐先生が率いるエヴァンゲリウム・カントライに入って、しばらくそこで歌いました。
カントライは毎週金曜日の午後7時から、朝顔教会(〒156-0043 東京都世田谷区松原2
丁目29 - 19. 最寄駅, 明大前駅(0.19km) 03-3321-6722)で練習しています。
ゆうこさんは東京に住んでいらっしゃるので、ぜひ、カントライの練習風景を見に行ってもらって、できれば、カントライで歌うようになってほしいと思います。
2011/8/25(木) 午前 8:32 [ 池城安敏 ]
東京聖書教会は、私の信仰上の心の故郷になりました。理由は、東京聖書教会は、第2ロンドン信仰告白(1677年)という信仰の立場で信仰を確立しているからです。
ケーパンレイ聖書学校(ケーパンレイ、イングランド)も、東京聖書教会と同じ信仰の立場ですので、同じく、私にとって、信仰上の心の故郷となりました。
私にとって、沖縄バプテスト連盟や那覇バプテスト教会は、もともと、信仰的にかなり異質な存在なのですが、その中から、安慶名バプテスト教会主任牧師の平良善郎師が、03年か04年頃になって、第2ロンドン信仰告白の立場に移ったので、平良善郎師は、沖縄の教会の群れの中において孤立無援だった私に与えられた、初めての信仰上の友となりました。
2011/8/25(木) 午前 8:33 [ 池城安敏 ]
ケーパンレイ聖書学校は、第2次大戦中にイギリス陸軍の少佐だった、イアン・トーマス先生が戦後すぐに始めた働きで、確かな「洗脳解除」を施すということで、イギリスとドイツの教会の間では、非常に有名です。最初は、ヒットラー・ユーゲントだった少年たちを自分の聖書学校に連れてきて、数週間、洗脳解除した後に社会復帰させる働きから始めたそうです。現在では、1年間のフルタイム・全寮制でのコースの運営が働きの中核にあるようです。
こちらも、もし、イギリスに行くことがあるのであれば、ぜひ、行って来てほしいところです。
2011/8/25(木) 午前 8:42 [ 池城安敏 ]